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『大難は小難に小難は無難にお祭り変え』
『神は昼夜も遠きも近きも隔てなくお守りある』
平成22年11月15日
(メールお届け)
こんにちわ。先日はご本部参拝のおかげを頂き、ありがとうございました。(神
様へ)お届けをお願いします。
H子(小学校1年生)ですが、先程(午後5時前)、そろばん教室に自転車で行
く途中、車を避けようとして、背丈以上の深さの水路に落ちました。ご近所の方
々が引き上げて下さり、助けて頂きました。H子は全身ずぶ濡れになりましたが、
手の平に擦り傷をしただけでおかげを頂きました。しかし、そろばんの鞄が流
されてしまい、見つかりませんでした。普通の水路だと甘く見ておりましたが、
覗き込むと二手に別れ、片方はなだらかで、もう一方はとても急流になってるの
に驚きました。
そろばん一式がH子の身代わりになってくれたと思います。習い始めてから今日
までお世話になった事に御礼申し上げます。また、今日の水路のように、なだら
かだと思って甘く見たら急流になってる…大きな意味も教えて頂きました。無難
のお祭り替えを頂きありがとうございました。
(教会長の導きのことば)
はい、今晩は。『先程、そろばん教室に自転車で行く途中、車を避けようとして
、背丈以上の深さの水路に落ちました。ご近所の方々が引き上げて下さり、助け
て頂きました』『そろばん一式がH子の身代わりになってくれたと思います。…
…今日の水路のように、なだらかだと思って甘く見たら急流になってる…大きな
意味も教えて頂きました。無難のお祭り替えを頂きありがとうございました。』
大変なおかげを頂きましたね。『神は昼夜も遠きも近きも隔てなくお守りある』
ですね。有り難いですね。これからも信心の徳積みをさせて頂き、お守り頂きま
しょう。神様へお礼、お届けをさせて頂きます。
(教会長の導きのことば)
はい、御祈念させて頂き、気づきました。H子ちゃん、無事で有り難いことで
した。
ただ、本人にとると、大変にショックな出来事で、恐怖感が残っていると思われ
ます。それを和らげてあげることが大切でしょう。
『いつも、神様がお守り下されるから、安心ネ』と、幾度も、やさしく、言って
あげて下さい。これが、トラウマを和らげることになるでしょう。心を安らげて
あげて下さい。お大切に。
(返信メール)
ありがとうございます。寝かしながら『押木先生が、神様がいつも側に居て下
さるから大丈夫だよ。とメールを下さったよ』と話しました。嬉しそうに頷いて
おりました。
ヘルメットが頭を守ってくれた事、ズボンが足を守ってくれた事、自転車が傷だ
らけになって、先に落ちてくれた事、携帯電話でお母さんに連絡が取れた事、後
ろから男の人が歩いてくれて助けてくれた事…全てが当たり前じゃなく、神様が
お造りになった物がH子を助けてくれたのだと話しました。痛い目に遭いました
が、H子には身を持って『神様』をお知らせ頂き、私にはH子を通してお気付き
を頂きました。H子が痛い目に遭う時は必ず私にご無礼、お粗末がある時です。
しっかり神様に心を向けさせて頂きます。
ご本部へ向かう時に警察の検問があり、昨日、買物に行く時にも、こんな場所に
警察が…と、ハッとする時が三回ありました。主人と何かあるかも知れないから
気をつけようと話した所です。
今朝も学校から、児童が昨日から行方不明と一斉メールがありました。数時間後
に無事に保護との連絡がありました。全て他人事でなく、家族共々が気を引き締
めさせて頂こうと思います。ありがとうございました。
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『人生の節』を乗り越えた
人生には、大学入学、就職、結婚、出産など『節』がいくつかあります。このような
『節』はめでたい『節』ですが、その『節』から人生が変わってゆきます。
嬉しいはずの『節』が、後になって、『あの時……』と悔やまれることもあります。
また、天地自然に『春夏秋冬の四季』があるように、人生にも『四季』があります。
いつも春の良い季候ばかりではありません。真冬の厳しい時期もあります。生身の
体ですから、大病を患うこともあります。よく、結婚式で来賓が『これからの2人の人生の
上に、厳しい山川もあります。心を合わせて乗り越えて下さい……』と、話します。
これは人生の先輩の来賓の経験からでしょう。
○
A子さんは今年38才です。ご主人と小学2年生の男女の双子、5才の保育園年中の
男子の5人家族です。
A子さんさは熱心な金光教の信奉者の家庭に生まれ、幼少より金光教の教会に
慣れ親しんできました。しかし、自ら信心をするようになったのは、社会に出てからです。
人生の厳しさに触れてからです。A子さんは繊維染色関係のキャリアウーマンです。
A子さんは大学の同期のご主人と結婚しました。ご主人は陶芸の道を志す芸術家です。
A子さんはご主人の陶芸の道が開けるように、日々神様へお願いをすると共に、
収入の乏しいご主人に代わって、キャリアウーマンとして仕事に励み、家庭を支え、
子育てをしてきました。特に上2人は双子でした。
昨年の春、双子の子供が小学校に入学する時期に、岡山県の山中の『限界集落』に
古い百姓家と田畑を買い取り、家族でそちらに移り住みました。勿論、仕事も辞めました。
この地で陶芸活動をするためです。
まさに、自給自足の生活です。何もかも初体験です。子供達はすぐに、その生活に
慣れましたが、都会育ちの夫婦2人は、生活の出来る基盤造りに追われました。
陶芸に取りかかる時間がありません。
その間、教会へは参拝出来ないので、メールや手紙、*『祈願カード』で詳しく
お届けやお願いをしてきます。教会長も一生懸命に神様へ御祈念をします。
そして、1年が過ぎました、どうなりこうなり、生活基盤が出来ました。いよいよ、
陶芸への取り組みですが、収入はありません。いかに自給自足の生活とはいえ、
養育費や光熱費など現金がいります。A子さんがストックしていた資金も段々と底が
見えてきます。
山奥での社会です。都会のように働けるところがありません。まして、プロの繊維染色の仕事
はありません。A子さんはあせりだしました。何とかしなければ……教会へは手紙等で
お届けがきます。どうにか、パートの仕事が見つかりましたが、その矢先に保育園児の子供が
喘息の発作が出て、ついてやらねばなりません。働きに行くことができません。
更に追い打ちをかけるように、自身が乳癌の検査にひっかかり、精密検査をすることになりました。
さっそく教会へお届けがありました。その文面に『先立つ物(お金)もなし、先立つ(死ぬ)と
子供はかわいそう……』
教会長も『助けてやって下さい!!』と一生懸命に御祈念しました。やがてその日がきました。
検査結果を待っていると、電話が入りました。 声が喜びではずんでいました。
○
*『祈願カード』とは・・・
扇町教会では、さまざまな悩み願いを、信者さんが祈願カードに記しお届けをします。
また毎月4回の月例祭時に祈願し、1カ月間、毎日教会長が御祈念をします。
祈願カードには次のようなものがあります。
○健康諸願成就・病気回復・交通安全 ○商売事業成就・仕事成就
○勉強成就・入試合格・就職成就 ○家庭円満・この月誕生月お礼・良縁・懐妊安産・育児成就
(A子さんからの手紙を載せておきます。)
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大難は無難にお祭り変え
Aさん(大正12年生まれ 84才)は元小学校の教員
JR大阪環状線の『寺田町駅』より、西へ四天王寺方面へAさんの足で徒歩2
0分の、古い市営住宅の4階に、1人身の独居生活。身寄りは無し。
年齢による膝の痛みが辛い日々ではあるが、子供達に習字を教え、老人ホームへ
ボランティアで習字を教えに行っている。
扇町教会へは月例祭には欠かさず参拝されている。教会へはJR大阪環状線の
『寺田町駅』から乗車し、『天満駅』で下車。Aさんの足で20分ほど東に歩く。
7/16(祝日 海の日 平成19年)の昼の部の月例祭の出来事。
この日は雨が降っていた。
祭典が終わり、5時頃、雨上がりの中を傘を杖に、帰途についた。
5時半頃、Aさんから電話。
『天満駅の近くで転倒しました』。
天満駅に急いで行く。
天満駅で壁にもたれかかっているAさんを発見。
「先生、すみません、たいしたことはないのですが、まずは、神様へ『お届け』
と思い電話をしました。わざわざお越し頂かなくても……」
「どこをうちましたか。どこが痛いですか。歩けますか」
「左の腰を打ちました。そこが痛いです」
と言いながら、ボチボチと歩こうとします。2、3歩、歩きました。
「Aさん、どちらにしても、高齢でこけたのだから、病院でレントゲンだけで
も撮ってもらいましょう」
と言って、近所の病院へタクシーで行くことにしました。わずかな距離なので、
運転手さんには気の毒でしたが、訳をはなしたら、気持ちよく、近所の病院まで
乗せてくれました。
休日でしたが、救急の受付へ事情を話しました。
すぐさま、看護師さんが車椅子をもってきて下さり、レントゲン撮影。そのフ
ィルムをもって、医師のところへ。 フィルムを診ながら
「Aさん、良かったですね。骨は折れも、ヒビもいっていません。もし、折れ
たりヒビがいっていたら、寝たきりになるところでしたね……」
Aさんは、すぐさま、お医者さん向かって、柏手を打って、
「有り難とうございます、有り難とうございます」
と拝みだしました。拝まれているお医者さんは、てれくさそうに、
「良かったですね。」
自宅は古い市営住宅の4階です。エレベーターが付いていません。自宅まで送
ることにしました。
病院の前で流しのタクシーを止めて乗り込むと、先ほど病院まで乗せてくれた
タクシーでした。運転手さんに事情を説明すると、
「おばあさん、良かったね。その年で、ヒビもいっていないなんて、奇蹟ですよ」
と言って、喜んでくれました。
自宅のところで、車を降りて、4階まで、手を貸し、荷物をもちつつ上がりました。Aさんは
「転んだおかげで、先生に家に来てもらえた。有り難い、有り難い」
と喜び一杯です。腰の痛いのも忘れているようです。帰る時に、
「先生、今日は有り難とうございました。身寄りの無い、淋しい生活、まして、
年寄りともなれば、不安な日々ですが、神様がお守り下されていることを実感し
ました。有り難とうございました。」
深々と頭を下げられ、お礼を申されました。
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御本部天地金乃神大祭に参拝して
昨日は、私達家族と両親が、ご本部の春季御大祭に参拝のおかげを頂き、ありが
とうございました。大変な強風でしたね…。金光学園幼稚園や金光病院前、土手
の桜が見事に咲き誇っており、素晴らしかったです。さくらに例え、時節に関す
るみ教えが頭を横切りました。今年は寒さが厳しく、春は名のみになっておりま
したので「桜は遅いだろうか」と思う人間の考えを他所に、桜は寒かろうが暖か
ろうが関係なしに、自分の咲く時期が来れば咲くのですね。自然に咲く樹木は、
人間が肥料を与え、虫の駆除をし、強風に耐えれるように支えを打ってる訳では
ありません。神様が作り与えた一品は、人間があれやこれやと手を出さなくても
いいのですね。桜はそれを知ってるから、夏の暑さや冬の寒さに文句一つ言わず
にじっと耐え、自分の輝ける春を楽しみにしてるように思いました。あんな強風
で散るのかと思いましたが、これもまた散る時期がこなければ散らないのですね
。
何故か、桜を見て思い考えさせられた事が、今の私には助かりになりました。
2006/4/9
・無信心の父が……
父は体調も落ち着き、ふらつきもなく、おかげを頂いております。 調子がおか
しく、先生に電話でお届けをさせて頂くまでは、病院に行く気配はなく、翌朝に
診て頂くつもりをしておりましたのに、先生と電話を切った後、5分もたたない
内に急に「病院に行く」と申しまして、慌てて循環器病センターに連絡をした次
第です。循環器病センターは第一救命救急ですので、中々診て頂けないのですが
、
「すぐに来て下さい」と言われました。また、当直に脳外科の先生がおられ、詳
しく診て頂けました。私達の考えで「明日の朝に病院に行って…それから…」と
、
計画を立てましたが、お届けをさせて頂いたら、私たちの考えは他所に状況は一
変し、病院からは「30分以内に来て下さい」と言われ、子供をお風呂に入れ、寝
かし付けた矢先で、私もパジャマ姿でしたので、家中がてんやわんやの大騒ぎで
した。神様が動いて下さる時、大の大人が、親に言われて動く子供のようです。
神様は病気になる時期も、また30分で行ける時間配分も、担当の先生の配慮も、
全て調えて下さるのですね。大変有り難くもあり、正直怖くなりました。先日の
※豊心会が終わった後、父が「押木先生は違うなぁ」と、ぽつり口にした事が私
の心に引っ掛かりました。
父の真意は分かりませんが、無信心の父が神様に向かわせて頂いてると感じられ
ました。病院より帰宅後、お社に向かい、手を合わせて、お礼を申し上げており
ました。父が目眩を起こし、倒れた時の顔色を見た時「押木先生に電話や」と思
わせて頂けたのも、昼夜問わず、私達の事をご祈念頂いているからこそでありま
す。本当にありがとうございました。
2006/4/20
※豊心会……信心の勉強会。扇町教会では、信心をわかりやすく楽しく理解する
ため、教会長先生が地方へ出張して自宅や会議室などで開催されております。誰
でも参加できます。日時など詳しくはお問い合わせください。
水子の赤ちゃんが肩をもんでくれました。
A子さんは体の弱い体質で、今から10年前、残念ながら流産をしてしまいました。
この10年間、水子のことが可哀想で、ずっと悩んでいました。
この辛さを友人に語ると、
「もう、10年もたっているのだから、わすれなさい。そして、前向きにいきなさいよ」とアドバイスをしてくれるのですが、
忘れられるものではありません。
1昨年の春に、私(金光教扇町教会長、押木廣太)とご縁を頂き、金光教の信心を始め、導きを受けるようになりました。そして、苦しい胸の内を語られました。そこで、
「水子さんのことを忘れる必要はありません。また、忘れられるものでもありません。水子さんと共に生きて下さい。
教会でも水子さんをお祭りさせて頂きましょう。
また、貴女も自宅でもお祭りをして、日々の生活の事柄を、生きている子供に話すように呼びかけて下さい。」
そのようにして1年以上がたちました。教会では毎月、その月にお亡くなりになった霊様のお名前を呼び出して、
お祭りをしています。
この水子さんの流れたのは1月でした。A子さんはぜひともこの霊様のお祭りに参拝したかったのですが、お勤めの都合で参拝出来ず、メールで以下のお届けをされました。
○
月例霊祭ですね。今日は ありがとうございました。私は御無礼させて頂きますが
よろしくお願いします。
霊様の前に お菓子をお供えさせて頂き子供達と御祈念しました。
流産した時 普通なら病院で処置をするのですが 私は家で子供が流れたのです。
病院の先生は「かなりひどい痛みだったでしょう?」と聞かれたのですが 痛みもなく
するりと体から出てきたので
抱き締めて泣きました。そっとティッシュに包んで 病院へ持って行きました。
その時 子供が さよならの挨拶をしてくれたように思ったのです。いろいろありましたが
今は先生に霊様として
奉って頂いているので ありがたいです。死んだ子の年なんか 数えて…と言われますが
数えてやりたいです。
先月 体調が悪い寝ていた時、夢の中で誰かが肩を揉んでくれ とても気持ちが良くて
夢でなく
子供が揉んでくれているのかと思い、「もういいよ」と肩をさわると 赤ちゃんの手で
そこで目が覚めました。
何故か私の水子やとすぐに思ったのですが 今考えたらきっと夢やったと思います。
でも幸せな夢でした。霊様となって神様のところにいるんですね…。
○
A子さんは神様へ信心して水子の霊様と共に生きることにより、水子の霊様は神様に引き取られ、
母子ともに助かるおかげを頂かれました。
霊様は、祭らせて頂く私たちの思いをお受け取り下さるのですね。水子さんは親孝行ですね。
神心
一月の末、ご主人のお仕事の関係でシンガポールで生活をしておられる婦人より、月末のお礼のメールが入りました。
この婦人は再婚されて初めて、金光教という名前と、宗教のあることを知りました。ご主人の親が信心をされ、ご主人も信心しているとうことで、金光教に興味を持ちました。しかし、ご主人と共にシンガポールで生活をしているので、教会がありません。そこで、インターネットで金光教を検索し、扇町教会のホームページに出会いました。
扇町教会のホームページを読むほどに、金光教の信心の素晴らしさ、神様の有り難さが分かり、扇町教会へメールでお届けをされるようになり、日々、ご主人と共に信心生活をされています。
○
金光教扇町教会 教会長 押木 廣太先生
お早うございます。
私達のために毎日ご祈念くださり有難うございます。
御蔭を蒙り無事に過ごさせて頂いております事を厚く御礼 申し上げます。
先生はじめご家族の皆様お変わりありませんか?
1月も私達に関係ある人々も本当に無事に過ごさせて頂き ました。
改めてご祈念頂いて無事に過ごさせて頂いていると感謝申 し上げます。
夫が、同僚との間で、今年の信心のモットウの
「人心をだすな人心は人心だけ、神心を出だせば神心だけ のおかげはある」
お蔭を蒙らせていただきました。
日本人同僚が3人しかいないのに、3人の中で不協和音が 続いていました。
夫は、仕事に対して前向きに、誠実にさせて頂いていたの ですが、
後の二人は、非協力的な日々が続き、精神的に参っており ました。
夫が、「相手も助かっていきますように」と金光様に祈ら せてもらいながら
精神誠意仕事をさせてもらっていましたら、1月27日に 話し合いがあり
夫は、仕事に対する心構えを丁寧に改めて話したそうで す。
そうしたら、夫でなければ「この現場は立ち行かなくなる と」2人が分かってくださり、
凍っていた心が溶けたかのように3人 で、それは、それは硬い握手をしたそうです。
それらぞれの人の目には、熱い涙が、溢れていたと事でし た。
その後、「御用にたたせてもらっている」と喜んで夫は、 仕事をさせてもらっているようです。
私はその話を聞かせてもらい、信心のモットウの通りと気 づかせてもらいました。
有難く思います。
先生!「信心させてもらう」って、楽しみが沢山あるんで すね!
今月も信心の稽古をさせて頂きますので、ご指導の程お願 い申し上げます。
寒さが続きます、ご家族の皆様ともにご自愛ください。
信心して心の杖を持つ
毎日、私たち信徒のためにご祈念くださり有難うございます。おかげを蒙り、私どもをはじめ関係ある人々皆も無事に過ごさせて頂いております事を厚く御礼申し上げます。
日本のニュースでは、寒波の訪れを報道していますが、先生をはじめご家族の皆様方にはお変わりありませんか?
私は、先生の教本・テープ・メールなどのお導きを頂き、天地金乃神様の大きなみ働きを「嬉しく」「楽しく」「有難く」昨年より一層頂いている様な気が致します。
その大きな心の変化を、自分で気づかせてもらっている事が、近頃とても有難く思います。重ねて御礼申し上げます。「有難うございます」
平成18年「信心のモットウ」の投票させていただきます。
*(扇町教会では毎年、『信心のモットウ』として、1年間の信心の取り組みをさせて頂いています。
年末に信者の皆さん、来年の『信心のモットウ』を、金光教祖の教えの中から選びます。
多くの教えがあるので、5つ教えを候補として掲げ、その中より、選びます。
ちなみに、平成18年度の『5つ教え』は)
(1)『人一人助ければ一人の神、十人助ければ十人の神』
(2)『人生のことは次にして、先に人のことを願え』
(3)『人心を出すな、人心は人心だけ。神心を出せば、神心だけのおかげはある』
(4)『信心しておかげを受けたら、人にも教えてあげなければ、神へのお礼にならない』
(5)『信心の道を迷わず失わず、末の末まで教え伝えよ』
(どれもこれもいいのですが……)
(5)『信心の道を迷わず失わず、末の末まで教え伝えよ』を選びました。
*理由:ご信心の稽古をさせていただき、自分の心の持ち方が、変わってまいりました。信心させてもらう前は、嫌なこと、心配事などがあると塞ぎこみ憂鬱な日々を長く過ごしていました。気持ちを切り替えようと「頭」では、わかっていたのですが、なかなか切り替えられませんでした。でも、今は違います。先生のお導きで今に至り平穏な日々を暮らさせてもらっています。
信心させて頂き「心の杖」を持たせてもらうことが、ブランド品を身につけ、美味しいものを沢山頂くよりもどんなに心を落ち着かせてもらうか、身をもって体験させていただきました。
ですから、子供達にも是非伝えていきたいのですが、どうしてもまだまだ空周りをしてしまいます。
でも あきらめずにもっと自分自身が、問題や願い事に取り組ませてもらい、大きく成長のおかげを頂かせてもらいながら末の末まで伝えて生きたいと思います。
また、夫は、昨年の今ごろ椎間板ヘルニアと嚢腫の手術をさせて頂き、御蔭を蒙らせてもらい元気に過ごさせて頂いております。有難うございました。
先生のお声を聞かせてもらい、心強く思わせて頂いたのが、昨日のように思い出されます。
ご祈念をいただき有難うございました。
おかげ体験談(豊心会に参加して)
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今日は 楽しい時間をありがとうございました。※豊心会のレジメの、心配する事について 書かれている部分は、自分に言われたようで、思わず涙が出ました。たくさんの大切な事を聞いたようで なんと言っていいか分かりませんが 自分の足でありながら、やっと足元が見えた気がしました。ありがとうございました。御大祭には 参拝のおかげを頂けますように、お願いします。
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昨日はありがとうございました。家で手を合わしてます…大切な事ですが、勝手信心になります。み教えは難しい事ではなく、日常当たり前の事を当たり前として教えて頂いております。しかし、一〇〇回読んでも自分の勝手の良いように解釈をします。しかし、スッキリとはしません。しかし、押木先生に一回教えて頂けるだけでスーッと心に入り、神様への願い方が変わってきます(不思議)心が軽くなりす(ラッキー)豊心会終了後は、私の機嫌が大変よくなります(主人&娘は大変ラッキー)毎日そうでありたいと心から願います。
遠方で、中々参拝をさせて頂けない者にとりましては、豊心会は大変大変に有り難いです。次回は子育てについてたくさん教えて下さい。仙台の信者さんも心待ちになさってるんでしょうね。金光様は雲の上の方、しかし、先生は金光教の素晴らしさを布教なさる親しみやすい大阪のおっちゃん先生です。先生とご縁を頂かなければ、今の生活はなかったと思います。先生、長生きして下さいね☆
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※豊心会とは、教会長が出張して、地方で開催いたします。誰でも参加できます。
信心の疑問、人生の疑問を通して、『天地の道理』を学ぶ会です。このお道の信心は『話しを聞いて助かる道』と言われているように、『天地の道理』を学び、和賀心を磨いて、神様と共に生きるところに、神様から『良い巡り合わせ』を頂き、『うれしく』『楽しく』『有り難く』生活が出来ます。子孫繁盛家繁盛のおかげを頂く信心です。
ご承知のように扇町教会は梅田の繁華街にあります。信奉者の皆さんは郊外や遠方に住まいがあります。そのために、なかなか定時の御祈念に参拝することが出来ません。
それで自由参拝となります。教会ではいろいろと工夫をして、朝の教話をMDにとり、いつでも朝の教話を聞けるようにしています。しかし、朝の教話は短い時間(十分ほど)ですから、まとまった話しではありません。
また、時間的に月例祭への参拝が出来る人でも、祭典の参拝がやっとで、お話しに時間がとれません。
更に、遠方の方も多くおられ、月例祭にも参拝出来ず、メールやファックス、郵送でお届けをされています。このような方には、教会長の布教部出講でのテープを送らせて頂いていますが、一方通行の教話です。
そこで、教会長が地方へ出張をして、その近辺の信奉者、あるいは信奉者の知人の方達と、『天地の道理』の学習をさせて頂くようにしました。この会を『豊心会』と名付けました。
難しい勉強ではなく、信心の疑問、人生の疑問を通しての勉強です。
場所はできるだけ、会館や会議室などを借りて集会を持ちたいと思います。時間は約二時間を予定しています。
地区の集会ですから、二人以上の集まりでしたら、その地区に教会長が出張いたします。遠慮無く申し出て下さい。現在、姫路地区『豊心会』が、月1度開催されております。日程の問い合わせは教会までご連絡ください。
近辺の方はふるってご参加下さい。参加を希望される方は、前もって教会へお知らせ下さい。
おかげ体験談(投稿)
今年五月、親先生のお導きを頂きながら、私達親子は 母子家庭一年目を迎えた。なんとか仕事もみつかり 危なかしいけれど、順調な毎日を過ごしていた五月の下旬、突然の高熱、全身の湿疹があり 風疹かと思われたが、全身の関節痛と 肝臓の数値も悪く、近医は総合病院で精密検査を受けるように言った。
六月二週間寝込み、検査を受けたが 肝炎は異常なく 結果は予想もしない※『膠原病』だった。自分の体を自分が攻撃する病気、原因不明、一昔前は死を覚悟する病気。私の頭の中はそんな言葉で埋めつくされた。
医師は「この病院では治療できないので、別の開業医を紹介する」と言い、病院の名前と地図を教えてくれた。総合病院で治療できないものが 一開業医で出来るのか、私は不安だった。ただ救いは 市内の駅から徒歩十分という近さだった。
早速 先生にメールを送り 導きの言葉を頂いた。
「まだ発病していない、おかげやないか!」耳の神経が病気のためダメになり右耳が聞こえない私には、辛かったけれど先生の言葉に涙があふれた。
仕事の帰りにその病院へ行った。雑居ビルの五階、患者は私のみでガランとしていた。この医師に任せられるのか、神様!神様!という思いだった。医師はこれから定期的に精密検査を受けるよう、また無理をしない、疲れないようにという指示だった。
私の住む地域は、小学六年の親が子供会の役員をやり、ことある事にかり出される。祭りともなれば、学校は休みになり、終るまで役員は働きどおしである。
今、子供会を辞めるのは、残りの人に迷惑をかける事になり大変心苦しかったが、意を決して病名を話し役をおろしてもらった。その時、話をしていた近くに、同じマンションの六十代の女性、Hさんがいた。彼女は元看護士で「○○さん、気を落とさんとな」と声をかけてくれた。
それから、一週間程した頃、Hさんが私に「いったいどこの病院にかかっているのか」と聞いてきた。聞けばHさんは「病院でリウマチと診断され ステロイドの治療をすると言われたが 自分は嫌なので、インターネットで調べたが、リウマチを診てくれる病院は市内になかった。いったいあなたは、どこへ行ってるのか紹介して欲しい。」と言うのだ。私はお役にたてるならと、病院の情報をHさんに伝え、心の中で結果は分からないけれど助かっていかれますようにとお願いしていた。
七月十六日、私達親子は 初めて泊まりで月例祭に参拝させて頂こうと思い駅に向かったところ、偶然にHさんが電車から降りて来た。Hさんは「今、会えて良かった!病院へ行って来た。いい先生で治療も新たに始めてもらえる事となった。○○さん、ありがとう、ありがとう」と非常に喜んでおられた。そしてお礼にとパンを買い、私に持って行くところだったという。「ここで会えて良かった。」とHさんは喜びながら帰って行った。私は心の中で神様にお礼を申し上げ、私の病気がこんな形でHさんへの助かりになったと嬉しく思っていた。
それから一ヶ月、手狭になったマンションのリフォームをさせて頂くおかげを頂いた。工事の挨拶に近所を回り、その中にHさんもいた。Hさんは私に再度お礼を言われ、治療の経過を嬉しそうに話してくれた。リウマチは治らないのに……。私は挨拶をしながら?何か違う?と思い始めていた。?何か、何か分からないけれど……?と思っているうち工事が無事に終り、今度は私が定期検査に行く事になった。
その時『あっ』と思った。Hさんは必死で病院を探し近くにあると聞き、喜びながら病院へ行ったのだ……。
「お前が行った時はどうだったか?」
神様から聞かれた気がした。私は総合病院で見捨てられ、落ちぶれた気持ちで知らず知らず、不平タラタラで病院へ行ったのだ。Hさんと私では病院へ行く気持ちの『出発点』がまるで違っていた。同じ難病なのにHさんはいきいきと学童保育の指導員に毎日、自転車で通勤している。出発点が違えば 結果が違う。親先生に何度となく教えられていたのに……。でも 今気付かせて頂き、ありがたかった。以前の私なら到底思えない事だった。Hさんからではなく、Hさんへ「ありがとう」なのだ。Hさんの姿勢を見させてもらい神様から励ましを頂いた気持ちでいっぱいだった。
こんな形で私は、心のモヤモヤや「自分一人の不幸」から少し抜け出せた気がする。それもこれも、神様と親先生が私の心に寄り添って下さっているからだ。
「何があっても、神様と私(先生)がいるじゃないですか。」という先生からのメールの言葉は、私の大切なお守りになっている。
※膠原病とは細胞と細胞を結びつける組織に炎症が起きる病気の総称です。身体を構成する単位には、いろいろな臓器のほかに、臓器をつないだり、支えたりしている結合組織という部分があり、この結合組織の中を血管や神経などがパイプのようにはしっています。「膠原」とは、この結合組織や血管壁の重要な成分である線維タンパク質のことです。この膠原線維に病変が生じたものを膠原病といいます。膠原病には結合組織病、自己免疫疾患、リウマチ性疾患の三つの顔があります。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
初めてメールします(9月11日受信)
初めてお便りいたします。
金光教信者三代目に嫁いで二年(再婚)五十二歳です。
毎日「あなたの心を元気にするページ」を読ませていただいております。文明の機器で巡り合わせていただいた事に感謝申し上げます。そして、金光教のことが分からない私にとても分かるように説明してくださる押木先生に深くお礼申し上げたくメールいたしました。
「あの事もこの事も神様からのお働きがあって今を生かさせてもらっている」と
先生からのメッセージを読ませてもらい改めて感じさせてもらっています。本当に有難うございます。心が軽くなり毎日お蔭様にて元気を頂いております。有難うございます。
実は、現在夫の赴任先でありますシンガポールからメールさせてもらっています。当地に赴任させてもらい七ヶ月になります。夫は、何回も来させてもらい英語も堪能です。そして、この国にも慣れさせてもらいバリバリ働かせていただいています。
私の場合は、何十年も前に英語は教わったきりで、中学生英語からやり直しながらそして、一人で外出させてもらうにも緊張の連続の日々でした。その中で先生のメッセージに巡り合わせていただきました。特に外国で読ませていただくメッセージは、私にことのほか心に沁みてまいります。
本日は、先生に御礼申し上げたくメールさせてもらいました。
信じさせてもらう稽古をさせていただきますので、これからもどうぞお導きの程宜しくお願い申し上げます。
時節柄どうぞお体をご自愛ください。 かしこ
平成十六年九月十一日 (匿名にさせて頂きました。)
お願い事が成就しました!(7月26日受信)
お礼が遅くなってしまってごめんなさい。
去年、好きな人と結ばれることをお願いしたのですが、
それはとても大きな障害のある大変なものでした。
お願いしてからも様々なことがあり、もう死んでしまいたいとまで思うことも
ありましたが、必死にあきらめず頑張ったせいもあるのか、
お願いの期間ぎりぎりに叶うことができました。
『障害』と言うのは、人の心の問題だったので、
乗り越えるのはとても難しかったです。
彼と私だけでなく、彼の両親もが辛い目に合いましたが、
彼と私の思い合う心で乗り越えられたと思います。
今、二人で幸せに順調に交際を進めていっております。
本当にどうもありがとうございました。
今日、また新たに彼との未来のことをお願いさせていただきました。
お願いをすることでまた、自分にも頑張る力が出てきます。
私も一生懸命頑張りますので、どうかどうかお願いを叶えてください。
どうぞよろしくお願いします。
気づき、ピッタンコ!!
「今日の神様からの気づき」メール(37)の発信(11月17日)について、
11月17日未明のおかげ体験談が送られてきましたのでご紹介します。
『障子一重がままならぬ人の身ぞ』
本当に、一寸先は闇ですね。
今日はどのような人に、どのような事柄に出会うか、予定をしていても、
分かりません。
良い人に、良い事柄に出会うよう、
神様に『良い巡り合わせ』をつけて頂きましょう。
『大難は小難に小難は無難にお祭り変え』を頂かれますよう、お祈りしています。
★今日1日、嬉しく、楽しく、有り難い人生でありますように
∞∞∞∞∞ 以下メール本文 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
扇町教会、押木廣太様
お早うございます
いいお天気です
o(^-^)o
深夜の事件報告(長くなりますが)
時は2時、何処で鳴っているのか!?
ドンドンドンドン
ドンドンドンドン
ガチャガチャ
(・_・)エッ......?
うーん夢うつつである
ドンドンドンドン
ガチャガチャ
誰なあ!こんな夜中に
何処からするのだろう?
廊下に出ると、トイレに明かりが…
ガチャガチャ…ドンドン
婆ちゃん!
耳のほとんど聞こえない婆ちゃん。トイレのドアが開かないのである。どうやら鍵が半分掛かった状態である
10円で外から中鍵を開けようとしたが開かない
主人を起こす、開かない。
義父を起こす、なかなか開かない。
我が家は2個の同じ洋式トイレ。隣りの仕組みを見る。ドライバーでこじ開けた。
無事救出。
どれ位閉じ込められていたのか?分からないが少し冷え出した時期。隣りのトイレは窓が開いていたが、こちらは締まって居た。
今朝は無事に起き、デイケアにも変わらず出ました。
変わらない朝、大事に成らなかったおかげを頂きました。
さて、お婆ちゃんですが、深夜言った言葉。「すまんなあ、みんなを起こして…、ありがとうなぁ」
今朝も、
「済まんなあ、夜中にみんなを起こして…、年が寄ると何をすることやら…。有難うなあ。おかげ頂いた…。ありがたいなあ」です。
この方は、同居最初から、いつも教えの通りの在り方でした。
例えば、たいした料理じゃありませんが、「いやーごっつぉ(ご馳走)」と喜んで下さり、いい顔をして下さいます。
こういう年の重ね方をしたいと思います。
今日の御教えじゃと感じた事件、報告まで。
(無題)
出産から1・2ヶ月は慣れない育児にストレスが溜まり発散する手段さえなく出口の見えないトンネルでしたが、最近、子供とのリズムが合い出し、何で泣いてるのかが解るようになりました。湿疹も出ず、会う人会う人に「肌がツルツルやね〜」と言って頂き、便秘も一切なく、夜も友達から羨ましがられるくらいに寝てくれます(私が悩んでた事全てです)妊娠時に先生より「Aさんの持ってる悪い所は根切りのおかげを頂かなアカンな」と言われて以来、家のお社でずっと願ってました。アトピー・便秘体質・不眠症…子供には全くありません。すごく有り難いです。
今、今までメールでお届けをさせて頂いた内容を再度読み返しております。振り返ると「えっ、こんな事で悩んでたんやな」とか「忙しい先生にこんな愚痴っぽい事を言ってたんやわ」などと、一人赤面してます。
すべて神様が解決して下さり、先生のお言葉で‘ホッ’とした事が思い出されました。子は日中抱いてないとグズルので疲れますが、今は私に抱かれる事が一番の安らぎになるのだと思うと、あまり苦にならなくなりました。最近はニコッ〜と満面の笑顔を見せてくれるので、両親も時と間無しに相手になりに来ます。波風が立ってた我が家でしたが、子供は我が家を温和にしてくれる神様からの贈り物のような気がします。とりとめのない文ですが、何か先生にメールがしたくて…長々とすみません。
35才で初産のおかげ
安産を頂かれました奥様からのお礼のメールをご紹介します。
先生〜っ!産まれました(^-^)V 大きな大きなおかげを頂き本当にありがとうございました。十月十日の間、ご祈念を頂きました事、心から御礼申し上げます。分娩中、気を失いかけましたが‘金光様押木先生’を心中で幾度も叫ばさせて頂いておりました。我が子を抱いた時、母がこんな苦しい思いで私を産んでくれたんだと思うと涙が止まりませんでした。神様から頂いた子は主人に良く似た、えくぼが可愛い女の子です。
本当にありがとうございましたm(__)m
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‘神様のみ働き’と書いて頂いたご神米を枕元に置かせて頂いております。葉菜子は、おちびちゃんですが丸々10ヶ月間お腹の中で成長させて頂いたおかげで成熟児だと言われました。お腹が空いたら火の付いた様に泣き、満たされたらコロッと寝てしまうと看護師さんに笑われました。有り難いです。明日から授乳が始まります(ドキドキワクワク)葉菜子の血となり肉となる良いお乳がでますようお願い致します。また、私は会陰切開をかなりしましたので傷が痛みますが、他は順調に回復のおかげを頂いております。母子共に元気元気です(^O^)/
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メールありがとうございます。看護師さんに‘葉菜ちゃんの口にピッタリと合ったいい乳首ですね’と言って頂けました。葉菜子も含ませたら勢い良く吸い付いてくれ、ゴクゴクと飲んでくれました。飲みながらウトウトと寝てしまう葉菜子を見てると、めったに眠気が来ない私までウトウトとしてしまいました(不思議ですね)今夜も3時間おきに授乳をさせて頂きます。授乳で苦労される方が多い中、スムーズにおかげを頂きありがとうございます。神様にしっかりと御礼を申し上げます。
「今日の神様からの気づき」メール(78)の発信(5月22日)より
■78 『八寸のものを一尺にも喜ぶ者には、足りぬだけ神が足してやる。お願い一ぺん、お礼十ぺん』
人に物をあげても、喜ばない人には、次からはあげません。わずかな物でも喜んでくれれば、次はもっと良い物をあげようと思います。不足ばかりの人は、おかげは頂けません。しかし、本人は不足に思っていることを意識していません。ここが危ないのです。信心の稽古は喜びを探す稽古です。今日1日、『良い巡り合わせ』の人生でありますように
★毎日メールをありがとうございます。今日のところは本当にそうだなぁとつくづく思いました。私は、5月初めから体調不良が続いていて、早く良くなることばかり考えていましたが、あるときから、そうだ!いま少しづつでも手が動き足が動く事をお礼申そうと思えてきました。今、まだ完全復活ではありませんが、でも段々良くなってきています。悪い事探しは上手に出来るけど、いつもいつでもいい事探しの出来る私でありたい、そうあるように神様を離さずにいたいです。(東京:女性)
神様のお働きにびっくりしてメールさせていただきました。
私は、最近合併した某銀行の副支店長の御用を勤めさせていただいており、もともと関東の出身なんですが、転勤で四国に単身で赴任しています。
今まではご本部は遠かったのでなかなか行かれなかったんですが、最近はずっと近くなったので、お教会に行く代わりに直接ご本部にお参りするようにしていました。
その時の毎回の楽しみが、教徒社に行って何か1冊お道の本を買って帰ってくることなんです。
1年ぐらい前でしたか、そこでなぜか押木先生の「一日一話」の本を手にとり購入してきました。それから毎回1冊ずつ購入させていただいておりました。
そうしたら、先日こんなことがあったのです。
私どものあるお取引先に対する貸し出し案件で、銀行の本部内で意見が真っ二つに割れたんです。
ちょっと特殊な案件だったのですが、そのお取引先に対する貸し出しが「そのお取引先が(ちゃんと返済してくれるかどうか)大丈夫か」という話ではなくて、「そんな特殊な案件を取り扱っていいかのどうか」でもめたのです。
昔のA銀行では当たり前のことだったのが、B銀行では「一度もそんなことはやったことがない」ということで、いわゆる「足を引っ張る」者が多数出てきて話が全然前に進まなくなってしまったのです。
四国から部下の担当課長と一緒に何度も東京に足を運び、いろいろな人たちと話をしました。それでもまったく話が進まず、同じところをグルグル回っているだけでいたずらに時間ばっかりかかり、だんだんに期日が近づいてきていました。
担当課長は「お客には迷惑を掛けられない。昔A銀行で取り上げられたやり方が、合併したために出来なくなるなんて言うことは、「お客さま第一」をスローガンとしているわが社の経営方針はまやかしである。こんな会社に幻滅したので自分は退職する。」とまで言い出しました。
今にして思えば、A銀行とB銀行の確執にズボッとはまってしまったんですね。
A銀行出身者は、「昔やっていたんだから出来るはず。お客に迷惑は掛けられない。」の一辺倒。
B銀行出身者は、「そんなことやったことがない。そもそも、こことこことここに問題がある。」として全然歩み寄ろうとしない。
お互い、相手の意見を聞こうとはせず、もう、まったくケンカ状態だったんです。
途方に暮れて単身赴任のアパートに帰ってきて、疲れた中で風呂に入りました。私は、トイレに入るとき、風呂に入るときに、何か一冊本を持って入り、ゆっくり本を読むクセがあるんです。
たまたま何かの理由で、押木先生の「一日一話」の本が机の上にあり、お手ごろ(風呂につかって読むには厚さも重さも適当)だったので、手にとって湯船につかりました。
適当にパラパラめくって最初に開いたのが、第二集の63ページ、「あいよかけよで腹が立つ」というくだりでした。
「信心する人は、十人の股はくぐっても、一人の肩は越すな。」
「負けてこらえておれ。負ければ損をするからばからしいと思うかもしれないが、神がまた、くり合わせてやる。そして、人からもよい人と言われるようになり、身に徳がついてくる。」というみ教えでした。
「なんじゃこりゃ」と思いながら何気なく読み進んでいくうちに、
押木先生の「‥‥「これ間違うてるじゃないか。こうこう、こうで、こうやないか。」とやるのは簡単なことなんですけど、‥‥その黒いものを白じゃと言い張る、向こうの悲しさというもの、‥‥それを神様にお願い申していく。その時は「そうか、そうか」と負けておく。「負けて勝て」と。勝てというのは、勝敗の勝ち負けではなしに、本来の目的、願いである、‥‥。」というご説明がありました。
「これだ!」と思いましたね、あの時は。
神様が、押木先生の本をして、私に「何が大切なのかもう一回考え直してみろ。相手とぶつかるだけがすべてじゃない。」とお教えくださったんです。今にして思えば。
それからは、うまく相手を立てながら、まったく昔のA銀行やり方と同じやり方ではなくて、別のやり方で案件をまとめるように話を進めました。そうすると不思議なもので、昨日まで反対していた相手までも一緒になって「どうやれば話をまとめられるか。」と力を貸してくれるようになり、話がトントン拍子で進んで行き、結局期日までにお取引先に迷惑を掛けることなく、貸し出しをすることが出来たんです。
昔のやり方とは全然ちがうやり方だったんですが、結果は同じ結果を得ることが出来たのです。
小さい頃からよく祖父に、「おじいちゃんは神様というものを見たことがあるの。」と聞くと、祖父は「おじいちゃんも実際に神様というものの姿を見たことはないが、いろいろな人の働きの中に神様のみ働きというものを見たことはたくさんあるよ。」と言われ、わかったようなわからないような、釈然としない気持ちでいたことを覚えています。
今まで40何年間、ずっと神様を信じはしてきましたが、今回ばかりはびっくりしました。あんまりびっくりしたので、思わず黙っていることが出来ずに、お礼ご報告させて頂きました。
本当にありがとうございました。また、ご本部に行ってお礼を申し述べさせて参ります。そして、また先生のご本を1冊買ってきます。長くなりすみませんでした。
押木先生 こんにちは。いつもありがとうございます。
先月は、ありがとうございました。
人事異動の発表はまだありませんが、先生にお取次させていただき、毎日、神様に向かわせていただいている日々の中で、いろいろな事に気づかせてもらいました。
まず、私自身、親離れが出来ていなかったことに気づかせてもらいました。四十歳近い年になって、いつまでも両親や妹をたより、そのことで両親や妹を心配させ、また迷惑をかけました。その事がやっとわかり反省の日々です。両親や妹が助けてくれたことに感謝しつつ、これからは神様を杖にさせていただき、夫婦と子供の四人でどんなことでも乗り越えていけたらと思います。
それから、今まではわからない事におびえる日々でしたが、この頃はこれから先、神様は私たちにどのような人生を与えてくださるのかワクワクしながら待っております。
私が育ってきた過程をかえりみた時、大学の時に○○県で下宿し、結婚してからも△△県、そして□□県と以前に両親と住んだことのない町で住んできました。見知らぬ人との出会いをたくさん経験し、良いことも悪いこともありましたが、今思うと、どの町も好きでした。私は、今まで神様に良い巡り会いのおかげを頂いて、今日に至っていることがわかりました。ありがたいです。
今、現在、あまり先のことは考えず、今日一日のおかげを大切に生活しております。先のことばかり思っていると、今、目の前にある大事なことを見落としてしまいそうで、それがもったいないので、今日一日を大切にしております。
先生の所へお参りをさせて頂いてから大事なことをたくさん気づかせて頂きました。ありがとうございました。
今日も祈願カードを郵送させて頂きます。どうぞよろしくお願いいたします。また参拝させていただきます。
◆今日の神様からの気づき 送信内容◆
・平成14年12月31日
今年もいよいよ大晦日を迎えました。皆様お元気ですか。
今年1年間『今日の神様からの気づき』のメールはいかがでしたか。
貴方の人生の導きになりましたか。
この『今日の神様からの気づき』は、毎朝、扇町教会教会長が、皆様の幸せを御祈念してから、『教えのくじ』引き、それに、導きの言葉を添えてお送りしています。
来年も、貴方の人生に、貴方に関わりある人々の人生に、神様のお恵みを頂かれますよう、『良い巡り合わせ』を頂かれますよう、御祈念させて頂いています。良いお年をお迎え下さい。
・平成15年1月1日
新年あけましておめでとうございます。今年1年間、貴方の人生が、貴方に関係する人々の人生が『うれしく』『楽しく』『有り難く』ありますように、神様に『良い巡り合わせ』を頂かれますように、日々御祈念させて頂きます。
今年の扇町教会の『信心のモットウ』は『神は、人の身の上にけっして無駄事はなされない。信心しているがよい。みな、末のおかげになる』です。
このみ教えを杖に、厳しい社会ではありますが、元気な心で、『心と体の調子』が調うおかげを頂き、日々頑張っていきましょう。
教会長の私もいたらぬながら、日々神様に御祈念させて頂きます。
年末年始にかけて、メールで多くの感想を頂きました!
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●いつも有り難いメールをお送りいただきありがとうございます。去年はいろいろなことがありました。暮れには父が心臓の大動脈がさけ、緊急手術をうけ、成功のお陰を頂いたのですが、脊髄をやられ、足が動かない状態です。どんなときも、毎日、毎日、送ってくださるメールにどんなに励まされたかわかりません。神様は人の身の上に決して無駄事はなされないという有り難いお言葉を心にいただいて、身の回りにおこるすべてのことを有り難いことと受け止め、神様におすがりしていきたいと思っております。最後に親先生および処先生方ほんとうにいつも有難うございます。ご健康をお祈り申し上げます。(大阪・女性)
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●昨年一年いろいろお世話になりありがとうございました。昨年一年とても短く感じ、あっと言う間に過ぎてしまいました。ようやくほんの少しですが、「生かされて生きていることがありがたい。神様がいつもそばにいて下さる」と思えるようにならせてもらえるようになりました。み教えメールを一日のスタートに読ませてもらって、今年一年頑張らせて頂きます。ありがとうございます。(大阪・女性)
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●ありがとうございます。毎日毎日いろいろなことがあり、ありがたく生活させていただいております。今年もメッセージをいただき、気付かせていただくことばかり、何をしていたのかと過ぎた日々を思います。メッセージをいただくと元気が出ます。どうぞ新しい年も宜しくお願いいたします。(埼玉・男性)
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●一年間、毎日ありがとうございました。
毎日ありがたいみ教えをいただき、ありがとうございました。
私はPCで、長女は携帯へいただきましたので、娘からいち早く「きょうの気づきを読んだ?」という会話ができたことは、本当にありがたく感謝申し上げております。(岡山・女性)
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●今年1年間『今日の神様からの気づき』のメールを送信頂きありがとうございました…心より御礼申し上げます。また、平素のご無礼をお詫び申し上げます。どうか、お許し下さいませ!朝、御祈念頂き私どもにお祈り添え頂きました事…お導きの言葉をありがたく拝読させて頂いておりました!特に『良い巡り合わせを頂かれますよう』という朝の言葉に一日の元気を頂いております。どうか皆様も良いお年をお迎え下さいませ★ありがとうございましたm(_ _)m★(岡山・女性)
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●メールありがとうございました。毎朝ご祈念頂いていたとは、感激です。み教えは私の生活でとても役だっています。来年も今年同様よろしくお願い致します。(千葉・女性)
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●押木先生ありがとうございました。私はこのあいだの手紙にも書きましたが、このメールに支えられてきました。
不憫な子供達と死のうか、主人を殺してしまおうかと、この行き場のない怒りを静められず苦しい日もありました。起こってくるすべての悪い事は主人のせいと思う時、そっと朝届けられるメールを抱き締めて何度泣いたか分かりません。押木先生の教えは、すっと体に入ってくれ私を助けて下さいました。くじ引きだったんですか。びっくりしました。私も先生の御健康をお祈りしています。良いお年をお迎え下さい。(大阪・女性)
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●ありがとうございました毎日読まして頂きました。
日々のメッセージを心に頂き少しでも神様に喜んで頂ける信心生活を送れるようにこれからもしていきたいです。今年一年有り難うございました来年も神様の願いの氏子にならして頂けるようお導きよろしくお願い致します。(大阪・女性)
『神様の気づきの登録者よりのメールのお便り』
毎日のメッセージを頂く様になって 一ヵ月になります。ありがとうございます。本当は電話でお礼をと思いましたが、耳が不自由な事もあって、メールで失礼します。波瀾万丈の難儀な氏子なので、来るメールに次々と現状を言い当てられているようで、 時々笑ってしまいます。「扇町教会の先生はどっかで見てるんかな」などと。よく神様にスイッチオン!と書かれてますが、オンしてるつもりでも押せてないんでしょうね。機会があれば参拝させて頂いて 直々にお聞きしたいです。 時節柄 御用でお忙しいと思いますが、どうぞご慈愛ください。
『Aさんからのメールのお便り』
昨日(9/23)は、秋季御霊祭を仕えて頂き有難うございました。
御霊様お一人々のお名前を呼び頂いている中に、我が家の御霊様をお呼び頂いた時、何か緊張するのと同時に何か嬉しかったです。先生の勢いのある声に御霊様が喜んでいらっしゃるように思えました。御霊様が一日も早く神様の元にお引き寄せ頂けるよう、日々に感謝をし神様・親先生 に喜んで頂ける信心稽古をさせて頂きます。
押木先生のお導きの下で信心稽古をさせて頂くようになってから自分改革(かっこつけすぎですか)が出来るようになりました。先生から見れば、まだまだ・・・でしょうが、私なりにはかなり変わってきました。もっと早く気づかなければいけなかったのですが・・・。体験発表をなされた青年女子さんのように、毎日参拝はできませんが家のお社に手を合わせ、心を神様に向けさせて頂いております。
以前は神様はいらっしゃると思いつつも本当はどうかな?と考える時もありました。しかし、押木先生のおかげで神様は本当にいらっしるんだと実感しております。実際、マンションの件(なかなか売却できず、金利におわれていたところ、先生にお願いして頂き、1カ月たたない間に解決)では目の当たりに神様のお働きを実感いたしました。マンションは大きく形あるものですから余計に実感するのかも知れませんが、目に見えない「命」を毎日頂いている事は本当に有難いです。泣いたり腹立てたり笑ったり泣いたり・・も命あるからこそですね。
私の親友が脊髄のガンにかかり命の保障がない生活を送っておりましたが、この春に新しい命を頂きました。
彼女は
「生きている中に悲しい事なんてもうないわ。私が悲しいのは主人や親兄弟と、この世に未練を残して死ぬ事やわ」と言ってました。
そして「悲しんだり腹立てる時間があるんやったら、やりたい事を思いっきりするんや」とも言っておりました。
本当にその通りですね・・。
また、甥(小6)が友達から「ジュースを買って来い」などと、再三いじめに会い、母親である姉が大変悩んでおりましたので「押木先生に電話をしてお導きを頂き」と 話させて頂きました。姉から押木先生は「学校の先生に言うべき」と言われたのだけど、甥が「学校の先生には言いたくない自分で解決する」と言うんだけど、どうしょうと 言ってきました。私も何と言って良いか判らず、とりあえず様子を見てみたらとだけ伝えました。
すると、二日後に姉から電話があり甥の友達が「何かあったんか?」と聞いてくれたので諸々をはなした所、
「それは恐喝やん。俺がついて行ってやるから先生のとこに行こ」と言ってくれ、それで先生に話しをしたら、相手の子に懇々と話しをしたからと・・言われたと電話をしてきました。
相手の子は謝って、今は何もなかったように仲良くしてるとの事です。
姉と話しをしたのですが、「俺がついて行ってやる」と言ってくれた友達は神様が遣わせて下さったんやね。結局、押木先生がおっしゃる通りになり、その結果が良い方に向かわせていただいたんやね。神様にスイッチオンをすると人の心までも簡単に変えて頂ける事は本当に有難いねと。
2人の甥も学校に行く前は必ずお社に手を合わせて、困った時も「金光さま」と言っているみたいです。
日々の生活の中で神様を感じることが本当に多くなりました。いつも私の前で後ろで横で見て下さっているようです。昨日、先生のお話し中で「御霊様には毎朝このように挨拶をしている」とおっしゃった通り、私も今朝から真似をさせて頂いております。バタバタの朝で、バタバタのお礼ですので御霊様も目が覚めてしまって笑っておられるかも知れません・・・。またお広前に参拝のおかげを頂きます。昨日は本当にありがとうございました。
(平成14年9月24日 秋季霊祭にお参りされてお礼のメール)
●素直に神様に向かう心
『祈願カード』が出来て、私自信も今までは人に対してご神米を素直な気持ちでお願いして、お渡しすることが何か抵抗あったんですけど、この頃素直に素直に出来るようになって来てるんですね。
近所の人でも受験で頼まれたり、病気なさったりとか何かあるたびにすぐ教会にお届けに来て、ご神米を持ってすぐ「こうこうで……、お願いして来ましたので」と、ご神米を持ってお渡しするようになってきてるんですね。渡す時、ちょっと心配なんですね。
「イヤ、この人素直にもろてくれはるんかいな」と思う時もあるんですけど。
それが頂かれた方が、えらく素直に「ありがとう」って言われるから、持って行った方も「ああ、良かったなあ」というのがすごいあります。まあ、それが嬉しくて、ほんとにそうあんまりご迷惑とか考えずに、素直に素直に近所に悩まれる方とかに持って行ってます。
近所の方から「○○さん、この間お願いして下さったおかげで……」と「お礼だけでもします」と言って。近所でも二人程かな、「ほんとお礼ぐらいでしかお参りなさらないけど、○○さん教会に行かれる時、一緒に連れてって」とか言って、一緒にお参りなさったりするんですけど……。
●受験のお願い……心の向きが変わる
お友達の娘さんが、医学部を受けられるのに何校か落ちられたので「お願いして」言われたので、何回かお参りさせて頂いたのですけど。娘さんはお参りなさらなかったんですけど。その娘さんが素直に「お母さんいよいよ試験受けるから、ご神米炊いてください」って言われたらしいんですね。それを私は後で聞いてなんと素直な娘さんなんやろとか思ったんです。
結果的には今年の試験はダメだったんですが「きっと私は神様がね、時間を与えて下さって、医学部は大変な勉強になるから、もっと今のうちに勉強しときなさいとまた一年間お与え下さったん違うかな」と言うとまたお母さんが「そうやと思うわ」と言うて、娘さんも後で聞くと「そうやね」と言ってパッと切り替えて来年に向けて勉強しますということになりはったんですね。
その辺がウーンすごい素直に素直に向かわれてるというのが、私も不思議やなーと思ってるんですね。
それで、今までの私の心の方が神様に対して素直さがなかったかもしれない。今は素直に素直にしてるから全然信心してない方でも、お願いさせて頂くとまたその方が素直に受けられるのがすごいなあって思っています。
●心が落ち着かれますように
母親の姉である伯母が、去年に会った時、顔にシミが出来てて気になる、気になると言っておりました。もう八十三歳ですので「シミでも皮膚ガンとかあるのでパッととるのじゃなくて、必ず細胞検査してからシミ取ってもらいね」ってその時なにげなく言ったんですね。
そしたら今年になって、シミが気になるので取ろうとしたんですね。そうして皮膚科に行ったら、母の話しでは「皮膚ガンだったらしいのよ」と電話がかかってきて、「太ももの肉を取って、すごい手術になるらしいわ」ってかかってきたので。私にしたらびっくりして、ちょっとしたシミなのに、太ももまで取って手術するなんて……おばさんがすごいショック受けはったやろなと思って、慌てて教会にお願いに来て、手術のこととか皮膚ガンのこととかに関しては私にはどうしようも出来ないので、「おばさんの心が落ち着かれますように」というお願いをしたんですね。
それで、ご神米と手紙とちょっとしたお菓子をがんばってねという気持ちで送らせて頂いたんですね。
そしたら一週間たってかなー。気になるから母に電話したら「あのねー、手術しなくてよくなったんよー」と言うんですね。「なんでー?」と聞くと「うーん、よく分からんけど、今はお医者さんが切らなくていいよって言わはったらしい」って言うから「わあー良かったね!!」って言ったら「あなたがすぐにお願いに行ってくれたおかげやわ」って母が言ってたんです。良かったねという事でおかげを頂きました。
●夢の中でお願いのお礼に
次は私の姉のお舅さん、私にとっても親戚になるおじいちゃんが九十五歳になって急に具合が悪くなって入院したんですね。酸素吸入とかなさったとか聞いたので、私にとっても親戚のおじいちゃんであり、実際に小さい頃お世話になったおじいちゃんだったので心配をしておりました。しかし、命の事はわからない、神様のなさる事ですので酸素吸入とか点滴とか痰(たん)を取ったりとかで、苦しかったらしいんですね。それを聞いたので「そういう苦しみとか辛さが入院中にありませんように」という事をお願いしてたんです。ご神米も送らせて頂いてました。
それで病院に入られて闘病なさってたんですが、やっぱり九十五歳ですのでなかなか直らないということで、ずっとうつろな状態で入院してはったんです。それこそ五日ぐらい前かな。私が夢を見まして。私と姉が部屋にいてて片付けものしてると、その九十五歳のおじいちゃんが水を飲んだコップを台所に持って来られたのを見て。「あー、偉いなあ!!九十五歳でもやっぱり飲まれたものをあと片付けに来るんやな」と夢の中でそういうふうに思ってたんです。
朝になって目が覚めた時に、おじいちゃんの夢を見たわと、ふとお水を飲まれた後だったんで、これって末期の水ちゃうかなと思ったんですね。それでも「死にはったん違う?」って電話も出来ないので、その朝はそのまま連絡しなかったんですけど、昼前になって姉から「おじいちゃん亡くなってん……」と電話があって、私もびっくりして「イヤー、実を言うとね。お水飲まれたコップを下げはった夢を見て。もしかしたら、これ末期の水ってそういうあれやなかったんかと思ってん」と言ったら「あー、あなたが一生懸命お願いしててくれたから、おじいちゃんそっちの方にお礼いきはったんかも知れないネ」と言ってくれてそれで私もびっくりしてしまって……。
姉が「最後にお水飲みたかったんかな、お水飲みたかったんかなと。お水飲ましてあげれば良かった」とすごく言うので「いやいや、あの雰囲気ではお水を頂かれて、それでありがとうという感じでコップ持って来られたから、飲みたい、飲みたいと言って亡くなられたんと違うよ」と言ったら「アー、良かったわー」とすごく安心したんですけどね。
だから、うーん私も朝、晩お願いしたりするんですけどー。やっぱり『祈願カード』でお届けして、先生も一生懸命お願いを朝、晩して下さってるんですけど、ウーン私はいたらなくって、お願いしっぱなしのとこがあるんですけど、やっぱりそれを受けられた先生や神様がずっとご祈念して下さってるんやなーとあらためて、私もびっくりしたなあーと、そう思ったんですね。
●素直な心が神様と響き合う
もとにもどるんですけど、皮膚ガンあぶなかった伯母は、お医者さんが治療にきて下さってるらしいんですけど。
遂、この間、原因不明の熱が出て、伯母は特別養護老人ホームにいるんですけど、なかなか熱が下がらなくってその施設でも困っておられて、伯母がふと思い出してご神米のお米を頂いたらしいんですね。そしたらスッーと熱が下がらせてもらって、ほんとすぐだったらしいです。伯母もびっくりして母に電話したらしいんですが「あなたからもらったご神米を頂いたらすぐ熱が下がった。ほんと嬉しかった。ありがとう。ありがとうってすごく喜んでたよ」と母が言ってくれたんです。
ほんとにね、私も不思議だなーと思うんです。そういうふうに「素直に素直にしてなさる方は、素直に素直におかげを頂いてはんねんなー」いうのが、すごいと感じたのと、やっぱり人様の事をお祈り、私の力ではだめですけど、少しでもお役に立ちたいなあという思いで、私もご祈念させてもらっています。
※『祈願カード』……【健康諸願成就、病気回復、交通安全、誕生御礼、家庭円満、良縁、懐妊、安産、育児成就、入試合格、勉強成就、就職成就、商売事業、仕事成就】の祈願を書く教会備付けの用紙のこと。『祈願カード』によって願い出られた内容を、親先生が毎日定時の御祈念の時に一ヶ月間御祈念をしてくださいます。お届け内容を自分で書くことにより願いが一層はっきりし、より神様に向かえることとして取り組みをしています。信奉者自身も自分の願いとして御祈念します。月が改まると、新たな願いとして改めて『祈願カード』をお届けします。
日々御祈念くださりありがとうございます。
先日教えて頂いた「願えば、神様の方から手伝う」というお話を聞かせて頂いて日頃、親先生から教えて頂いていることですが、その時スーッと腹に入らせて頂きました。そして早速、今日一日のことを御願いさせてもらい、また、神様が私の仕事を手伝って下されているんだと、常に実感して、常に神様を意識させてもらいながら、仕事をさせて頂きました。
その日、赤と黒の2版刷りの印刷をしていました。赤を最初に印刷します。そしてインクを落として黒を印刷するのですが、その日は順調に機械が動いてくれたんですが、赤を刷る時に、ある一部の原稿だけ必要部数、多く刷ってしまったんです。
「最初は、紙をもったいないことをした。また、時間をだいぶロスしてしまった」と思っていました。というのも、夕方、人と待ち合わせをしていため、夕方6時までに時間のご都合も頂きますようにとも御願いしていました。
そして、2版目の黒を印刷していきました。すると、その先ほど多く刷った原稿の時だけ、紙詰まりなど機械の調子が悪くなり、黒の印刷の時点でだいぶロスが出たんです。
「はあ、これか。神様は先に教えてくだされてたんです。失敗する分を余計に赤の原稿を刷らせて頂いてたんだな」と思わせて頂きました。
実際の仕上がりが一枚でも少なくなると、赤のインクを、またセットして、刷り直し、黒をセットして……と、それこそ時間のロスになります。全くもって恐れ入った次第です。終了時間も6時きっかりに終わり、改めて神様のお働きのすごさを実感しました。
神様は声も形も見えないお方ですが、こちらが願う心と、常に意識をさせてもらうことによって、現れてくるものだな。また共に神様と働かせて頂いたという喜びを味わうことができ、とても私自身がうれしくならせて頂きました。心がやすらぐというか、安心感ができたというのが、すごいおかげだなと思いました。
この気持ちを大切に何事も些細なことも、日々御願いさせて頂き、神様と一緒の生活を歩みたいと思います。ありがとうございます。
こんにちわ。先日は参拝のおかげを頂きありがとうございました。
先生とお会いし本当に良かったです。先生のお人柄は私の想像通りでした。
お話をきかせて頂き心に持ってた何かがスーッと取れました。
又、『1年間の信心カルテ』には感動致しました。ここまで、私の事を思って下さり感謝の気持ちで一杯です。本当にありがとうございました。
「教会長より一言」の中に書いて下さったお言葉「○△◇×……□○」解ってはいたつもりでしたが、改めて納得しました。
1つの事にこだわらず又先々を思い悩まず、雨が降った時には『かさ』をさして春の暖かい日ばかりを求めず、春夏秋冬その毎々に合った信心をさせて頂きます。
1年間、先生の御祈念を頂き、健康で元気に暮らせて頂きました。ありがとうございました。
来年もどうぞよろしく御願いいたします。
(平成12年12月 女性 お礼のお手紙)
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