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第二章 人間の難儀

第一節 神への無礼

70.人間は、天地の間に生きておりながら、そのおかげを知らない。神仏の宮寺も人間の家屋敷も、みな神の地所である。そのわけを知らないで、方角日柄ばかり見て無礼をし、前々からの巡り合わせで難を受けている。

71.今は学問の世の中で、理屈はよく言うようになったけれども、天地と神との恩義をしだいに知らないようになったから、難儀がしだいに多くなっている。

72.今は人代といって、わが力で何事もしている。神が知らせてやることにそむく者がある。神の教えどおりにする者は神になる。昔は神代といい、今は人代である。神代になるように教えてやる。難儀になるのもわが心、安心になるのもわが心からである。

73.この大地もその他の物も、みな神の物であるのに、わが物である、わが金ですると思い、神にお願いしないでするから、叱られるのは無理もない。家を建てるにも、神にお願いして、神のお土地をお借りし、今までの無礼をおわびして建てればさしつかえない。

74.人間は勝手なものである。生まれる時には日柄の良し悪しも何も言わないで出て来ていながら、真ん中の時だけ何のかのと勝手なことを言って、死ぬ時には日柄も何も言わないで駆けっていってしまう。

75.人を殺さないと言っても、心で人を殺すのが重大な罪である。人を鉄砲でうったり、刀で切ったりしなければ、私は人を殺してはいないと言うが、それは目に見える。目に見えない心で人を殺すことが多い。それが神の心にかなわないことになる。目に見えて殺すのは、お上があってそれぞれの仕置きにあうが、心で殺すのは神がおとがめになる。心で殺すとは、病人でも、これは大病でとても助からないなどと言うが、これが心で殺すことになる。人間の心では、助かるか助からないか、わかりはしないであろう。また、あの人は死ねばよいと言ったりもする。それがみな心で殺すのである。そうではなく、どうぞ向こうが改心しますようにと、神に祈念してあげよ。

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