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第一章 神と人間

第三節 神の心

28.神は、人間を救い助けてやろうと思っておられ、このほかには何もないのであるから、人の身の上にけっして無駄事はなされない。信心しているがよい。みな末のおかげになる。

29.広い世間には、鬼のような心を持っている者もないとは言えないが、人間であったら、気の毒な者を見たり難儀な者の話を聞けば、かわいそうになあ、何とかしてあげたらと思うものである。神の心は、このかわいいの一心である。

30.「烏をおとりにしてかすみ網で雀を捕っていました。かわいそうなことをすると思いました」と申しあげたら、金光様は、 「かわいいと思う心が、そのまま神である。それが神である」と仰せられた。

31.人間がおかげを受けてくれなければ、神も金光大神もうれしくない。人間がおかげを受けないで苦しんでいるようでは、神の役目が立たない。人間が立ち行かなければ、神も金光大神も立ち行かない。

32.同じように腹を痛めた子であれば、かわいさに違いはないはずであるが、それなのに、不幸せな子ほどふびんであろう。神もそのとおりで、難の多い、不幸せな者ほど、おぼしめしが強い。

33.親は、心配させる不肖な子ほどふびんに思うであろう。神も、神の心を知らないでいる者ほどかわいいと仰せになる。親を頼って来る子には、うまい物でもやれるが、来いと言っても、何かと逆らい、親を敵のようにして、よそへ出てしまうと、どうしているだろうかとふびんに思う。親がそうして子をかわいがるのも、神が人間をかわいがってくださるのも、同じことである。

34.不信心者ほど神はかわいい。信心しておかげを受けてくれよ。

35.自分の信心が足りないためにおかげを受けられないのを、神のおかげがないように思っている。神はこれが情けなくてならない。

36.よく、神に捨てられた捨てられたと言うが、神はめったに捨てはしない。みな、人間の方から神を捨てるのである。

37.神を親と思って信心をしていれば神の方から子と思う。たとえて言えば、子供のそばに、親がいなければ、悪い者に棒でたたかれることもあるが、親がついていればたたかれることはない。悪事災難は棒を持って来るのではないから、しのごうと思ってもしのげないけれども、神を父母と思って信心していれば、目に見えない所は神が守ってくださる。

38.神へは何でも願え。神は頼まれるのが役である。

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