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第五章 生神の道

第二節 神になる

362.金光大神のことを生神と言うが、金光大神ばかりではない。この広前に参っている人々がみな、神の子である。生神とは、ここに神が生まれるということで、金光大神がおかげの受けはじめである。みなもそのとおりにおかげが受けられる。

363.人は金光大神のことを生神と言うが、金光大神も、あなた方と同じ生身の人間である。信心しておかげを受けているまでのことである。あなたも、神の仰せどおり真一心に信心しておかげを受け、人を助けて神にならせてもらうがよい。

364.無学で人が助けられないということはない。学問はあっても真がなければ、人は助からない。学問が身を食うということがある。学問があっても難儀をしている者がある。金光大神は無学でも、みなおかげを受けている。

365.人を一人助ければ、一人の神である。十人助ければ、十人の神である。

366.わが身、わが一家を練習帳にして、神のおかげを受けて人を助けよ。

367.神から金光大神に、いつまでも尽きないおかげを話にしておく。金光大神が教えたことを違わないように人に伝えて真の信心をさせるのが、神へのお礼である。これが神になるのである。神になっても、神より上になるとは思うな。

368.信心しておかげを受けて、難儀な人を助ける身にならせてもらうがよい。神の心になって、受けたおかげを人に話して真の道を伝えるのが、神へのお礼である。それが神のお喜びとなる。信心するといっても、これまではみな神を使うばかりで、神に使われることを知らない。天地金乃神は人を使いとなさる。神に使われることを楽しみに信心せよ。

369.「私はこれまで広大なおかげをいただいていますので、何か神様にお礼をさせていただきたいと思いますが、何を奉ったら、この神様は一番お喜びくださるでしょうか」とおたずねした。金光様は、 「神にお礼をするのに物を奉ってすむのならば、これまであなたが神のおかげを受けられたそのお礼には、何もかも奉っても足りはしまい。神はそんなものをお喜びになるのでもなく、また望んでおられるのでもない。神のありがたいことを知らない世の中の人々に、あなたがおかげをいただかれたことを教えてあげよ。そうすれば、その人々が助けられ救われる。それが神の一番喜ばれるお礼である」 と仰せになった。

370.生きている時に神になっておかないで、死んで神になれるか。