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第五章 生神の道

第一節 生神金光大神

352.金光様が、 「私は生神ではない。百姓である。天地金乃神様に頼めばよい。私はただ、神様に申しあげるだけのことである」 と仰せられ、ご神前に進まれると、すぐ神から、 「金光大神は、自分は百姓であるから天地金乃神に頼めばよい、と言うが、金光大神があって天地金乃神のおかげが受けられるようになった。神は何千年来、悪神邪神と言われてきたが、金光大神があって神は世に出たのである。神にとっての恩人は金光大神である。人間も、金光大神があってこそ神のおかげが受けられるようになった。人間にとっても恩人である。神からも人間からも両方の恩人は金光大神である。金光大神、と頼んでおけばよい。金光大神の言うことを聞いてそのとおりにすれば、神の言うことを聞くのと同じである。金光大神の言葉にそむかないように、よく守って信心せよ」 とお知らせがあった。その後、金光様は、 「今、神様があのように仰せられたが、私は神様の番人のようなものであるから、私に頼んでもおかげはいただけはしない。どうあろうとも、天地金乃神様、と一心にすがれよ」 と仰せられた。すると、「金光大神はあのように言うが、金光大神にすがっていればよい。まさかの折には、天地金乃神、と言うにはおよばない。金光大神助けてくれ、と言えば、すぐにおかげを授けてやる」 とお知らせがあった。

353.金光大神の取次で、神も立ち行き、人間も立ち行く。人間あっての神、神あっての人間、子のことは親が頼み、親のことは子が頼み、天地のようなもので、あいよかけよで頼み合いをせよ。

354.金光大神の話は、学者の話や講義と違って、ここが続き、ここが切れ目ということがない。天地のある間は、天地の話が尽きることはない。金光大神は天地の道理を説くのである。

355.「天地金乃神と人間との間柄を、参って来る者に話して聞かせよ」 と、神が仰せられるので、金光大神は話をしているのである。

356.金光大神がご神前を離れれば、世の人々がけが過ちをするかも知れない。世の人々にけが過ちのないように、本当のおかげが受けられるようにと願っていると、金光大神はここを動く暇がない。

357.金光様は、いつも、 「たとえ、この身は八つ裂きの仕置きにあい、村々の辻に曝し者にされるようなことがあっても、私の屋敷跡に青草が生えるようになっても、少しもかまいません。世界の人々が、生神金光大神、と真心で一心に願えば、どのような願い事でもかなえてくださいませ」 と願っておられた。

358.「金光様、あなたがお隠れになりましたら、この道はどうなりましょうか」とお伺いした。すると、 「心配することはない。形を隠すだけである。肉体があれば、世の人々が難儀するのを見るのがつらい。体がなくなれば、願う所に行って人々を助けてやる」 と仰せられた。

359.生神金光大神といっても、今までは形があったから暑さ寒さも感じたが、これからは形を去って真の神になるから、一目にすべての者を見守ることができる。

360.月も雲に隠れることがあろう。隠れても月は雲の上にある。金光大神も生身であるから、やがては身を隠す時が来る。形がなくなっても、どこへ行くのでもない。金光大神は永世生き通しである。形のあるなしに心を迷わさないで、真一心の信心を立てぬけ。美しい花を咲かせ、よい実を結ばせてくださる。

361.人民のため、大願の氏子を助けるため、神が金光大神を身代わりにさせる、金光大神のひれいのため。