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第四章 信心の実践

第二節 信心の心得

5 先の楽しみ

252.悪いことを言って待つなよ。先を楽しめ。

253.悪いことを思い出して苦にするな。今日が大切である。先を楽しめ。

254.若い時の信心は、老いての楽しみである。


第四章 信心の実践

第二節 信心の心得

6 辛抱・堪忍

255.何事も辛抱が大切である。信心においてはなおさらのこと、辛抱が弱くてはおかげが受けられない。中には、やけを起こして信心をやめる人がある。気の毒なことである。 車でも心棒が弱ったり折れたりしたら、車が回らない。辛抱をしないで幸せを得た者は、あまりない。漁師でも農民でも商人でも、辛抱のない者は出世ができない。漁師や農民には風雨の天災があり、商人は損をしたりして、不幸せなことがある。それを辛抱していかなければ、幸せにはなれない。 信心するにも辛抱が大切である。その証拠には、神殿のお扉を開いてみよ。ご幣か、み鏡のほかは何もない。ただただ、信心の辛抱でおかげが出るのである。神からおかげが出ると思わないで、信心からおかげが出ると思って、信心の辛抱を強くせよ。

256.桜の花の信心より、梅の花の信心をせよ。桜の花は早く散る。梅の花は苦労しているからすぐには散らない。

257.信心をしていても、なぜおかげがないのであろうかと思ってはならない。たとえば、麦をまいて肥料をやっておいても、正月ごろには、肥料をやらないのとまったく変わらないが、春先になると、肥料をやったのはずっと伸びてくる。信心もそのとおりであるから、怠らないで、一筋の心でせよ。

258.信心をして、おかげがあるとかないとか言うけれど、十年辛抱すればどんな者にでもおかげをくださる。

259.信心する人は、腹の立つことがあっても腹を立てないようにせよ。腹を立てては家の中に不和を起こすし、人とも仲違いをする。世間を見よ。後にはわが身を滅ぼす者がある。これは堪忍が足らないのである。堪忍は、ごく大切なものと心得よ。

260.堪忍はよくできても、腹の立つのをおさえこんでいるのでは気分をいためる。それでは、まだいけない。もう一つ進んで、腹の立つということを知らないようになれ。そうすれば、身の薬である。

261.信心する人は、十人の股はくぐっても、一人の肩は越すな。

262.負けてこらえておれ。負ければ損をするからばからしいと思うかも知れないが、神がまた、くり合わせてやる。そして、人からもよい人と言われるようになり、身に徳がついてくる。

263.理屈があっても、みなまで言うな。理屈とくさびは八分詰め。詰め過ぎると紙袋は裂ける。あいよかけよで世は治まるのである。

264.信心の浅い時には、人から悪しざまにそしられるとすぐ腹が立って、こらえきれないで、しっぺ返しのようなことをする。しかし、信心が少し進んでくれば、人からそしられると、腹は立つけれども、信心しているからと思ってこらえられるようになってくる。信心がずっと進んでくると、人からそしられても腹が立たない。腹が立つどころか、かえってその人が気の毒になる。

265.堪忍することをよく心得ておれ。堪忍さえ強かったら人と仲違いをすることはない。「ああ、ふびんなものだ。私はこうしてこらえているが、信心する心のない者は、ああいうことを聞いては青い顔をするであろう。そういう人は、神に願って、直してもらってあげたいものだ」という気になっておれ。


第四章 信心の実践

第二節 信心の心得

7 我欲・油断・慢心

266.我情我欲を放して真の道を知れよ。

267.目先の欲を放して、先々の徳をいただけ。

268.猿も木から落ちる、弘法にも筆の誤りという。木に登っても、危ない危ないと思っていると、用心するからけがはないが、少し上手になると、大胆になって大けがをしたり命を落としたりする。慢心は大けがのもと、健康であっても信心の油断をしてはならない。

269.坂道を九分どおり登って、それで安心してはいけない。その坂を登り切って向こうへおりたら、それで安心せよ。途中で気を緩めると、すぐに後へもどる。

270.人間は、財産ができたり、先生と言われるようになると、頭をさげることを忘れる。信心して身に徳がつくほど、かがんで通れ。 とかく、出るくぎは打たれる。よく、頭を打つというが、天で頭を打つのが一番恐ろしい。天は高いから頭を打つことはないと思うであろうが、油断をするな。慢心が出るとおかげを取りはずす。

271.おごりがましいことをするな。ものは、細くても長く続かなければ繁盛でない。細い道でも、しだいに踏み広げて通るのは繁盛である。道に草を生やすようなことをするな。

272.習ったことを忘れてしまっても、それで師匠が得をすることはない。覚えていて、あの人のおかげで、ここまで出世ができたと言えば、それで恩を返すことになる。信心をしても、おかげを落としてしまっては、神は喜ばない。おかげを受けてくれれば神も喜ぶ。金光大神の話を聞いて、それでおかげになれば、金光大神も喜ぶ。人がおかげを受ければ、神も喜び、金光大神も喜び、人も喜ぶ。


第四章 信心の実践

第二節 信心の心得

8 思いやり

273.真の信心する人を見よ。慈悲深くするから、おかげで無病息災、諸事よいことが子孫へ続く。信心する人は慈悲深くして、真の信心をするがよい。

274.金光様は、 「日に日に悪い心を持つなよ。人に悪いことを言われても、根に持ってはいけない」 と言いぬいておられた。私が「それでも、向こうが悪い心を持って来れば悪い心になります」と申したら、 「それでも、悪い心を持ってはいけない。よい心を持っているようにせよ」 と仰せられた。

275.人にはできるだけのことをしてあげ、人に物をあげたくてしかたがないという心を持ち、自分だけよいことをしたいというような心を持つな。

276.どんな物でも、よい物は人に融通してあげれば人が喜ぶ。それで徳を受ける。人に物をあげる時でも、自分によい物を残しておくようなことではいけない。たとえ前かけ一枚でも、よい方をあげ、悪い方を自分が使うようにせよ。

277.信心する者は犬や猫にまで憎まれないようにせよ。また、犬や猫にまでも敵をつくるな。

278.ある年の夏にお広前にお参りすると、山蟻が何匹となくご神前の方へ這って行くので、お供え物にでもついてはならないと思い、「金光様、蟻がたくさんまいります」と申しあげると、 「はい、蟻も参詣いたします。参詣すると、おかげをいただきます」 と言われただけで見向きもされなかった。

279.「苗代にひきがえるが入って卵を産んで困ります」と願う者に対して、金光様は、「よそでは封じると言うが、うちでは封じない。かえるに、あぜで遊んでもらうようにすればよい。うちの田に入らないようにすれば、よその田に入るから」と教えられた。