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第三章 信心とおかげ

第二節 おかげ

128.真にありがたいと思う心は、おかげのはじめである。

129.だれでも、不幸災難に遭って困りきっている時に助けてもらったのは、この恩、このおかげを一生忘れられるものかと言うが、日に日に授かっているおかげは、案外知らないでいる。神のおかげは、生きているから死んだからではない、いつも受け通しである。

130.信心していれば、目に見えるおかげより目に見えないおかげが多い。知ったおかげより知らないおかげが多い。後で考えてみてはじめて、あれもおかげであった、これもおかげであったということがわかるようになる。そうなれば本当の信者である。

131.みな、おかげをくださいと言うが、果たして本当のおかげを知っているのか。自分の思うとおりを聞いてくださるのがおかげとは限らない。死んでおかげの者もあり、命をつないでもらっておかげの者もある。すべてこの世のことは天地金乃神のご支配であるから、神に任すよりほかはない。 信心していれば、その時は都合が悪いようでも、神の仰せにそむかないでいると、後になってから、あれもおかげであった、これもおかげであったということがわかってくる。これがわかるくらいの信心をしなければ、信心するかいがない。

132.広大なおかげというが、おかげとはめいめいの真に映る影のことであるから、神に大きな真を向けてみよ、大きなおかげがわが身にいただける。小さな真で大きなおかげはもらえない。影は形に添うと決まったものである。

133.おかげはたらいの水である。向こうへやろうとすれば、こちらへ来る。こちらへ取ろうとすれば、向こうへ行く。

134.無常の風は時を嫌わないというが、金光大神は、その無常の風に時を嫌わせてやる。 病気の程度に合わせて生きるか死ぬかの見立てをするのは、医者である。これでは生きられないと、医者が手を切ったら、死ぬのである。そのように医者が手を切った者でも、天地金乃神のおかげをいただいて助かったら、無常の風が時を嫌ったことになるであろう。

135.神の心にかなった者が少ない。財産と人間と健康とがそろって三代続いたら、これが神の心にかなったのである。神の心にかなわないと、財産もあり力もあるが、健康でない。健康で賢くても財産をなくすことがあり、また大切な者が死んで、財産を残して子孫を絶やしてしまう。神のおかげを知らないから、互い違いになってくる。信心して神の大恩を知れば、無事健康で子孫も続き財産もでき、一年まさり代まさりのおかげを受けることができる。

136.めでためでたの若松様よ、枝も栄える葉も茂る、というではないか。金光大神は子孫繁盛、家繁盛の道を教えるのである。

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