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第一章 神と人間
第一節 神 1.天と地の間に人間がいる。天は父、地は母である。人間、また草木など、みな天の恵みを受けて、地上に生きているのである。 2.天地は生き通しである。天地が生きているから、人間もみな生きていられるのである。 3.天地金乃神は、昔からある神である。途中からできた神ではない。天地ははやることがない。はやることがなければ終わりもない。天地日月の心になることが大切である。信心はしなくてもおかげは授けてある。 4.神は人間の本体の親である。信心するのは親に孝行するのと同じようなものである。 5.天地金乃神は人間の親神である。かわいいわが子を、どうして難儀に遭わせなさるであろうか。わが子をもって納得するがよい。 6.わが子のかわいさを知って、神が人間をお守りくださることを悟れよ。 7.目には見えないが、神の中を分けて通っているようなものである。畑で仕事をしていようが、道を歩いていようが、天地金乃神の広前は世界中である。 8.天地金乃神が社に入られたら、この世は暗闇になる。神の社は、この天と地である。 9.天地金乃神のご神体は天地である。宮社に鎮まり納まっておられるのではない。真一心の心に神がおられて、おかげになる。 10.大阪からお参りしたある信者が、「金光様、大阪は広うございます。四区二郡に分かれておりますから」と申しあげたら、 「大阪は広いなあ。しかし、神から見ればけし粒よりは少し小さかろう」と仰せられた。 11.人は十年は長いように思うけれども、神にとっては、あちらを向いてこちらを向く時間ほどもない。 12.神は声もなく、形も見えない。疑えば限りがない。恐れよ。疑いを去れ。 13.天地のことをあれやこれやと言う人があるが、人間では天地のことはわからない。天地のことが人間でわかれば、潮の満ち干もとめられよう。 14.天地金乃神は、幾千万年、天地のある限りただ一つであるけれども、ほかの神は年々に増える。 15.天地金乃神は、神、仏をいとわない。神道の身の上も仏教の身の上も、区別なしに守ってやる。神道も仏教も天地の間のものであるから、何派かに派などと、宗旨論をしたり、凝り固まったりするような狭い心を持ってはいけない。心を広く持って、世界を広く考えていかなければいけない。 16.伊邪那岐、伊邪那美命も人間、天照大神も人間であり、その続きの天子様も人間であろう。神とはいうけれども、みな、天地金乃神から人体を受けておられるのである。天地の調えた食物をいただかれなければ命がもつまい。そうしてみれば、やはりみな、天が父、地が母であって、天地金乃神は一段上の神、神たる中の神であろう。 17.これまでは、忌み汚れを言う神ばかり。忌み汚れを言っていては、人は助からない。天地金乃神は、忌み汚れを言わない神である。ここをよく悟ることが大切である。 |