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礼を言う心

 Aさんは五十五才で脳溢血で倒れましたが、神様のおかげで、元の身体になり、元気に働いていましたが、六十五才で再び脳溢血で倒れ、半身付随の寝たきりの状態になりました。

 ご家族の手厚い看護を受け、日々お礼の生活をしていました。市より、週一回、男女ニ人のヘルパーさんと看護婦さんが風呂へ入れて下さいます。Aさんはそれを大変に楽しみにしています。
 ある日の入浴の日でした。丁寧に入浴させて下さり、Aさんはヘルパーさんと看護婦さんにお礼を言いました。すると、女のへルバーさんが

 「この人は、前に2階でやすんでおられたのでは? 一年前、私が初めてヘルパーとして、お世話させて頂いたのが、この方です。実は、ボランティアとして、ヘルパーを志し、研修を受けてなったのですが、初めて、実際に入浴のお世話をしましたが、大変に重労働で、フラフラになり、これではとても勤まらなーと思い、せっかく志したのですが、止めようと思いました。やっとのことで、入浴のお世話を終えたとき、この方が不自由な身体で両手を合わそうとして、私を拝んで下さるのです。

『有り難とうございます。有り難うございます。お世話をかけました。気を付けてお帰り下さい。』と言われたのです。

 ヘルパーの仕事は無理だと思っていた私は、身体中に電気が走るのを覚えました。こんなに喜んで頂くなんて、仕事宴利に尽きる。これはぜひとも、ヘルパーの仕事を続けさせて頂こうと決心したのです。この方のおかげで、ヘルパ…の仕事を続けることが出来たのです。有り難とうございました」

 女のヘルパーさんが、涙を流してAさんにお礼を言われました。
 周りにいたご家族も涙を流し、お礼の言い合いが生まれました。


 Aさん一家は金光教の信心を熱心にしています。金光教では、『お世話になって生きている自分、お世話にならねば、生きてゆけない自分』『お世話になる全てにお礼を言って生きる稽古』をモットウとしています。Aさんは元気な時から、『お世話になる全てにお礼を言って生きる稽古』をしていました。

 生身の人間ですから、病気になることもあります。不自由な身体になると、身の不幸を嘆き、愚痴不足が出るものです。Aさんは不自由な身体なりにも、命を頂いているお礼を申し、世話をしてくれる家族に手を合わせ、見舞いに来てくれる人にお礼を申し続けています。寝たきりの人を抱えた家ですが、何時も明るい笑い声が聞こえてきます。

 寝たきりの何も出来ない人でも、接する人に生きる力と希望を与えることが出来ます。役に立つことが出来ます。Aさんはへルパーさんに生きる力を与えました。役に立ってこそ人間、人が人を助けてこそ人間です。自分の心一つで、自分も助かり、周囲の人々も助かるのです。


 しかし、そのようなことはなかなか出来るものではありません。
人間は調子の良い時は、人を下に見、調子が悪くなると、世を恨み愚痴不足になりやすいものです。なかなか『お礼の心』が出るものではありません。
 自分の心の中に入って下されている神様がお働き下されてなれるものです。心の中の神様がお働き下されるための稽古をしてこそなれます。
いかなる状態になっても、明るく楽しく、生き生きとしたいものです。

(H6.6.27 一般配布158号)




一通の手紙

 五年前のことです。母に老人性痴呆の兆候が現れはじめ、妻までガンに倒れたのです。二人の看病に疲れはて、これからどうやって生きていけばよいのかと、悲しみにくれました。

 そんなある日、私は、母が以前元気だったころ、何度かつれられていった、金光教の教会におまいりしました。私が神様にじかにお願いして、何とか救ってもらいたい、という一念からでした。

 教会に参拝すると、事情を聞いて下さった先生が、ご祈念のあと、数枚の紙切れを私に見せてくれました。数年前、二十五才の若さで、難病におかされた女性が、亡くなる数日前、家族に書いた手紙だということです。死期を予感していたのか、まるで、まだ字も読めぬ二人のわが子と夫への遺言のようでした。


 「おまえたちに
 お母さんは小さいころから春が好き、春になると私は生き返った。れんげ畑のやさしい日ざしの中で歌ったり、いろいろな空想をしたりするのが好きだった。今でもそのころの私と少しも変わっていない。だから、いっそ死ぬなら春がいい。春の暖かい日ざしの中でお葬式をあげられれば、こんな悲しい心も少しはなごむだろう。

 こうして、子どもたちは何も知らないで、れんげ畑の中でチョウたちと遊んでいるだろう。私が春のすべてを愛したように、この明るくやさしい春を愛せる人間になってほしい。それが何もしてやれなかったお母さんのせめてもの、おまえたちに残すことばです。

…………中略…………


 お父さん、お母さん……
 あなたたちは幸福になってもらいたい。……けんかしながらでも、二人共、白髪頭になるまで、生きてこられたではないの。私はうらやましい。今の私には未来が見えない。けんかしながらでも、たとえ歩けなくなっても、夫、こどもたちと長い道を歩いていきたい。ただそれだけの願いなのに」


 私は食い入るように、その場で何度も何度もその手紙を読み返しました。そのうち、健康だったころの彼女の姿と、病とたたかう姿とが、重なるように脳裏に浮かんできました。そして、死を目前にしての、「何としてでも生きたい、助かりたい」という切々とした願いにふれ、かけがえのないいのちを頂いていることの尊さと、生きることの厳しさを思いました。
 それと共に、親としてどこまでもわが子のことを思う心、夫や両親のことを思いやる心に、私たち人間に限りない慈しみを注いでくださり、人間の助かりを願われめ神様のみ心が重なって、いっそう胸を打たれました。

 私は、先生に申し上げました。
 「私たち一家をお守りくださる神様のお心も分からず、自分勝手なお願いばかりしておりました」
 すると先生が、

 「神様のお恵みが見え、神様のお心が分かるようになれば、あなたの中に神様が生きて働いてくださいます。あなたが頂いている神心を、精一杯現して、お母さんを助け、奥さんを助けていきなさい。
 きっと、神様が、がんばらせてくださいます」

とお話しくださいました。

 手紙を読み、先生のお話しを聞いて、自分一人でなんとかしなければという力みが消え、心が軽やかになりました。それから、参拝するたびに、神様にお礼を申し上げ、「何とか家族を支えさせてください」と祈り続け、できるかぎりの看病をしました。
 あれから五年の月日がたちました。母の痴呆症はおさまり、八十歳をこえて心身共に健康、妻は手術後の経過もよく、退院後は、以前にもまして元気にがんばっています。

(H7.3.17 一般配布167号)

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