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雪の下

 先日、山陰地方へ一泊二日で旅行することが出来ました。一日は大変に晴れ渡り、青空の中、冬の日本海の荒波を見ていました。二日目、朝起きると一面の銀世界で、大阪に住んでいる私にとっては、大変に美しい景色を見せてもらいました。旅館の露天風呂に行くのに、真っ白な雪の上を下駄を履いて行くと、正に『二の字二の字下駄の跡』と歌われているとうりです。ゆっくりとお湯につかり、木々の枝に積もった雪を鑑賞して、心ゆくまで、温泉を楽しみました。

 朝食の時、世話をして下さる宿の女性に「素晴らしい雪景色ですね」と言いますと、
 「はい、見ているだけでなら美しいのですが、生活する者にとると、大変に始末の悪いものです。雪下ろしや道の除雪だけではなく、交通事故を起こしたり、滑ったりして、大きな怪我をすることもあります。買物に出るのも大変です」と、溜め息をつかれました。

 さらにその人は「積もっている時はきれいですが、溶けだしたら、ドロドロになり、今まで雪で隠れていたゴミが出てきて、汚いものです」と言われたのです。

 旅人の私には美しい雪景色しか見ていませんが、そこで生活される人達にとると、重たい重たい雪なのです。

 その女性が言った『今まで雪で隠れていたゴミが出てきて、汚いものです』の一言が心にとまりました。雪が溶けてドロドロになることは分かりますが、雪の下にあるゴミのことは分かりませんでした。

 美しい純白の雪の下に、汚いゴミが隠されている。この一言は、今の日本の政治、経済、会社、学校、家庭と、あらゆる社会の実体のように思えました。いや、社会だけではなく、私を含めて、今の日本人は、文化的生活をし、豊かな物質に囲まれ、男性は名刺の肩書きを書き連ね、高級車に乗りつけて、立派な装いをし、女性は流行の服を着て、きれいにお化粧をして、正に紳士淑女のようです。

 しかし、そのうわべの雪が溶けた時、何が顔を出すでしょう。
政治の社会は今、ニュースに出ている通りの状熊です。会社も長年功績のあった人を平気で人員整理をする。学校もまた教師の不始末、いじめの問題、家庭の中も家庭内別居というありさま。
 さらに、一人一人にしても、生きる目的や気概に乏しく、肥満化し、軟弱化した精神、とても美しい日本の姿ではないように思えてなりません。

 うわべはきれいな雪であっても、雪は必ず溶けます。うわべの飾りはとれます。その時、その実態が現れてきます。雪が溶けても、しっかりした実態のある人間でありたい、日本でありたいと願はずにはおれません。
 日本人が忘れてしまった言葉に『質実剛健』というのがあります。この言葉をもう一度かみしめたいものです。

(H5.2.26 一般配布142号)




新入社員

 今年、短大を卒業したA子さんは、ある商社へ就職することが出来ました。ところが……
 「先生、せっかく就職したのですが、会社へ行くのが嫌になりました」と言ってきました。
 「さっそく、五月病かいな……。困ったことやな。何が原因やねん?」

 「研修が終わって、現在の事務所に配属なったのですが、みんな、私のことを無視します。仕事をさせてくれません」

 「仕事の分担、決まってるのやろ?」

 「決まってたんですけど、課長さんが、他の人にさせるのです」

 「それは、何かあんたに原因があるな」

 「先生、私は研修で習った通り、ちゃんと仕事してました」

 「あんたはちゃんと仕事をしているつもりでも、課長さんから見ると、仕事になってへんのと違うか? 課長さんから注意されたこと無かったか?」



 A子さんは、この一月の出来事を色々と話しました。
 課長から、得意先へ礼状を書くように指示され、ワープロで打って提出した。課長はペンで書き直すように指示した。彼女は『研修ではワープロでもよいと教えられた』と反論した。課長はそれでも書き直すように指示したため、彼女はシブシブペンで書き直して提出した。ところが、彼女は『丸字』で書いてきたのである。課長はカンカンに怒って、他の事務員にその仕事を回した。彼女は今まで『丸字』で通用していたので、『丸字』しか書けないようになっていた。

 そのような事があって後、課長は次々と彼女に仕事を言いつけるようになった。その都度、色々と注意をされる。仕事に慣れていないので遅い。一つの仕事が終わらないうちに、次の仕事を言われる。
 彼女は俺神的にフラフラになってしまい、課長に反抗するようになった。そのような経緯で、彼女に仕事が回って来なくなったようである。



 「あんた、エエ勉強さしてもろてるな」

 「なんで、私ばかりイジメられるの。あんな会社なんか、行きたくありません」

 研修はアウトラインの勉強であって、どちらかと言えば、形にはまったものである。現場は生き物であり、相手によって様々に変化をする。それに対応出来てこそ、仕事をしていることになる。相手に対応するということは、自分の『我』を出さない稽古が大切である。
 人生とは、生きる現場であり、これは会社に限ったことではない。人生には『信念』が大切ではあるが、『信念』とは人生の生きてゆく『方向』と『質』のことで、頑(かたくな)になることではない。現場では、常に色々な人との関係があり、また、事柄に出会うものである。頑(かたくな)になっていては、生きてはゆけない。
 このような内容を彼女をさとした。

 「あんた、今、この勉強をしておくと、良い結婚生活ができるで。いくら愛していても、主人は自分の思う通りにはなってくれへん。主人には主人の物の見方や立場がある。自分の考えで決めてかかることは出来へん。それを無理に自分の考えを押しつけると、主人の首を締めることになり、結果はバツ1、バツ2というようになってしまう。

 また、子供が出来ても、親の思う通りに子供はなれへん。一生懸命に育てて、子供に裏切られるよになってしまう。

 しかし、なかなか、自分を抑えたり、相手を理解することは難しいものや。そこで、人に向ける心を神様に向けるんや。すると、神様があんたの心の中に入って下さり、大きな心にしてくれはる。
あんたの心の中で神様が働いてくれはるんや。すると、相手も助かり、自分も助かることになる」


 「先生、もうー度、頑張ってみます」

 彼女の顔に明るさが出てきました。

(H6.5.24 一般配布157号)

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