■■■ 扇町教会メールマガジン ■■■ No01〜09のメールマガジン
No10〜19のメールマガジン
No20〜29のメールマガジン
No30〜39のメールマガジン
No40〜49のメールマガジン
No50〜59のメールマガジン
No60〜69のメールマガジン
No:9 ●あなたはどんな人?
「あの人は、気の短い人だ」「あの人は、気の長い人だ」「あの人は、ズルイ人だ」「あの人は、賢い人だ」「あの人は、ガンコな人だ」「あの人は、……な人だ」と、人を評価します。いろいろな評価があります。自分の知らないところで、自分では思ってもみない、とんでもない評価をされているかも、知れません。さて、あなたご自身をどのような人と評価していますか?、ひょっとすると、人にされる評価と違っているかも……。
○
『すがすがしい人』
先日、久しぶりに『すがすがしい人』にお会いしました。こちらまですがすがしくなりました。
その人は金光教○○連合会フォーラムのお世話をしておられる、Aさんです。
Aさんがご本部参拝の帰り、扇町教会へ参拝に来られました。それは、連合会フォーラムの研修会の講師の依頼でした。
その参拝の時のことです。Aさんがお広前に上がり、カバンの中から賞状のようなものを出されて、お結界に来られました。その賞状には、Aさんが県警の警部補であること、県警の本部長より褒章されているものでした。それでAさんが警察官であることが分かりました。フォーラムの研修会の講師の依頼の話しが終わり、褒章の話しになると、Aさんは
「今日まで、まず、健康で勤務をさせて頂き、本当に有難いことでした。まして、このような褒章を頂けるなど、夢のようです。これも一重に母親の信心のおかげ、金光様、親先生のお導きのおかげです。そこで、今日は母親と共にご本部へ参拝させて頂き、金光様に賞状を見て頂きました。」
とのことでした。そこで、警察の勤務の話しになりました。
警察の組織には刑事課や少年課、鑑識課等があり、それぞれ大切な公務がなされています。そのような警察の組織の中、Aさんは、県の県庁所在地の市警察署に三十数年間、交通安全課一筋の勤務をされているそうです。警察では、定期的に部所の移動があり、その希望も上申することが出来るそうです。
そのような中、Aさんは、交通安全課一筋です。それは、今日の車社会にあって、交通取締りをするよりも、市民の皆さんの交通安全を守り、事故より命を守ることが出来ればとの願いでした。
○
Aさんが警察官の職を選んだのは、過疎の村の駐在所の警察官を描いた映画を観たからです。村人の安全を守りつつ、村人と共に生き、その人達の生活の世話までし、苦楽を共にして生きる『駐在さん』の映画でした。三十数年前の青年のAさんは、これこそ、『お役に立つ生き方』として、警察官一筋、それも直接に市民と交わることの出来る交通安全課一筋の人生を歩んでおられます。
Aさんは、あと二年ほどで定年退職だそうです。最後の部署の転勤希望に、県の過疎の村の駐在所の勤務を上申されました。上司の方が『それでは、降格になる』(警察の組織は、縦割りの組織でもあり、位の上下、勤務先の上下が厳しい組織です。同じ警部補でも、市警と村の駐在所とでは、格段の差があります)とアドバイスをしてくれました。それでも、駐在所の勤務を希望されたそうです。
○
このように、たんたんと語られるAさんは、警察官の誇りと、権威の組織の中にあって、権威にならず、まさに『すがすがしい人』でした。この道の信心は、このような人を生み出すのだと思いました。
【平成14年3月号「光道」巻頭言より】
No:8 ●気
『気』を使っている熟語を思いつくままに挙げてみましょう。
元気・活気・病気・やる気・弱気・本気・気力・無気力・気鋭・気骨・気分・気品・気合・豪気・士気・平気・血気・語気・呑気・陽気・霊気等々。
広辞苑で『気』を調べてみると様々な意味に使われていますが、その中で、『生命の原動力となる勢い』『心の動き、状態』の意味がありました。思いつくままに挙げてみた熟語に共通する『気』の意味は、これを元とした言葉のように思われます。
人間の『心の動き』については、心理学や精神医学、深層心理学、カウンセリングなどによって、段々に解明されていますが、『気』につていは、分かったような、そうでないようなものであり、それでいて、人間が生きてゆく上で一番大切なものが『生命の原動力となる勢い』であります。
生きようとする個々の命、また、生かそうとする天地の働きが働き合って、『生命の原動力となる勢い』となるのではないでしょうか。それは、肉体的な命のみではなく、人間として人生を生き抜く『原動力となる勢い』を生み出すものでしょう。
○
教祖様は、『この方のしんじんは、信じる心と書くのではない。神・人と書いてしんじんという』と教えておられます。普通の『信心』では、人間側の一方的な願いだけを神様にお願いしているだけで、人間の都合ばかりです。それでは、『生命の原動力となる勢い』が生まれません。
個々の命に頂いている『原動力となる勢い』なる『気』を、生かそうとする天地(神様)の『生命の原動力となる勢い』である『神様の気』にぶつけてゆくことです。そこに、神と人との生きた関係が生まれてきます。
扇町教会では、『うれしく』『楽しく』『ありがたく』日々を過ごせることを願いとしています。これは、扇町教会の信奉者だけに限りません、誰でもそうです。このような生き方になるには、『良い巡り合わせ』を頂いてゆかねばなれません。そのためには、神様に働いて頂かねば、『良い巡り合わせ』にはなりません。そこで、『天地金乃神様・生神金光大神様と出会い』と願いを立てています。
お道の信心の大切なことに『おかげはわがこころにあり』と教えて頂いています。『こころ』となると、『ただ思っています』ということになりやすいです。それでは神様に出会いません。『気を入れて』の『わがこころ』です。たんに、思っていますでは、『気』が入っていません。
自分の『生命の原動力となる勢い』の『気』を入れてこそ、神様に出会うのです。すると、『参る』『聞く』『祈る』『報恩奉仕』の具体が生まれてきます。また、この『参る』『聞く』『祈る』『報恩奉仕』に『気』を入れてさせて頂くと、『神様の気』が動きだします。『神様の気』と『自分の気』が響き合うところに、不思議なお働きが生まれてきます。
【平成14年2月号「光道」巻頭言より】
No:7 ●平成14年信心のモットウ
『真にありがたしと思う心、すぐにみかげのはじめなり』
新年あけましておめでとうございます。
365日の始まり、今年一年間、あなたの身の上に、ご家族の人、関わりある人達に身の上に、天地の神様の神徳に包まれますよう。起こり来くる問題や事柄は『大難は小難、小難は無難にお祭り替え』を頂き、『良い巡り合わせ』を頂きますよう。それぞれが受け持たせている、お仕事や勉強の上に御都合御繰合せを頂き、生き生きと取り組むことができますよう、ご祈念させて頂きます。
平成十四年 信心のモットウ 『真にありがたしと思う心、すぐにみかげのはじめなり』
家内の正子が昨年の11月16日、右足の膝の裏の骨を剥離骨折をしました。
昼の月例祭が終わり、午後四時頃、近所の保育園へ孫の眞美を自転車で迎えに行きました。眞美を自転車に乗せての帰り道、ダンボールを集めてた抱えているホームレスのお年寄りが、自転車の前をよたよたと歩いており、そのためにハンドルを取られて転倒しました。
おかげで、孫の眞美は無傷でした。家内は自転車を押しながら帰ってきました。
(300mほど。家族の者が言うには、この日の数日前、『人の身体は骨折した時、安全な場所に避難できるように、その痛みを和らげるホルモンが患部に集中して働き、一時間ほどは痛みを感じない。』ということをテレビの番組で放映していたと言いました。本当に有難いことです)。
一時間ほどすると、足は腫れあがり、激痛が襲ってきました。直ぐに骨折と認められ、病気へ搬送、レントゲンを撮り、そのまま入院。全治2カ月ということでした。
本人は、骨折をし、痛い目をして気の毒ではありますが、私はこの『全治2カ月入院』と決まった時、入院の準備をしつつ、『神様、有難とうございます。家内に休憩を与えて下さいました。これで家内は生き返ることでしょう』と、何度も/\もお礼を申しあげました。
と言いますのも、結婚以来33年、家内は休憩を取ること無く、365日、教会の働きの中心となり、働き詰めに働いてきました。20代から、早や60才前の年齢になっても、若い頃以上に動こうとします。更に、孫七名の世話です。幾度も『加減をするように』と勧めるのですが、とりつかれたように動こうとします。
今年の秋の大祭(10月28日)には、準備の段階から、現場(教会)から休養として他所(保養所とか、国民宿舎等)へ移るように勧めたのですが、とても言うことを聞きません。これでは、復帰不可能な倒れ方をするだろうと思っていました。
○
家内の体のことを日々『健康諸願成就』でご祈念させて頂いていると、この度の『骨折』です。
『アッ、神様が動かれた!』と思いました。ひたすら、二カ月間、ベットで寝るしか仕方がないのです。一カ月を経ると、顔つきが病人から、健常者の顔色になりました。本人が『入院前は、血尿が出ていたが、今は、通常の尿になっている』と喜んでいました。そればかりか、娘の浩美が主婦としての自立した働きに挑戦し、ボチボチと練習が出来ているのも有難いことです。年末年始の準備(家内がしていたこと)も張り切ってしてくれました。これまた、有難いことです。
このように、常に神様へ心を向け、お願いをさせて頂いていると、神様が働いて下さるのです。起こってくることが、神様の『愛の現れ』なのです。『おかげの証』なのです。
そのためには、日々の生活の中で、『神様、有難とうございます』という感性を身につけておかねばなりません。この神様を感じる感性がなければ、せっかくの神様の『おかげの証』も愚痴や不足の対象となることでしょう。
今年の信心のモットウ『真にありがたしと思う心、すぐにみかげのはじめなり』は、この『神様、有難とうございます』という感性を身につけて、大変な時代の変革期を神様のお力を頂き、無事に乗り切るだけではなく、起こり来る問題や事柄を通して、より大きな人生を頂くためのものです。
【平成14年1月号「光道」巻頭言より】
No:6 ●いろいろあったが……
今年もいよいよ、十二月を迎えました。いろいろとありました。
春に発足した小泉首相は『聖域なき構造改革』を唱えて取り組もうとした矢先、イスラムによるテロが発生、テロ対策に追われている間に、大変な不況と倒産、リストラ、失業。
世の中、狂ってしまったのか、池田の小学校への乱入、殺傷。外務省の汚職……。
さらには、追い打ちをかけるように、狂牛病の発生。
マアー、今年ほど、暗いニュースや、『エッ!』と驚かされたり、目を覆いたくなるような事件が重なった年も少ないだろう。
最近は世の中が狂っている、何かが狂っている、ちょっと良識のある人なら、皆、そのように感じている。
ニュースで事件を知ることにより、そのように思う。
それならば、事件のニュースを知らなければ、そのように感じないのであろうか……。
○
・二十才の娘が、夜の十一頃に帰宅した。母親が「こんなに遅くまで、何してたの!」と叱った。
すると娘は「まだ、十一時やないの、遅くないわよ」
・電車に乗ると、若い子だけではなく、中年の男性まで、
一斉に携帯電話のメールを見たり、メールを打ち出す。
・若い娘さんが、くわえタバコで街を行く。
・「娘も二十六才になり、どうか、良いご縁を」と、お母さん。
娘は「やめて、結婚の話しなんか」。
・「お仕事は?」と聞かれ、にっこり笑って「フリーター」です。
・「私、出来ちゃった婚よ」と平気で言える。
「私なんか、バツ2よ、3回目の出来ちゃった婚するのよ」
・ハンバーガーをかぶりつつ、若いお母さん、子供の手を引いて歩いている。
(以前は、立って、歩きながら、ものを食べるなんて、とんでもないことであった)
・買い物袋をさげ、胸を張って大きな顔を歩くのは、中年の女性。
頭を下げ、下を向いて歩いているのは、中年の男性。
・レジャービルのローカや階段をモップで拭いているのは、初老の人。
そのローカを、キッャキャ/\と言って入ってくるのは、茶髪の十代。
○
世の中、身近なところから変わってきましたね。
気がつかない内に変わっています。
大切なことを見失わないようにしたいものです。
No:5 ●『助かってくれ!』は神様の叫び
『神は人間を救い助けてやろうと思われ、このほかには何もないのであるから、人の身の上にけして無駄事はなされない。信心しているがよい。みな末のおかげになる』
このおことばは『神様の叫び』であります。神様は人間が助からず、苦しんでいるのが、いちばん辛い、と言っておられます。信心は何も難しいことではないのです。この『神様の叫び』が聞こえるかどうかです。人は難儀をすると自分一人が苦しんでいるように思うものです。けして、そうではありません。神様も泣いておられるのであります。
この『神様の叫び』が聞こえると、今、都合よく生活をしている人も、神様と共に生きるようにして下さい。そうすれば、いろいろに起こってくる難儀や問題も、解決できる道と、エネルギーを頂くことができます。大騒動が起こってから、あわてて神様を拝んでも、問題に振り回されているので、なかなか『神様にスイッチON』にはなりにくいものです。
今、悩み苦しんでいる人は、一人で背負い込まないで下さい。『どうしようもない問題』であっても、神様の膝で泣いて下さい。人前で泣けなくても、神様の膝で泣けば、あなたの悩み苦しみ、痛みを共に泣いて下さる神様です。神様の膝で泣くと、あなたが立ち行くように、導いて下さいます。
○
この神様は何故、そのように助けて下さるのでしょう。
普通、皆が神様と思っている神様は、キリスト教やユダヤ教、イスラム教の人々が信じている神様、『全知全能の神』『絶対の支配者の神』か、日本人が昔から拝んでいた、村の氏神様、勉強の天神様、商売のお稲荷様、富士山や阿蘇山等の高くて大きな山の神様。そのような神様を神様と信仰したり、尊んだりしてきました。
金光教祖様が信心された神様(天地金乃神様)は、そのいずれの神様でもありません。人間の支配者、絶対者ではありません。また、日本人が昔から拝んでいた神々でもありません。
一人々の人をかけがえの無い『神の氏子』として、体と『神の分霊』を与えて、日々刻々に生かしておられる神様です。この神様は、天地の大生命の営みを巡らせておられる神様です。信心する人も信心しない人も、他宗の人も、全ての人を、天地の大生命の営の巡りの中に、慈しみ生かしておられます。
このように、『神の氏子』として、慈しみ生かしておられる神様ですから、『助かってくれ! は神様の叫び』なのです。
信心するということは、『神様と関係を持つ』ということです。どのような神様に、どのように関係をもつかによって、助かり方が違ってきます。
教祖様が信心された神様(天地金乃神様)を信心させて頂くことにより、天地の大生命の営みの巡りを、『良い巡り合わせ』にして頂き、抱え持つ問題や難儀の助かりだけではなく、人生そのものに助かの道付けを頂くことが出来ます。
この神様は、『身の上のこと、何なりと実意をもって願え』と、人間の生きる上に起こってくる全ての問題に応えて下さいます。天地の大生命の営みを巡らせておられる神様ですから。
○
教祖様は、人の世に初めて、この神様のご存在に出会われました。教祖様のご信心によって、この神様が世に出られたのです。そして、人類は初めて、抱え持つ問題や難儀の助かりだけではなく、人生そのものに助かの道付けを頂くことが出来ようになりました。
そこを神様は教祖様のことを『神からも氏子からも両方からの恩人』と讃えられました。
教祖様は明治十六年(1883)、身体を持たれた、現世の御用を終えられましたが、教祖様のご信心によって、人の世に出られたこの神様のお働きは、ご本部お広前にて、一日も欠けることなく、何時でも誰でも別け隔てなく、どのような問題でも受け入れて下さるお取次が、五代(一一八年間)に亘る教主様のご神勤により、現されています。また、国の内外一六〇〇の津々浦々の教会で、具体に人々に、教祖様が信心された神様に出会い、助けられてゆく働きがなされています。
【平成13年10月23日号一般配布NO.246『光道』より】No:4 ●健康でありたい…… 〜神様に通じるか〜
いかに時代が進み、科学が進歩しても、『人間関係の問題』と『健康の問題』は人間にとって、けして消える問題ではありません。
人はロボットではなく、生まれながらに、それぞれの肉体的に個性をもって生まれます。背丈の高い低い、頭髪の濃い薄い等の外見的な事柄から、胃腸や肝臓等の内蔵の各気管も強い弱いだけではなく、人それぞれに特色を持っています。
更には、生まれながらの遺伝子による特性だけではなく、生きて生活をしている間に、病気や公害等により、身体に疾患を及ぼします。
誰しも人生に於いて幸福に生きたいと願います。その時『健康が一番です』『健康が元です』と言います。本当にその通りです。
不幸にして、自身が、家族が健康を損なうことがあります。勿論、病院へ行き、適切な治療を受けます。それでいても、やはり心配なものです。特に、病弱の体質の人、慢性の病気を持っている人、生まれながらに虚弱の人、その家族の人は、本当に大変です。
○
栄養士の免状を持っているA子さん(四十代)は、病弱のご主人を抱えて、家庭を切り盛りしています。病弱なご主人が可愛そうに思います。同時に、一家の大黒柱として、しっかり働いてもらいたいとも願います。
そのことがご縁で、教会へ参拝するようになりました。ご主人の健康、家族の健康を神様へお願いします。また、A子さんは栄養士の免状を持っているので、食事の献立には特に気を使って準備をします。ところが、神様にお願いしても、食事の献立に工夫をしても、ご主人の病弱は治りません。
○
ある日の先生の教話の中に「出船、入り船ということがある。みなは、お金でも何でも、入れることばっかり願っている。出ること、出すことが大切。出すことがあって、入るようになる」とありました。
その教話を聞いていたA子さんは、ハッと気づきました。ご主人の健康を願って、献立にばかり気がいっていた自分、食べた物が排泄させて頂くお働きに、お礼を申していない自分に気がつきました。
それからのA子さんは、排泄にお礼を申していなかったお詫びと、日々の排泄のお礼を申すために、家のトイレはもちろんのこと、教会や職場のトイレを真心込めてお掃除を続けました。
一年経ち、二年経ちしている間に、ふと気づくと、ご主人が会社を休む日がほとんどなくなっていました。
【平成13年9月17日号一般配布NO.245『光道』より】
No:3 ●台風の思い出 〜神様は扇町教会を見捨て給わず〜
扇町教会が昭和二十四年、やっとのことで戦後復興のおかげを頂くことが出来た。
教会の建物とは名ばかりで、トントン普請(屋根に瓦がかく、折り箱のフタのような薄い板をしいてある屋根)で、天井に板が無い。床には畳無く、窓にはガラスも無い。勿論、電気もガスも水道も無い。無い無い尽くしの建物である。それでも、戦後四年を経て、やっと現在地に土地を得る(戦前の土地は、立ち退きを命ぜられた)ことが出来たのである。両親は御殿にように思えたであろう。五才になっていた私も、亡くなった祖母(押木マス)が子守歌替わりに聞かしてくれた、『お前は、教会の三代目』の中の『教会』が出来たのであるから、訳が分からぬままに嬉しかった。しかし、誰も参って来ない教会である。そのことさえも、気にならなかった。
今の扇町教会の教会の周辺、ネオンに輝く不夜城のような街からは想像もつかないだろうが、瓦の無いトントン普請の家並が大阪駅まで続いていた。梅田は空襲で焼け野原となり、やっとのことで復興してきた町並みであった。
教会の灯は『石油ランプ』(よそには、電気がきていた)である。ちなみに、ランプに被せてある『ホヤ』を研くのは私の役目であった。灯油の煤で曇ったガラスを新聞紙を濡らして拭くのである。薄いガラスであるから、なかなか難しい。
○
教会の復興が出来た明くる年、昭和二十五年、教会にやっと、窓ガラスが入った。それ以外は前の年のままであった。私は六才で、隣のキリスト教の幼稚園を入れてもらっていた。
その年の九月二日、私にとっては、始めての経験する台風がやってきた。隣の家にはラジオがあり、それを聞かせてもらって情報を得た。大阪を直撃するらしい。大人がいやに興奮している。母がなけなしのお米炊いて、握り飯にした(外米・日頃はお米など食べていない。イモかスイトンである)。このことにより、異常事態発生であることを子供ながらに理解させた。しかし、ご飯の炊く匂いが、炊く匂いが……モー……、何と言うか、お腹の虫が鳴きぱなし……。
その夜、父、母、私(妹は一才)に『竹の皮』に包まれた『握り飯』が配られた。「万が一の時には『度量公(計量を検査する公社で、教会の近辺では、焼け残りのビル。戦前の扇町教会の隣にあり、空襲警報中、そこの防空壕の中で、私がウンコして、皆に迷惑をかけたとのこと。そんなこと、私が知るか!)まで逃げるから、はぐれたら、そこで落ち合う」とのである。父は『御神璽(御神体=昭和三年、扇町教会が新築した時、三代金光様から頂いた鏡)と『霊璽』とを風呂敷に包んだ。母は妹の『おしめ』を身体に巻き付けた。
その夜、風がだんだん強くなり、せっかく入ったガラスをガタガタと鳴らす。窓へ打ちつける板さえ無い。電線がピーュー/\と鳴る。ランプのほのかな灯の中で、親子三人額を寄せ合う。ランブの炎が揺れ、家族の影がゆれる。なんとも不気味な夜であった。それでも、子供の私はいつしか寝てしまっていた。両親は恐らく徹夜をしたことであろう。
明けて、九月三日、物凄い強い風が吹いてきた。私は父と一緒に『玄関の戸』を押さえていた。その時、その風雨の中を松岡トクヱさん(当時四十半ば、数少ない戦前の信者さんの生き残り)が参拝してきた。「教会のことが心配で、心配で」と言うて、窓ガラスを押さえてくれた。更に、叔父である内垣克己さん(母の弟、三十半ば)が、「姉さんのことが心配で」と言って駆けつけてくれた。百万の味方を得たような気持ちになった。
「ヒロ(私のこと)、玄関の戸、飛ばされたら、屋根が飛んでしまうで、しっかり押さえや」。六才の私は、命掛けで押さえた。折角の復興した教会を潰したらいけないと思った。
必死になって、玄関の戸を押さえていると、道路の向かいの家に目がいった。勿論、その家もトントン普請である。その屋根の板が木の葉を散らすように捲れて飛んでゆく。何か、綺麗な現象を見ているような感じがした。ふと、気づくと、家の中に居るのに、ザザ降りの雨が掛かる。上を見ると、教会の屋根の板も全部無くなっていた。ザザ降りの雨が家の中に降っても、別に濡れる物も無いので差し支えないが、必死になって、玄関の戸を押さえているのが、何の為か分からなくなった。
やっとのことで、風が弱くなった。ヤレヤレと思ったら、「ヒロ、うちの屋根板、拾といで!」。屋根板に名前を書いているのか、と屁理屈を言うている暇もない。叔父と一緒に板やら、トタン(看板)を拾いに出た。とりあえず、叔父がその板を屋根に張りつけてくれたが、気休め程度であった……が、建物物は無事であった。
その夜、つめたく、固くなった『握り飯』を家族中が食べた。疲れがどっと出た……。
○
このようにして、私の台風の体験はおかげの中で無事に過ごすことが出来た。
この台風は『ジェーン台風』と名付けられた。日本の気象庁が名付ける台風の名前は、上陸地点の名(室戸台風、伊勢湾台風等)を付けるのであるが、当時の日本はアメリカを中心とした連合国の占領下にあり、政府の各機関は連合国の指揮管理下にあった。アメリカでは台風などの自然現象に女性の名をつける。そのようなところから、気象庁も連合国の指揮管理下にあったために、『ジェーン台風』と名付けられた。
なお、この台風は大阪湾の高潮、満潮と重なり、西区、西淀川区、此花区等大阪湾に近いところに、甚大なる被害が出た。
瞬間最大風速44・7m、死者行方不明者500人以上、全半壊家屋40000戸以上。
【平成13年9月号『光道』巻頭言より】
No:2 ●良縁、悪縁、腐れ縁
年頃のA子さんが、お願いに来て、
「ご縁を頂きますように……」
「そうやな、そろそろご縁を頂かな……それでは、『良縁、悪縁、腐れ縁』と縁にもメニューがあるが、どの『縁』にするかな……」
「先生、『良縁』にきまってるやないの」
「そやけどナ……、好きになったら、周囲に反対されても、その人と一緒になりたいやろ」
「……そうです……」
「一緒になったら、幸せになれると思うやろ」
「そら、そう思います」
「好きで一緒になっても、良縁とはかぎらへんで……。その証拠に、『バツ1』『バツ2』がはやってるやんか」
「そうですねん……、周囲の夫婦を見て、離婚した人を見て、結婚したい……やけど、結婚しない女性が多いんです……」
「好きになってしまった人が、『悪縁』『腐れ縁』やったらどないしょう……」
「そもそも『縁』というのは、自分の程度にあった人と出来るもんや。『チョボチョボ同士』が一緒になるねん。いくら高望みをしても、『縁』にならへん。
好きになって、『ひっつく』のは、『チョボチョボの縁』で『ひっつく』ので、ひっつき易いが、縁が切るには、なかなか難しい。片方に『未練心』が強くなるから……。ニュースに出てくる人傷沙汰のとなるか、『腐れ縁』となるんや……。
そうなったら困るやろ。そこで、日頃から、天地を動かし、すべても働きを『巡らして』おられる、天地金乃神様にお願いしておくんや。するとナ、自分の『チョボチョボの縁』で好きになった男性でも、神様が上手に、傷みを伴わず、『縁切り』をしてくれはる。
『縁』は『不思議なご縁』と言うように、自分の力で出来へんねん。『天地の巡り』によるものやねん。『良い巡り』にならせて頂いたら、『良いご縁』を頂くから、神様を好きになって、神様にスキンシップすることや。
それで、『教話』を聞かせて頂いて、自分を高めることや、すると、良い『チョボチョボの縁』を頂けるんや。
まあ、頑張りなはれ。いっぺん『ひっついたら』、なかなか『お替わり』とはいかへんから……」
【平成13年8月号『光道』巻頭言より】
No:1 ●今どき、こんな宗教ってあるの……
先月、六月十日、ご本部にて、『教団独立記念祭 =注=』に合わせて、『教主就任式』が仕えられ、金光平輝先生が三度教主にご就任下された。
ご本部参拝の帰り、二十才のA子さんが、
「先生、今の教主金光様は、五代の教主様で、前の四代の教主様かお亡くなられて、跡をつがれたのでしょう。それなのに、何故、三度のご就任となるの?」
「教主金光様は五年ごとに、『金光の姓を名乗り、教祖様の血を引く、男女全てのお道の教師』の中からお一人に、教会長が選挙と言う方法をもって、お願いして教主になって頂くの。これを『教主推載選挙』と言うの。
前の教主金光様がお隠れになられて、十年になり、今年、三度目の『教主推載選挙』があって、今の教主金光様が三度教主にご就任下されることになったの」
「へー、選挙される先生は、たくさんいてはるの? それなら、選挙運動なんかするの?」
「さあ、そこやんか、普通は選挙となると、その立場になりたい人や、やりたい人が立候補をして、立候補の人が複数になると、選挙運動することになるが、金光教の教主様は、どんなことをしはる? あんた、よう知ってるやろ。日曜、祭日無しで、三百六十五日、朝の四時から、お広前に座り、どんな人でも、どんな問題でも、その人が助かるためにご奉仕されるのやで。
あんた、教主になりたいか……? 勿論、なられへんけど」
「ほんまや、教主に当選したら、えらいこっちゃ……、私やったら断るワ……」
「なんで、今どき、こんなご奉仕が出来るのかナ……。
とても、教主様のようにご奉仕は出来へんけど、扇町教会でもそうやねんで。三百六十五日、朝の六時からお広前開いてるねんで。誰も参ってこんでも、どんな人でも、どんな問題を持ってきても、逃げんと、座ってるんやで……。これは扇町教会だけではないのや。全国、海外までの全ての教会で行われてるんや。
神様がナ、『天地の間におかげ知った者無し。おかげ知らせしてやれ。助けてやれ、祈ってやれ』と言われて、それをさせてもらっているのや。しかし、させてもらうこちらが、助けて頂いているんのやがナ」
「当たり前と思うてたけど、考えてみたら、教主金光様も、教会の先生も大変なことをしてくれてはるんやネ……」
(注)『教団独立記念祭』
明治十六年(一八八三)教祖は、世の人々に天地金乃神のおかげを知らせ、難儀な人々を取次ぎ助けの、尊い一生を終えられた。
明治国家は『国家神道』をもって国民の思想統一をはかることを国是としていた。このような国家事情の中にあって、教祖の解かれた『天地の道』は国家に理解されるものではなく、とても、『道』を解くことが出来なかった。そのため、明治十八年『国家神道』を取り仕切る『神道本局』の傘下に入り、『敬神愛国=神々を敬い、天皇を中心に国を愛する』を看板にしつつ、細々と『道』を解いていた。
教祖の直信の先生方は、教祖の教えを堂々と世に出し、人々を救いたいとの願いの元、様々な運動をされ、やっと、明治三十三年(一九〇〇)に『神道本局』から独立し、『金光教』として、世に出ることが出来た。このことをお礼を申し、その意味合いをいつまでも頂いてゆくために、六月十日に『教団独立記念祭』が仕えられている。
【平成13年7月号『光道』巻頭言より】