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人間は自らが脱皮をしてゆく

 天地のお働き、神様のお働きでこの世に生を受けているのは人間だけではなしに、鳥も獣も、昆虫類も皆生きております。そういう天地のお働きの中に、その人間を含めたその生き物が、成長していく、大きゅうなっていく。そのためのお働きを様々にくださっておられる。それが端緒に見えるのが、昆虫ですねん。昆虫は卵からかえって……。
 例えば蝶々一つで見ましょうか。卵からかえって青虫になりますわな。青虫はちょうど菜っ葉の上に卵を生んでもろうて、餌の上におりますわな。そして、さなぎになり、青虫になり、しばらくしてくると脱皮をいたしますな。脱皮をいたしまして、そして羽が生えてきて、大空に舞うていく。
 これなんでもないようですけども、青い菜っ葉の上をニョロニョロと、ほうてた。すなわち餌の上にいさしてもろうてたから、餌の上ですわ、菜っ葉の上いうたら。餌の上で食べさしてもろうてた。それが、今度自分で羽ひろげて、自分で大空に舞うて、自分で密を吸いにいく。これは大変なことですね。
 今まで、ニョロニョロ、ニョロニョロ、菜っ葉の上でほうてたんでしょう。それが、空に舞い上がるという。すごい脱皮ですな。それと同じように、天地のお働きである神様はね、「脱皮をしていけ、脱皮をしていけ」とそのように育てておられる。生かしておられる。


 人間でもいえることです。例えば、小学校六年間と中学校三年間これ義務教育ですね。ほんなら義務教育やから九年間、義務教育をしたらよさそうなものじゃ。一年生から九年生までしたらええねん。まあ、そういう論が今でておりますけども、おかしな論です。
 一年生から、六年生、これは小学生いいます。ほんで、中学は三年。小学校五年と六年は、一年違い。小学校六年と中学一年、これまた一年しか変わりませんねん。ところが、六年生と中学一年生、えらい違いですな。五年生と六年生そんなに違いが変わらん。ところが、六年生と中一言うたらコロッと違う。
 これ脱皮ですんやな。大人になっていくための脱皮をさしてるんやな。これ誰が考えたか知らんけども、教える教育内容だけやったら、一年生から九年生、作っといたらええねん。それ、そこで、六年で切って、全然違う段階へ入らして、後三年の義務教育をする。非常によく天地の道理を考えられた、教育の仕方ですな。そのように、脱皮を人間は自ら脱皮をしていかないかん。昆虫は天地のお働きで、菜っ葉の上をほうてたのが、天空に舞うていくという、全然違う世界への脱皮ですわね。大騒動やと思います。全然違う世界ですね。菜っ葉の上ほうてるのと、全然違う世界ですわ。
 そうして見ると、私たち人間も自らが脱皮さしてもらわないかんということでしょうか。


 昨日、一昨日と少年少女会の青少年部恒例の春の合宿がありました。これも三十年以上続けさしてもろうとるんですけど。
 始め子供は教会に遊びに来ておる。色々な諸行事に参加して、遊んで「教会って、楽しい所やな。お菓子くれる所やな」ということで遊びに来ておる。それから、今度段々成長して高校生、大学生へと成長さしてもらうところにおいて、『遊びに行く教会』から、『信心を求める教会』。これへの脱皮がいるんですな。これがなかなか出来にくい。この脱皮が……。
 「遊ばしてくれる」いうだけで、進んでいきますと、段々大きくなってきたら、小さい子と一緒の遊びなんか嫌になりますわな。ほんなら、教会行ったかておもしろうない。そりゃそうですわ。小学生の子とね、高校生の子と一緒に遊ばすわけにいかんわね。遊びを中心にしておりましたら、遊ばしてもらうのを中心にしておりましたら、「おもしろくないから、教会へ行くの嫌や」とこうなってきます。
 そこで、どこかで信心に脱皮をするということ要ります。しかし、十人の内、一人脱皮をよういたしませんね。なかなかのことですね。
 ご信者さんの方は、どうかなんかというと、皆、「おかげを頂きたい」ということで信心を始める。教会へ訪れる。おかげを頂いた。そこから、『信心にならして頂くための脱皮』これまたようしませんね。これも十人に一人しませんね。そいう面では人間というものは、一番脱皮をしにくい生き物かわかりませんね。


 しかし、天地のお働き、特に女の人とってみると、少女から娘さん、女になってくる。初潮が始まって、お乳が大きくなってきて、月のものができてきて、女の人の準備がそこに始まる。
 今まで小学校の低学年は男も女もわからなんだけども、体の上からでもお乳が張ってくる、お尻が張ってくる、初潮が始まる、顔も段々やさしい顔に、女らしい顔になってくる。
 これ、脱皮さしてはるんですな。そして結婚をする。奥さんという、妻ということへ脱皮が始まる。今まで自分このとを中心にしておったことが、家を守るとか、家庭を守るとか、いう脱皮が始まる。
 そして次に妊娠して出産したら、母親になる。これも大きな脱皮ですな。そのように、自然の内には、脱皮をさしてくださってるんやけども、神の氏子として、脱皮が出来るかどうか、これが非常に難しいところですな。
 昨日もこうして子供たちを見ておりまして、三十年も続いているんやから、一才の子が三十才。十才やった子が四十才になっていく。その間ずっと続いているんですけれども、何人脱皮出来たんかいなと。思うたら……、そうですね、ほんまに何十人に一人……。ですかね。ほとんど脱皮せずじまいでございます。脱皮をさしてもらわないかんもんじゃと思います。有り難うございました。

(平成十一年三月二十九日)


『神様のお心』と『信心する人間側の姿勢』

 九州の道開きをされた、桂松平先生という先生がおられますが、その先生がこのお道にご縁を頂かれたのは教祖様のご晩年中のご晩年でありました。
 山口県の唐樋常蔵という先生のお広前で、初めてご縁を頂かれた。この唐樋常蔵という先生は、教祖様の直信、教祖様の教えを受けられた非常に優しいお方であって、『ととかか丸』の船長であった。『ととかか丸』、夫婦と書いて「とと」「かか」、お父さんお母さんで、『ととかか丸』。奥さんとだいぶお年が離れておられたらしいですな。この奥さんがちょっと、世間で言うたら「あばずれ」。酒飲むわ、博打はするわ、ケンカをするわと、いうような世間でいうあばずれさんなんですな。ほとほと困った女の人で、「こんな女の人は離縁したらええ」と皆が思うておる。そいう中で、唐樋常蔵先生は教祖様に出会うて、教祖様のご信心を頂かれて、気が付かれた。「自分の妻やと思うたら腹が立つけれども、離縁してしまうか知らんけれども、これも大切な人の子。親から見ればかわいい娘。神様から見れば神の氏子。こいう女の人とご縁を頂いたのも、親代わりになって大事にしてやってくれと、神様から、向こうの親からも願われておるんじゃ」とこのようにお受け取りなられて、瀬戸内海の小さな船の運搬船に奥さんを乗せていた。
 普通は女の人を乗せないのね。そやけど暴れよるから、酒飲んで暴れよるから、もうずっと船へ乗せて、そして仕事をなされたので、いつしか、唐樋常蔵先生の船が『ととかか丸』と、このように人が言うようになったというお方であります。


 後々、唐樋常蔵先生は、山口県で由宇教会という教会を開かれ、あの辺で二万人からの多くの人をお助けになる。という大変なお徳の高い先生であり、非常に優しいお方であり、教祖様のみ教えの中でも、特に、教祖様の広い心、豊かな心を人々に伝えて行かれた。
 例えば、「遠い所参ってこんでもええ、天地金乃神は世界中である」と。「仕事の忙しい時にわざわざこんでもええ。仕事が、家業が信心じゃ。」「忙しい時に、御神飯、神様にお供えせんでもええ。釜の内を少々かき寄せて、神様頂きますと言えばおかげになってくる。」「不信心者ほど神はかわいい」また、「時節を待っておかげを受けるがよし」と神様の広い、広いお心を唐樋常蔵先生は頂かれて、そして皆さんにお説きになられた。そして多くの人が助かっていくという大みかげを蒙られる。そういう中の一人に、桂松平という九州で道開きなされた先生がおられた。
 素晴らしいみ教えに出会われる。そして教祖様の元へも、桂松平先生は参拝され、その後教祖様のお後をお継ぎになった二代金光様の元へご信心をなさる。その間段々、唐樋常蔵先生はお年をいかれてきます。


 一方、桂松平先生は二代金光様のご命によって、大阪の難波教会初代近藤藤守先生の元で修行しなさいということで、修行に行かれた。
 そうすると、近藤藤守先生の教えはる教えの仕方と、自分が初めてお参りして、教えて頂いた唐樋常蔵先生の教えの仕方と全然違うの。「ありゃまあー」と思うた。
 先ほど申しますように、唐樋常蔵先生は、「忙しいところ参ってこんでもええ。遠い所を参ってこんでもええ。天地金乃神の広前は世界中である」このように教えておられる。教祖様の教えをそのまま教えておられる。
 近藤藤守先生は、「参らなおかげ頂けん。日参せい。おかげは足からである」と。全然違うことを教えておられる。「おかげは足からである。足からおかげは頂くんじゃ」と。唐樋常蔵先生は、「無理にお供えせんでもええ、氏子を痛めては神が喜ばん。」このようにおっしゃる。ところが近藤藤守先生は、「我が身を削ってでも、お供えする信心をせい」と、全然正反対のことを言うてる。一体どないなってんねんなと。お供えでも、「我が身を削ってでも、お供えさしてもらえ」と。片一方では、「氏子を痛めては神が喜ばん。」お供えのことから、お参りのことから全然違うことを、難波の先生はおっしゃる。
 始め桂松平先生はウロたえていた。「どないなってんねんな。えらい違いじゃ。正反対やな。」という思いを持ちつつ、近藤藤守先生の元で修行なさってきて、「なるほどなあー。これは考えないかんことやな。」ということが段々と分かってきた。


 「唐樋常蔵先生は、『神様のお心』をお伝えくだされた。近藤藤守先生は、『信心する側の人間側の姿勢』を教えておられる。この二つが相まって教祖様の教えになるんやな」と。唐樋常蔵先生は『親心』、『神心』を教えてくだされた。神様を教えてくだれた。近藤藤守先生は、『信心する人間側の姿勢』を教えてくだれた。
 なるほど両方が大切やねんなと、そうお分かりになった時に、えらいもんですね、二代金光様が「帰ってこい。分かったか」
 「分からしてもらいました。」
 「それなら、九州の土になって人を助け」
 「はい」
 ということで、二人のお師匠はんの、二つの信心のあり方を頂かれて、九州で多くの人を、九州一円の人をお助けになるんですね。
 後に唐樋常蔵先生は、お年をいかれ長生きをされたんでありまするけども、多くの人を助けられたんでありまするけど、段々とお参りが少なくなってしもうたということがある。


 素晴らしい教えを、神様の教えを説かれたんでありますが、もう一方、人間側の教えというか、神様へ向かう姿勢というもの、ここにほんとの「あいよかけよ」が生まれてくるんやなと、神様のおやさしいすごい大きな心を頂く、それを頂いた人間がどうあらねばならんのかという、そうせんと人間はずぼらになりますからな、「参ってこんでもええ」「ほんなら、参らんでもええがな。」は、ずぼらになってしまいますな。ここのあやち≠ェ非常に難しい。両方頂ききって、おかげを頂くもんじゃと思います。有り難うございました。

(平成十一年三月三十日)

お礼を申せる人は幸せな人

 人間にはそれぞれの質というものがありまして、十人十色の質がありまして、それぞれなりに、素晴らしいものを神様から頂いております。
 かけっこの速い人もあれば、力持ちの人もあるし、勉強よう出来る人もあるし、計算が速い人もあるし、商売に長けた人もあれば、手先が器用で……というふうに、それぞれに神様は素晴らしいものをお与え頂いております。
 幸せいうのは、それぞれが頂いておるその質ですな。それを生かすことが出来るいうことが、幸せの条件の大きな一つにありますな。それぞれの質を伸ばしたり、生かしたりできて、生きていくことができるということ。それが出来るいうことが、一つは人間にとって有り難いこと、幸せの条件の一つやと思う。
 そうしたら、それを伸ばしたら「幸せ」かとは限らない。


 例えば、相撲取りさんが相撲強く、横綱にもなった。横綱になったら幸せか…と。またこれ違う。その道では、「偉い人やな。たいしたもんやな」ということがありましても、人生から見ると、確かにそれは幸せの条件には違いないけれども、それだけで幸せか。相撲取りが横綱になったら、幸せかとは限らん。離婚したら何にもなれへんもんな。もめてはりますやろ……。
 というふうにね、その幸せの条件であるんやけれども、それで幸せとは限らない。商売人さんで「あの人、大したもんや。商売しはって出世しはった。ようけ儲けはった。」これが、「幸せ」かいうたら限らない。幸せの条件ではありましょうな。しかし幸せとは限らない。
 例え巨万の富を得ても、幸せであるとは限らないですな。というふうに、幸せはまた違う質のもんじゃな。


 そこで大切なことは、お礼を申せていく心。お礼を申せるところに、天地の道理が分かる。と申しますか、このお道は天地の道理が分かることが大事である、ということを教えて頂いておりますけども。
 例えば、誰でも親から生まれてきて、親を大事に思ういうことは皆持っとる。その親にお礼を申せる人と、「小遣いやっといたらええがな」という二通りあるね。「小遣いやっといたらええがな」。あるいはまた、「ああ、もったいない。」と親のことにお礼を申せることが出来るという人と、そうでない人と全面的に違うてきますな。お礼を申さしてもらう心が生まれてくる。お礼を申せるところにお礼を申していける。その心を持てる人と、そうでない人、そこで全面的にその人が幸せになっていくか、なっていかんか、ということの境目のように思う。
 お礼を申せるということは、例えば貧しものと言いますか、それを食べてても「有り難いこちゃな。もったいないことやな」と。その時、その人は幸せやわな。山海の珍味並べられてても、「はあ、これはなんぼの食事やな」というて、「なんぼの値段やな」というて、計算高い人はピッピッと計算できますわ。しかし、その食事に対してお礼を申せる人は幸せな人。お礼を申せない人は不幸せな人。
 条件でしか物事が見えない人は、不幸せな人でしょうな。「もったいないことでございます」というお礼を申せる人は幸せな人でしょう。信心はそいう意味では、お礼を申す稽古。幸せって、お礼を申せていけたら、幸せということじゃないかなと思わせてもらいます。有り難うございました。

(平成十一年四月三日)