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目に見えない父親との食事

 長女の清子が、四条畷教会の大倉真道先生と結婚さしてもろうて、御用さしてもろうとるんでありまするけど。この真道先生が、私に語ったことがありまして。真道先生は、一人っ子でしてね。お母さんが教会の娘さんであって、お父さんは会社勤めのサラリーマンさんであります。ですから、普通のサラリーマンさんの家庭に育ったんですけれども、普通のサラリーマンさんとちょっと違うところがある。
 というのは、お父さんは技術者であって、外国へよう長いこと単身赴任で勤務に出はる。二年も三年も帰ってこない、というようなことが、小さい時から度々あったそうです。そうすると、一人っ子ですから家庭の中いうのは、お母さんとその真道少年だけ。
 お母さんも大変なことであろうと思いますね。お父さんの役割もしていかないかんのですからね。そういう中で、育てるいうことは、片親で育てるのと同じことですから、そりゃ、そりゃお母さんはご苦労なされたことやと思うんですが。


 その小さい時からですけども、食事の時に、お母さんと二人ですから、「はい、これ食べなさいや」と、普通なら「はい、カレーライス食べなさいや。何々食べなさいや」と、お母さんとしょぼしょぼと食べる。いうこれが普通なんですけども、先に食べたら怒られる。「いけません。ちょっと待ちなさい」そして、なぜかと言うと、お母さんは、わずかですけれども、お皿に同じ品物、ご飯をお父さんの分として、食卓に必ず並べる。二人で食べるんやけれども、三人で頂くとして、「お父さん、頂きます」言うてからでないと、食事を頂かしてもらえない。世間で言う『陰膳』を供える。陰膳というと、そこに人がおらんけれども、おることとして、影法師みたいなもんじゃね。そうして、食事を頂く。
 始めは不思議で仕方がなかったが、そのようなお母さんの生き方が、段々と大切なものを見さしてもろうて、自分も信心さしてもらうようになって、そして教会の御用をさしてもらうようになったという話を聞かしてもうて、「はあ、大切なところやな」と。その話を聞いて「大切なところやな」と、しみじみと思わさしてもろうた。


 そうですね、現場にはお父さんはおらんのやから、ご飯作らんでもいいの。地球の裏側にいてる。その家庭に、その食卓に、存在がないんですわな。いてないんじゃから、事実として…。そやから、別にご飯作らんでもええねん。いてない人の。
 まあ、遅う帰って来るいうたら、「ご飯作っときましょうか」ということになるんやけど、もう何年もいてない。存在がない。しかし、そこに実物の存在がのうても、地球の裏側であるけれども、お父さんとお母さんはご夫婦として、家庭をちゃんと営んでおられるのね。そして息子さんである、真道先生に、親子ということをキチッと教えている。
 ここに存在が無いにも関わらず、お父さんと親子関係をキチッとつけておられる。大事なことですね。


 よう神様があるとかないとか、どこに存在するんやとか、いう人があります。そうですね、目に見えないから…。しかし、私の命は自分で造ったんじゃない。神様が頂かしてくだされたんじゃという、こちらがその思いになった時に、神様に手を合わすことが出来る。
 ちょうどそのご夫婦ね、ここにはいてない。この食卓にはいてのうても、存在してなくても、「私は、あの方と夫婦なんじゃ」と、「この子のお父さんなんじゃ」と思うた時に、ここに存在してのうても、「お父さん、ご飯頂きましょう」と手を合わすことが出来る。
 まあ、「亭主元気で留守がよい」という奥さんには、これは分からんでしょうな。「おらん方がええ。晩御飯作らんでもええ。じゃまくさいこっちゃ。ほら、せいせいするわ。楽でよろしいわ」というのも、生き方や。しかしその生き方には、そういう生き方としての、めぐり合わせが回ってくる。別に法律違反でも何でもない。おらんのやから、存在せえへんのやからそこに。ご飯作る必要あれへんや。その通り。そういう生き方をしておったら、そういう人生。別に法律犯してるわけでもない。
 ところが、ここにはおらんけれども、「お父さん、今日も元気で働いて頂いて、有り難うございます。お食事を三人で頂きましょう。」として、存在しない、そこにいてない、お父さんと一緒にお食事をさしてもらう。それが一度や二度やなしに、朝昼晩、三度、三度、二年も三年も。それをする、そういう生き方には、そういう生き方の回り合わせがくる。
 人生不幸になるとか、幸せになるとかということをよく言いますけども、法律の云々ではなしに、どういう生き方をさしてもろうとるかが、人生の幸せ、不幸せということを決めていくんであろうと思います。有り難うございました。

(平成十一年三月二十五日)


水の御恩

水が毒というが、水を毒と思うな。水は薬という気になれ。水を薬という気になれば、腹の病気はさせない。みずあたりということも言うな。水がなくては一日も暮らせまい。稲の一穂も五合の水をもって締め固めるというではないか。水の恩を知れ。(『天地は語る』二六)

 近頃では生活様式が、前々とは全然違い、冷暖房も効き、台所では給湯器、瞬間湯沸かし器があり、冷たい水で炊事をすることも無くなり、洗濯もね、昔のように『たらい』にまたがって、一生懸命にするということ。ゴシゴシやるということが無くなり、もうすっかり生活様式が変わってしまいました。
 そういうところから「あかぎれ」やらね、「しもやけ」がなくなった。
 私も小さい時に、「しもやけ」や「あかぎれ」をしましたが。まあ、ほとんどしもやけをしてる手、あかぎれをしてる手を見かけんようになりました。この頃では、見かけて恐いのが薬品で、ただれるというようなことがたまに見ますが、これは恐いことですけども。
 普通の主婦が、「あかぎれ」やら「しもやけ」をするということが無くなってしまいました。まあ便利と言えば便利。楽になったと言えば楽になった。あれ、痒うて、痛うてどもうもならん。あの「しもやけ」やら「あかぎれ」をすると、水を使うのが、嫌になりましてな。余計ひどくなりますから、「うわー」というような気持ちになります。


 九州のお道の祖、すなわち教えを広められた親と言われております、桂松平と言われる先生がおります。この先生は二代金光様から「九州の土となれ」とそのように仰せになられ、それを頂かれて九州の地でお道を開かれた先生でありますが。
 そのご布教当初、奥様とご一緒に長屋の奥から、お道開きをなされた。ある日のこと、先生ふと奥さんの手を見たら、あかぎれになっており、しもやけで真っ赤でただれておる。その手を見られた御主人の桂先生が、「お前そんな手で、神様にご飯お供えしてるのか」朝のご神飯な。「そんな手を神様に見せてどないすんねん。もっときれいな手でお供えせえ」と。このように奥さんにおっしゃった。
 奥さんとしては、水仕事してね、洗濯から炊事から、もうあかぎれして当たり前、しもやけできて当たり前。しかし御主人である先生が言われたその時にハッと気付いた。「そうや、こんなむさ苦しい手で、神様や主人のお給仕をしてるようなことでは、まだまだ信心が足らん。」また、そのあかぎれやしもやけの為に、水を使わしてもらうのを躊躇してしまう。「……痛いもんやからね、フッと手を引くようなことがあるなあ」と。
 このお道は、水の御恩ということを教えて頂いている。今日頂きましたみ教えと同じですね。水、一合の水が無かったら生きていけんのじゃ。この水の御恩、天地の大恩、水の御恩ということを教えて頂いてるにも関わらず、この水を扱うのに躊躇するような、その為に水を扱わしてもろうて、こんなあかぎれ、しもやけになるいうことは、私の信心がいたらんからじゃと。奥様、そのようにおとりになられて、み教えを頂かれた。
 それから、朝起きて洗面をさして頂く。顔を洗わして頂くのに、おけに水を入れ、ジッと水に手を付けて、水の御恩をこの手から頂こうと思うて、水にジーッと付けて、「どうぞ、今日も水の御恩を頂きますように。水を大切に使わして頂きますように。」とずっと手を付けられる。そういうことを数日してる間にふと気が付くと、手のあかぎれ、しもやけはきれいに無くなって、それから一生、しもやけあかぎれをなさらん、白魚のような手になられた、ということを聞かしてもろうとりますね。


 水の御恩というもの、「はあ、そうじゃ、水が無かったら生きていかれへんねんな。」皆知ってる。そりゃそうや。砂漠の真ん中で、水とダイヤモンドを交換したという話を聞く。ダイヤモンドなんぼ持ってても、それを食べようにも、どないもできへんのやからね。水とダイヤモンドとを交換したいう話を聞きます。
 一滴の水というものは、どれだけ大事なのか、理屈では知ってるのやけれども、それを「恐れ入ったことでございます」という頂き方がね、なかなか出来にくいものですな。特に我々は都会生活で、蛇口をひねるとジャーと出てきてくれはるでな。
 「湯水のように使う」という日本のことわざがありますけど、湯や水はあって当たり前ということなんですけど、外国の方では、そうではないそうですな。また、お百姓さんの間では、「水争い」というようなことがございますな。田圃に水を入れるのに、水争いというようなことがあります。
 「はあ、もったいないことやな」とそれを実感さしてもろうて、お礼を申していくいうことがなかなか出来にくい。「恐れ入ったこっちゃな」。これは水に限らず空気にしても、何でもそうなんですけどもな。それを実感さしてもろうていくことが大切。
 そんなら、それ実感するためには、一日コップ一杯で済ませる。そうしたらそれすぐ実感するわ。まあ、確かにその通りや。砂漠の真ん中行ったらすぐ実感するわ。まあそういう特殊なことをせんでも、特殊なことをせんでも、「もったいことでございます」と、お礼を申せる信心ですな、そこが大事なことであります。


 それからもう一つ、その桂先生の奥さんで大事なところは、誰でも痛い、痒いがある。しもやけや、あかぎれ、これが治りますようにとお願いをしますな。大概、「治りますように、治して下さい」とお願いする。ところが、おかげを頂こうと思えばそうじゃなしに、飛び込んで行く世界。水が悪いんじゃ、この水でこうあかぎれになるんじゃ、しもやけになるんじゃと言うんじゃない。その悪いと思う心を止めて、その水へ飛び込んで行く、ここに、おかげを頂く元があるんですね。
 「これがいかん、あれがいかん。だからこうなりますねん。だからよろしゅうお願いします」というお願いの仕方ではなく、それに飛び込ましてもうていく。そこにおかげを蒙っていく、大きな元があろうかと思います。有り難うございました。

(平成十一年三月二十六日)

命の役割に目覚めてる人は少ない

 人間はそれぞれ、色々な社会の中に生きております。会社やとか、地域やとか、家庭やとか、小さいところ言うたら家庭ですわ。それぞれの社会の中に生きておりまして、そしてそれぞれの社会の中で、役務分担をしてますな。色々な役割をしていきませんと、その社会では生きていけませんでな。
 まあ一番分かり易いのは、会社で、営業もあれば、製造もあり、総務もあったり、様々な役、組織があって、自分は営業なら営業を担当しておる。総務なら、総務を担当しておる。また、その営業とか、総務とかいう中でも部長とか、課長、係長やとか、というような役回りがある。そういう組織と申しますか、生きていく上の組織での役割、役務分担、それをちゃんとしておりましたら、「ああ、社会生活は一応出来た」ということになる。「はあ、あの人はちゃんと務めはった」ということになる。それで、定年退職になる。そんなら「私は、ちゃんとすることした。役割をした。役務分担をした。」殆どがそうですな。もちろんそれも大事なことであります。


 ところが、そういう社会人としての役務分担、役割ともう一つ別の大切な役割がある。それは、命の役割。この世に生を受けさせてくだされた、命の役割があるんですな。これには、定年がないんですわ。
 教祖様はそこを「いくつ何十になっても、隠居はするな」とおっっしゃってるんですな。この世に生を受けさしてもろうても、いくつ何十になっても、その命自体のお役割いうものがある。これは、他の人と比べることの出来ない役割なんですな。人間社会での役割、組織ではない……。例えば、一つの仕事が起こってきたら、「それは、総務の仕事やで。それは、管理課の仕事やで。それは、営業の仕事やがな。向こうやで、自分とは関わりおまへんねん。」ということで、「これは、こっちの仕事でっせ。あっちの仕事でっせ。いや、私は、もう定年でこれは卒業しましたわ。」いうような案配。というふうに、その社会組織の中での役割ですんで、その中で動こうとする。
 ところが、命の役割となってましたら全然違います。しかし、この命の役割に目覚めてる人は少ない。この命の役割に目覚めると、大変なことが出来てくる。


 例えば、教祖様は江戸時代のですわな。村の構成員や。そうすると、田圃を耕して、その当時は、五人組いうてね、五つの家が一つのセットで、色々な村の仕事をしておる。五人組の役割がある。というようなことで、その中で役割をしていけば、お百姓として生きていける。そのかわり名もない、ほんまに名もないお百姓です。
 ところが、お百姓というのではなしに、天地の親神様から命を頂いた一人の人間として、その命の役割に目覚められた時には、名もないお百姓さんが、すごいことになるんですな。すごいエネルギーが出てくるんですな。「無学で人は助けられんということはない。無学でも……」、大学を出てるやとか、全然関係ない。社会の役割となってくると、「どこそこ大学出てます」ということが、肩書きとか、勉強したことが、その役割でいかされたり、その役割によって、してきたことによって地位が出来てきたりしますな。
 「あの人は金持ちやから社会にはこんだけ寄付せないかん」やとかいうことになる。そんなこと一切関わりなし。「無学で、私は土掘る百姓であります」。無学でも、金持ちでのうても、年をいっておっても、大変なエネルギーがそこから出てくるんですな。天地を揺り動かすぐらいのエネルギーが出てくるんですな。すごいことですな。ですからね、命の役割に目覚めた時には、人間ほんとの『幸せ』をつかむことが出来るんですね。


 先日来ずっと孫が来ておりまして、総員五名。その前々から、家内がいつも「ああしんどいわ。ああしんどいわ」言うて(これ、テープで聞こえまんねんな…)、もう……、だらだら……、しゃあないな……、無理ないわいな……と、思うておった。ところが、孫が来る。総員五名になる。ピシャと、目の色光よりますよってな。あの元気どこから出てくるねんいうぐらいね。そりゃ、そりゃ元気、元気、風呂入れるのも五人分入れよりますからね。ええ、そりゃ元気元気、はつらつとしてますわ。
あれ義務でやってたらひっくり返りますな。「せないかんから、してまんねん」という、普通の社会の役割論でやったら、やれませんな。あれはな、命が、「私がやらずして誰がやる」ちゅうようなもんやな。「この孫は私の孫や」いう。命の役割になってきておる。そやから、すごいエネルギーを出してますな。後でひっくり返るの決まってあるんやけどな。すごいエネルギーを出しますな。
 そうして見ると、命の役割に目覚めた時に、すごい力を出すもんやなと。


 今日、不景気でね、「もうあかん、あかん」と、よう言うてる。「あっちでもあかん、こっちでもあかん」言うて、それは、社会の組織の論で言うたら、「私の仕事じゃない、あんたの仕事でんがな、結局はな。それは、私関係おまへん。私はちゃんと製造してますがな、私はちゃんと営業してますがな。一生懸命してまっせ。ちゃんとやってまんがな……。」
 ところが命の役割は土、日がないんですわ。社会の役割は、ちゃんと労働基準法いうて、朝九時から五時まで働いていますが……、いうことやな。「ちゃんと給料分働いてますがな…」と。ところが命の役割は土日があれへん。全然関係あれへん。一生懸命その役割をしてうれしい。させてもらえてうれしい。命が生きてうれしい。
 今日、不景気やなんやかんや言うてます。一辺そこでね、『天職』という言葉がありますが、神様からお与えくだされた役割として、そのようなことを皆が頂いたらね、こんな不景気吹っ飛んでしまいますわ。社会の役割論でしてるから、「私はちゃんとしてますと。することはしてます。それは、私の仕事違いまんねん」ちゅうやようなもんやな、ところが、天職として頂いた時には、すごいものが頂けますな。
 名もない、何の力もない水飲み百姓さんが、学問も何も無い百姓さんが、天地の命に目覚めた時には、すごいことをなされました。私たちも皆、同じ命を頂いております。有り難うございました。

(平成十一年三月二十七日)