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見慣れた同じ光景でありまするけども……

信心せよ。信心とは、わが心が神に向かうのを信心というのじゃ。神徳の中におっても、氏子に信なければおかげはなし。
カンテラに油いっぱいあっても、芯がなければ火がともらず。火がともらねば夜は闇なり。信心なければ世界が闇なり。(理V・金光教祖御理解・二一)

 毎年一月の十五日には、扇町教会で新年会をさしてもろうております。ご家庭に余った品物を持ってきて頂いて、それを私がその品物にかけて、ちょっと教えらしいものを書かして頂く。
 例えば、石けんなら「我が身を削って、人のお役に立つ信心の石けん」というふうに書かしてもうて、皆さんにくじ引きで頂いてもらうんでありますけど。皆さん大変にそれを楽しみしてくださっておられる。毎年よく出る皆さん方の言葉の中で、「先生ようこんだけ、考えはりますな」と。「大変でしょう」という言葉がね、信者さんの中から出てくる。また、「よう当たってます」言うようなことも出てきますね。
 私は、あれ、約百近い品物を二日弱で書いてしまうんです。ツツツーッと。次々と違う品物やったらええのですけれども、その年、年によって同じものばっかりが集まってくることが多くて、困ることがあるんですけれども…。だいたいは、ツッツッと、浮かんできて、チャッチャ、チャッチャと書かしてもらう。そんならそのことを言うと、「よう浮かんできますね」と。いうことをまた信者さんおっしゃるんですけどもね。やぱっり神さん書かしてくださるんじゃと思う。
 それで、「神の中を分けて通っておるようなものじゃ。畑で仕事をしていようが、道を歩いていようが、神の中を分けて通っているようなものじゃ」というみ教えがありますけども、神様の中を分けて通るということは、常に神様が周囲にべったりとお守りくださっているだけではなしに、色々に語り掛けてくださっておられるんですな。様々に教えてくださっておられる。
 道を歩いていても、電車に乗っていても、家でご飯頂いとっても、仕事をしておっても、そこに神様が、グルグルまきに取り巻いておられて、様々に教えてくださっておられるのね。それを「神様」というてキャッチ出来るかどうか。頂けるかどうか、その違いやと思う。


 こうして毎朝の教話、今年からテレホン教話が日替わりになりました。昨日もある先生方との話し合いがあったんですが、「扇町の先生、毎朝お話をテレホンに吹き込んでくれはりますけど、よう続きますね」と。「私やったら、同じ話しばかりになってしまいますわ。」ということを言うて。私は冗談で「そうや、そうや。昨日はネコがくしゃみした話し。今日は犬がくしゃみした話し」というて、笑わしたんですけど……。
 やぱっり今月今日、命を頂いて、今月今日、神様のお働き、お守りを頂いて神様はまた色々に教えて下されて、その神様の真っただ中に今日の命もまた頂いておる。そうすると、昨日と同じようなことをしてるようですけども、また見るもの、聞くもの触るもの、すること、神様の中でのことですからね。いくらでも教えてもろうてくれる。「はあ、これや」と。その中でさらっと忘れてしまうこともたくさんあるんですよ。そんなんいちいち、キリッとしてたら、ノイローゼになってしまいますからな。
 ところが、フッと一つのもの見て、例えば、教祖様が「木の切り株に腰を下ろして休んでも、立つときには礼を言う心持ちになれよ」と。山へ入ったら、木の切り株なんかなんぼでもありますわ。そこで教祖様は山へ入って、仕事で入られたんでしょうな。木の切り株でよっこいしょと、腰を下ろした。ふっと「はあ、これも神様のおかげやな。この切り株に、お礼を申さしてもらわなあ」と。「ここに木の切り株を置いて頂いて、有り難いこっちゃなあ。有り難うございます。」いうことですな。木の切り株なんて、山に入ったらいくらでもある。あっちもこっちもある。見慣れた光景でしょう。
 それが、見慣れた光景であっても、休ましてもろうた時に「有り難うございます」そこに神様の働きがピューと入ってくるんですな。皆、「神様分からん、分からん」言うけれども、神様、神様と思うておったら、見るもの触るもの皆、神様のお働きであって、それが、ヒュ、ヒュ、と入ってくる。ノイローゼになるくらいまで思うわなくても、ホッ、ホッと。「はあ、ここ、ここ。もったいないことでございます。有り難うございます。」それがいつの間にか蓄積してきて、毎朝のお話やとか、あるいは、福引きの品物を書かしてもらういうても、「あんなこともあったな。こんなことも教えてもろうたな」と、とっとこ、とっとこと、出てくる。百やそこらぐらい簡単のことですわ。スーッ、スーッスーと出てくるというようなことですな。


 「神の中を分けて通っておるようなものである」ということは、神様の中にいておるということですな。また別の言葉で、「神徳の中におっても、氏子に信なければおかげは無し。カンテラに油いっぱいあっても、芯がなければ火がともらず。火がともらねば、夜は闇なり。信心なければ世界が闇なり」とおっしゃる。
 なんぼ神徳に満ちあふれておっても、氏子に信なければ、「有り難い、もったいなき、かたじけない、おそれいったことである」というそれがなければ、火がともらない。おかげの火がともってこん。神徳の中におっても、氏子に信なければおかげは無し。カンテラ(ランプのこと)に油がいっぱいあっても、芯がなければ火がともらず。火がともらねば、夜は闇なり。信心なければ世界が闇なり。神様があるとか、ないとか言うておっても、神徳の中におっても、「はあ、もったいないことやな」という心が無かったら、もう地獄にいてるのと同じことですな。真っ黒けですな。
 ですんで、神様という思いを持たしてもろうて、物事を見さしてもらうと、「これも神様、あれも神様と、神様が入ってまいります。そうなれば、有り難いこっちゃと。昨日と見慣れた同じ光景でありまするけども、今月今日の、今日の命を頂き、神様にお働きを頂いて、今日も生きていくんです。有り難うございました。

(平成十一年一月二十二日)


信心は恩を感じる心

 大阪の第三連合会の中に浦江教会という教会がございまして、来田先生という先生が御用くだされておられる。昭和二十年生まれですから、今年で五十四才ですかな。この先生は山口県の人でして、色々なご事情がおありになって、ほんとに小さい、小さい時から、両親に育ててもらうことが出来なかった。おばさん夫婦に育ててもらいはった。おばさん夫婦は我が子のようにして育てなさる。おばさん夫婦には女の子が一人おられるんですけどもね。
 そのおばさん夫婦がご熱心にお道のご信心をなさっておられる。山口県の方で、もちろん教会へ日々、小さい子供の手を引いて、ご参拝なさったと同時に、大阪の浦江という(福島区の海老江にある)教会にご縁があって、月に一辺は浦江教会へお参りなさるということであった。
 そして、段々と学校も卒業するようになって、社会人になった。東京や名古屋の方で勤めをしておられたそうです。勤める時に、社会人になる時に思うた。なんぼ親類やおばさんやというても、なかなか他人の子というものは育てにくいものじゃと。それを今日まで、我が子同様に育ててくだされた。
 「どんなことがあっても自分はこのおじさん、おばさんに御恩を返さして頂く。そしておばさん、おじさんを決して泣かすようなことだけはするまい」と。
 そのように心に誓って、社会人になったんやな。
 ところが、社会人になると、そうは思いつつも、独身貴族や。今まで義理の家庭にいてた。小さい時は分からないが、段々長じてくると、遠慮が出てきたり、この人はおばさんやと知ってますものやからな、段々遠慮が出てきたり、色々なことがありますわな。まあ、他人とは言わんけども、お世話になったのをよう分からしてもうてるけれども……。
 しかし社会人となっておじさん、おばさんの膝元から出ることが出来たら、今度はのびのびや。自分の自由自在や。確かに御恩になったということが、「忘れちゃいかん」と、腹に入れとるんでありますけど、独身貴族をしておった。


 勤めて五、六年経った時分ですかな。会社の寮におばさんから電話があった。それでその電話はどういうことかというたら、
 「お前は知らんけれども、大阪の浦江教会へおじさん、おばさんがお参りしてるの知ってるな」
 「はい、知ってます」本人は行ったことがない。近所の山口の方の教会には、小さい時分に連れていってもろうたことはあったが、自分自身がお参りするということはしていない。信心はほとんどしてません。
 「その大阪の浦江教会知ってるな」
 「おじさん、おばさんが月一回お参りしてましたな」
 「そこの親先生がご高齢で、もう大変なんじゃと、お子さんたちが皆、女のお子さんでな。親先生としては、お教会の行く末を非常に案じておられる。一番下の娘さんと、あんた一緒になって教会の御用してくれんか」と言うて。そいう電話が入った。
 「ええ」と思うた。しかし、その瞬間に思うたことは、「ここで御恩が返さしてもらえる」と思うた。教会のことも分からんへんし、娘さんと会うたこともないし、しかし、瞬間的に「これで御恩を返すことが出来る。恩返しをさしてもらえる。」
 明くる日、早速、退職願を出して、それで山口へ飛んで帰って、もう一辺事情を聞かしてもろうて、おじさんおばさんと一緒に大阪へ出てきて、浦江教会へ出てきて、初めて嫁さんなる人の顔見て、それで親先生言われる方も初めて見て、教会のことも初めて見て…。しかし、その時はもう腹括っておりましたと。しかし、今度は結婚しはって、教会の中へ入ったら、今までの生活と大違い。独身貴族もへったくれもあったもんじゃない。今では、もろてた給料好きなように使うてたんでね。好きなように使うてたんで、何のなんの、経済的にも大騒動、休みはあらへんは、もうほんとにもう大変なことで。


 そして何にも信心分からんなんだ。何にも信心分からんなんだけれども、おば夫婦が他人の子というても、甥、おばの関係なんだけれども、我が子と変わらんぐらいに、わけ隔てのなしに、育て抜くというおばさん夫婦のしてたご信心というものが、「これは、大切なもんじゃ」と、「それは決して間違いのないもんじゃ」と、唯一つそう思うて一生懸命にこさしてもろうた。
 「はあ、よくこそ、今度は今、このお道にご縁を付けてくだれたもんじゃ」と。「はあ、よくこそ、引っ張ってくだされたもんじゃ」と、ほんとにお礼を申してるという意味合いのところをこないだお話くだされた。聞かしてもろうてね。これが二時間近くお話なされた要約なんですけどもね。胸にジーンときました。
 後で大笑いしたのが、「江戸時代ではあるまいし、顔も知らん人とよう一緒になる気になったなあ」言うて、後で皆に冷やかされてましたけどもな。そんな江戸時代ではあるまいし、全然顔もみたこともない、どんなことも分からんで、ようそんなん出来たな、言うていうことを半分冷やかしもって言うてたりしてたんですけどね。それ出来たのは、おばさんがしてくれんかと頼まれた。教会入ってくれんかと頼まれた。そのおばさんのいうことを無条件に聞かしてもらおうと思うた。いうことを言われる。


 私その話しを聞かしてもらろうて、今日の人間が一番無くしてしもうたもの「御恩」ということ。恩というもの。権利義務ばっかり、自己主張ばっかり、今の人はね。権利義務、自己主張ばっかりですね。御恩ということ、恩ということ、ほんとうに無くしてしもうた。
 例えば学校の構内暴力の問題やら、学級崩壊の問題やら、あんなん一つ見ても、教えて頂いて有り難いことであると。そのような思いは、親も無ければ、子供も無い。とんでもないこと。権利義務だけ。学校の先生さえも、職業じゃと、割り切ってしもうてるやからね。もうほんとに…。しかし、信心の問題なんかは、この御恩ということが分からなんだら、信心なんか出来ません。
 神様のおかげを蒙っておると言うね。御恩が分からなんだら、御恩を感じる心が無ければ、信心が出来ません。絶対出来ません。なんぼ理屈言うても、論理が合うてても、「恐れ入ってございます」というそいう思いがなかったら絶対、なんぼ本を読んでも、いくら論理を勉強しても、神様に通じません、信心なんか出来ません。
 「なんで、お参りせなあかんの」それで終わりや。「なんで御用せなあかんの」それで、終わりですわ。権利義務で考えたら、絶対出て来ないのね。権利義務からそれを見たら、全面的に出てこない。
 例えばその浦江の来田先生でも、それは、確かに育ててもろうたけども、「私は私の人生があります。」権利義務で言うたらね。「またなんぞの時には、助けさしてもらうけれども、私は、私の人生がありますわ。」それで終わりや。「そんなもん、個人の自由ですから…」と言うたら終わりじゃ。それだけのこと。しかし、恩を感じるという、信心で一番肝心なのは、この御恩を感じるという心ですな。この心無ければ、絶対に成り立っていかないのが信心ですね。
 今日の時代、物の時代じゃといいますけども、物の時代じゃと言うだけじゃなしに、権利義務それだけで生きておるということは、本当に今日の人間の根底的な難儀を生み出してるなという思いをさしてもらいます。有り難うございました。

(平成十一年一月二十六日)

刻々に春の兆しはくださっている

 自分から日切りをして願え。一週間とか一日とか、今のことを今とお願い申して、おかげを受けよ。一度日切りをしてお願いし、おかげのしるしがなければ、重ねて願え。それでもしるしがなければ、なおもう一度と、三度までは押して願え。願主があきらめてはいけない。押して願っておかげを受けよ。(『天地は語る』一七六)

 今日のみ教えで大切なことがざいます。おかげを受けていく上で、ここをしかっり分かっておかんとおかげを取り外すということがあります。色々問題が起こりまして、問題が起こってます時は、正にお先真っ暗になって、出口の無いトンネルに入ったような思いをいたします。もうそうしますと、神様にお願いしておりましても、不安の方が先に立ちますねん。人間というのは、「よろしゅうお願いします」言いもって、「大丈夫やろうか、大丈夫やろうか」と。お願いしてんのやら、心配してんのやらね、分からようになりますねん、それはもう心配するのは無理のないけれども…。
 別のみ教えでは、「ままよという心持ちになれ。死んでもままよのことじゃ」。神様お願いしまっせ、と心配してる自分は、もうどうしょうもないんやから、心配するだけなんじゃから、もう「ままよという心持ちになって、神様生きても死んでもよろしゅうに」という腹をもって神様に向かわして頂く、ということが大事なの。心配して、上手いこといくんやったら、思いっきり心配したらよろしい。もう生きても死にても神任せというね、神様にドーンといく腹をすえさしてもらわないかん。ここが、一生懸命信心してるようですけど、ほんまに、信心してるのやら、心配してんのやら、訳分からん。神様に願ごうてる端から「あきまへん」と自分で言うてるの。「私、自分であきまへん」言うたら、あくものもあかんようになってくるしな。そこが一つ。そこが一度お願いしてあかなんだら、二度願え、二度あかなんだら、三度願えと。願う者がしかっりせなあかんのじゃと。


 その次に大事なことは、願うて「しるしを見つけ」とおっしゃている。「しるし」ここが大事なの。必ず神様はね。氏子が本気になって願うたら、様々なしるしを現しなさる。ところがそのしるしがね、もう心配ばっかりしておりましたらね、しるしを全部見過ごしてしまいますねん。
 例えば寒い冬ですな。そうしましたらね、「温かい春をどうぞ、温かい春、温かい春」と思いますんやな。いつも桜咲いてる「ふぁー」とした、あの春のこと思いますんやな。
 「何でこんな寒いねん、なんで春けえへんねん。何であんな春になれへんねん。」こう思うてしまう。そうじゃないんですわ。刻々に春の兆しはくださっているの。
 梅が咲き、桜のつぼみが枝からちょっとでも出だしてくる。また寒い国雪国では、段々と雪が溶けてくる。今日もニュースを見ておりましたら、雪崩注意報というのが出ておりましたね。あれは春の兆しなんですわ。雪崩というのはね、積もった雪が温かくなって、そして崩れていく、雪崩は困ることなんですけども、あれも春の兆しなんですね。その兆しを頂かんと、いつも春のポカポカ陽気の、桜咲くことだけが春やと思うてしまうのね。すぐ一足飛びに桜と思うてしまう。四月五月の、あの良い時候のポカポカのところへ、「春けえへん、春どないなってねん。春どないなってねん。」とこうやってますねん。
 必ずそこに兆しというもの、それを「しるし」とか、「験(けん)」とかいう言葉で教祖様はおっしゃってますけど、「験を授ける、しるしを授ける」とかいうことをおっしゃっておられますけど、そこを大事に頂かしてもろうたら、確実に春に向かうことが出来るんでありますけども、心配が先になったら、しるしを全部見落としてる。「ワーワー、ワーワー」とうろたえてね。


 そやけど、まだ神様に「ワーワー、ワーワー」言うてたらええけど、まだましやけれども、人に「ワーワー、ワーワー」言うてる。人というものは、確かに同情はしてくれる。その時はちょっとホッとしますけれどもね、おもしろいもんで、人は覚えとりまして、「あそこは、あんなんやってんで。」とすぐ言いよる。決まってある。
 その時は「かわいそうに、かわいそうに」言うてもろうて、「かわいそうに」言うてもろたらホッとするところがある。それは人間そいういうところがあるのやけれども、一つも治ってへんねん。ようなれへん、おかげを受けるのは神様しか、しかたがないの。
 昨日の御理解の「病気にでもなると、だれでも人には話すが、神に申しあげることはしない。人には言わなくても神に申しあげてお願いすれば、おかげが受けられる。拝み方は知らなくても、一心にすがればおかげをくださる。(一七四)」
 教祖様の時代もこれあったんやろうな。神様にお願いせずに、「病気だんねん、ウョウョ……」ばっかりで、人にばっかりで、肝心の神様に向かういうことしてないのね。向かわないかん時に向かわんと、性根入れないかん時に性根入れんと、ほんで「信心してまんねん」言うてる。ほとんどの方が…。おかげの頂きようがないわな。同じ信心さしてもうても、腹の座った信心のおかげを蒙って頂きたいもんじゃと思います。有り難うございました。

(平成十一年一月二十七日)