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信心力を頂く

 金光第一高校のサッカー部が大阪代表になりまして、全国大会で三回戦までいって、大変にお道の名前を世に広めてくれまして、有り難いことでありましたが。
 運動、スポーツも同じようなことなんでしょうが、子供たちが遊びでサッカーをする。公園なんかでようボール蹴って遊んどりますね。そりゃ楽しんだらそれでよろしい。しかし、今度正式の試合に出るいうたら、遊びではいきませんな。やはり…。
 徹底的な基礎的な訓練から、論理から、体力作りから、あるいはチームワークの作り方から、そりゃそりゃ大変な訓練をしている。そうしませんと、とても試合になんか出れるもんじゃありません。同じボールを蹴っておりましても、公園で子供たちが遊んでるボール蹴りのそのサッカーと、そのように試合に出れるボール蹴りと、同じボールを蹴っておるんですけれども、全然質が違いますな。


 そうしましたら、信心も同じようなことでありまして、「はい、私信心しております。拝んでおります。」という程度の信心と、「信心にならせて頂きますように」という信心とは自ずと違いますな。
 「信心してます。うち金光さんですねん。毎朝手合わしてます。」という信心は、これはおそらく公園で子供がボール蹴りしてるのと同じようなものですな。それが「信心にならせて頂く」ということになると、み教えをしっかり身に付けさしてもろうたり、実力を身に付けさしてもろたりと。これが、信心の基本の「参る・聞く・祈る・奉仕」ということなんですね。
 例えばこの「奉仕」ということがありますけども。教会で御大祭やら諸行事がございます。そして、「御用しに行きましょうか。御用奉仕でっせ」と。いうことで皆さん御用くださるのだけれども。これは、身に付く御用ではございませんね。ただ単に義務を果たしているというかな。行事をこなしているというか、そいうものでありましてね。ここで言われる「参る・聞く・祈る・奉仕」の「奉仕」は神様と自分との関わりにおいて、「自分はこの事をもって神様に向かわさしてもらいます」というそういうもの。これは、他と関わりないものなの。
 御大祭やと皆関わって、行事を皆で何とかするためにね、分担してるだけのことであって、神様は、はっきりいうたらあんまり関係ないか分からん。人の方ばっかりが関係してるか分からんですな。やはり信心は、神様と関わりあってこないかんのです。神様と自分。「このように私は奉仕をさせて頂いて、神様に向かわさして頂きとうございます」と。これで初めて参ることも、参拝することも、祈ることも、聞かしてもらうことも、この信心の基本の四つが身に付いていくんですね。そうしました時に、さてという時に間に合う信心にならして頂きます。
 サッカーで言えば同じようにボール蹴っているんですけども、ほんまものになるかならんか、そこらに、すなわちそれを「信心力を頂く」と、この信心力、お力を頂くというのは、そういうことでしょうな。
 はあ、サッカーしてまっせ、遊んでまっせと、それもまあ悪くはないけども、これはスポーツ力、サッカー力は全然付いてませんわな。まあ、楽しいだけのことなんですけども、それはもう試合になりません。
 この力を頂くということ、力を頂く信心、信心力がある。これは、さてという時に間に合うていく信心。皆ほとんど、さてという時に間に合わん信心が多いですね。全部ふらついてしもうて、「参ってんのになー。ふにゃ、ふにゃ、ふにゃ」とこうなってしまう。「参ってんのにな。拝んでのになー」と。それは公園でボール蹴ってるぐらいなもんでしょう。
 はやり「信心力」を身に付けさしてもらう信心をさせて頂かんと、特にこれから時代、こういう混迷する時代にありまして、しっかりと身に付けさしてもらわんと危ないなと思わさして頂きます。有り難うございました。

(平成十一年一月十三日)


『根(こん)』の無い者は神も助けようがない

 何事も修行と心得て、根気と元気と活気で辛抱すれば、神も喜び人も喜び我も喜び
 ■解説■ 「根(こん)の無い者は神も助けようがない」と言っておられます。この「根(こん)」は無限のお力とお働きを持っておられる神様につながることによって頂くことができます。天地の間に生まれたのですから、天地が保証してくれます。

 今日のカレンダーのみ教えの「根の無い者は神も助けようがない」とこのように仰せですが、これは、教祖様が御用くださっている江戸時代の時に、庭瀬藩の木下公。あの辺の小さな大名ですけども、庭瀬藩のお殿様の若様が、病気になった。後継者である若様が病気になりまして、それで、御家老が教祖様のお広前まで来て、「かくかくの病気でございます。ぜひとも跡取りの若様でございますで、命を頂きますように」とお頼みに来られた。早速、教祖様は神様へ御祈念なさったんですけども、
 「若様はもう生きようとする根(こん)がございません。根(こん)が無い者は助けようがございません。自ら治ろうとか、生きようとか、いう根の無い者は助けようがございません。ただ、神の徳をもって五十日間は命を授けましょう」
 このように言われて、失意の中御家老は帰られたんですけど、やはりそのように、若様はお隠れになった。
 ここに大事なことがある。神様と人間との関係、人間がおかげくれ、難儀をしてたら、おかげをくれ、ということなんですが、くれと言うこちらに、何がなんでも≠ニいう、ぜひとも≠ニいう願いが、命をかけた願いが、しっかりと入ってんといけませんな。


 私の母が病弱でして、ほとんど寝たきりというようなことがずっと続くんですけどもね。昭和二十四年、現在の教会の場所へ復興のおかげを蒙りました。無い無い尽くしの教会です。瓦がない、壁がない、窓にガラスがない、畳が無い、電気もガスも無いというような、ほんとのバラック普請のところから復興したんですけども。
 私が知ってるだけで、三度生死の境をさまようんですわ。もちろん、お医者さんへ行くお金も無いしね。まあ、最後やいうことで、父親がその当時のご信者さんに、「もう家内あきませんでな。お棺へ入れる物が何もないので、せめて腰巻きをさらにしてやろうと思うので、ちょっと買うてきてやってもらえんか」言うて、信者さんにお願いしたこと覚えとるんですけども……。
 一回は私が小学校三年生ぐらいでしたかな。よく、宙をかく。亡者が血の池地獄でよく宙をかく図があるでしょう。あのように宙をかく、意識不明になっておるのにね、ずっと宙をかく。手を握ったら、ものすごい力で、グッーと引っ張る。いうようなことがありました。
 そんなんが前後三回ありました。それでまた数日して目を覚ますんですけども。「神様はまだ命くだされてる。まだまだ御用せよということや」ということで、また頑張って御用する。よく私に申しました、
 「お母ちゃんはいつ死ぬか分からん。御用が無くなったら、いつ死なしてもらうか分からん。お母ちゃんの願いは、扇町教会が戦後の復興をさせて頂く、そのことのみの願いで頑張らしてもらう。そのために、神様に命をつないでくださいませと。無い命もつないでくださいませと願うてるんや」ということをよく申しておりました。
 案の定、教会が戦後復興致しまして、昭和三十八年に教会が新築になり、それから、私が結婚しました。それから、二ヵ月後に亡くなりましたかな。「はあこれで次の跡取りが出来た」ということでしょうかな。わずか二ヶ月後に…。今から言うたら若い年齢、五十八ですもの。若い年齢や。
 こうして見るとね。皆さんご信心しておかげをくださるとか、「おかげを頂きとうございます」とこう言いますけども、頂きたいというこちらの願いが、どれだけ強いか、ぜひともという願いを持たして頂いて、願う方の願いがぼやけてしもうたりね。フワーと消えてしもうたり、あきらめてしもうたり、願ごうてんのやら、願うてへんのやら訳分からんようになってしもうたりね。これが根(こん)が無くなるということでしょうかな。「根(こん)の無い者は神が助けようがない」。根(こん)というものは、願いが強いといいますか、はっきりしてるといいますか、ぜひともといいますか、それがなければね。
 別のみ教えに、「大悪人がおかげを頂きます」というみ教えがあります。中途半端な人はおかげ頂きません、ということをおっしゃってますね。悪人がおかげを頂くということは、おかしなことなんですけども、「ぜひとも成就するぞ」と、「してみせるぞ」という願いを、しっかりと持たしてもろうて向かわしてもらう、その命の根ですな。ええとか、悪いとかいうのは人間社会のことでありまして、「命の根」それをしっかりと持たしてもらわんと、ぼやけてもうて、願ごうてるのやら、願うてへんのやら、まさに命がけの願いを持たして頂く。


 私そいう意味で、昔の忍者が好きでして、江戸時代は平和な時代ですね。侍言うても二本指してるだけのこと。しかしその江戸時代に、日本の武士道ということが朱子学から完成するの。「武士道とは死ぬことと見つけたり」というような案配で、切腹したりそういうことが武士道で、平和な時代に作られているんですね。ほんとに武士としてチャンバラして活躍した時代はそうじゃなかったんですね。簡単に「死ぬことを見つけたり」なんて言わなかった。
 「先ず矢を打て、矢が尽きたら、弓で叩け、弓が折れたら刀を抜け、刀が折れたら手で殴れ、手が切られたら足でけ飛ばせ、足が無くなったらかぶりつけ、首切られたら祈り殺せ。」とこれが武士道やという。
 「そう簡単に、あきらめて切腹なんかするか」言うて、とことん行くぞ≠ニいうのがほんとの武士道でして…。あの朱子学の武士道とは違う「死ぬことを見つけたり」「散る桜、残る桜も散る桜」と、えらいきれいな言葉で表現されておるんですけども、それはほんとに武士が活躍した、侍が活躍した時代じゃなしにね、平和な時代に作られた武士道なんですね。ほんとの侍が活躍したのは、今言うたようなこと。「矢を打て……」
そこまでの熾烈なものなんですね。というぐらいの、根(こん)といいますか、一途なもの。そいうことが、今日欠けてるような、ものすごく中途半端な、ぬるま湯に浸かってるような信心ですね。私の母なんか見てたら、まさにそいう信心を思い起こさせます。有り難うございました。

(平成十一年一月十七日)

賢いようでも人間は先々の事が分からん

 親が息子に「どうぞ息子が、良い嫁をもらってほしい。一生の伴侶になる素晴らしいお嫁さんをもろてもらいたい」と思うて、村の中から三人の娘さんを選んで、その三人の娘さんにテストをしてみた。
 それぞれ、百万円づつ渡して、「自由に使うてよろしい」言うて。A子さん、B子さん、C子さんに百万円づつ渡した。
 A子さんは、百万円の内、八十万円を自分の衣服やら化粧品に使うて、二十万円を貯金した。B子さんは、五十万円を衣服やら化粧品に好きなように使うて、残りの半分五十万円を貯金した。C子さんは、百万円とも、貯金した。
 そのことを息子に言うて、さあ、A子さん、B子さん、C子さんどの人を、どの女性を妻とするか。と言うてね。息子ニヤッと笑うて、
 「一番お乳の大きい女の子にする」言うた……。


 これ西洋の笑い話しにあるんですわ。おもしろいなと。私、この話しを読んだときに、ニヤッと笑うた。西洋の笑い話し、小話にある。日本の落語にも、そういう熊さん、八っさんにもそいう話しが、ニヤッとさせらる話しがありますね。
 親は、わざわざテストまでしてね、きっとC子さんを選んでくれると思うてな。きっとC子さんを選んでくれるに違いないと思うてしたことが、何のことはない。そんなんは関係なかった。お乳の大きいの、ボインの大きい女の子が息子は良かった。
 ここに、人生の大切なもの、落とし穴があったり、見えますね。こうあるべきだ。こうさしてもらわないかんのじゃ。これがいいことなんじゃと。計画をしたり、色々に手だてをしたり、して生きていきますけど、「えっ」というようなことがある。良かれと思うて、一生懸命にさしてもらうのやけれども、スコーンと全然違う方から、ポコーンと抜けてしまうのね。「ありゃりゃりゃりゃー、なにー」ちゅうようなこと、スコーンと抜けてしまう、いうことがあります。
 そうしました時にね。こうあるべきだ。こうするんだと。もちろん人間ですから手だてを色々組まないけませんし。色々なことをさしてもらうのも事実なんでしょうけども、その根底に、「どうぞ、神様よろしゅうに」という、「人間としてこれだけのことしか考えられません。これぐらいのことしか準備ができません。一生懸命にやってるつもりでございますが、抜けてばっかりでございます」と。「良かれと思うてしたかて、こんなことでございます」と。「どうぞ立ち行かしてもらいますよう。お導き頂きまするよう」と、「常にその謙虚な心持ちで出来ておりません。分かっておりません」という心持ちを神様へ向けておりませんと。
 「こうもしてやる。ああもしてやっていると。あるいはここまで準備してる。どうじゃ」と……。全然違う所へポコーンと落ちよるねんな。「オットットット」。言わないかんというようなことがございます。「上手の手から水が漏れる」ということもあります。賢いようでも人間は先々の事が分からん。そこに恐れ入って、どうぞという気持ちをいつも神様に向けさして頂いて、「足らん所は神様に足してくださいませ」という信心を、日々にさしてもらうことがおかげを蒙っていく、大切なことじゃないかと思います。有り難うございました。

(平成十一年一月二十一日)