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二十九年目の結婚記念日

 今日、実は二十九年目の結婚記念日でありまして、有り難いことです。結婚する当初、家内は四十キロ前後やった。今は○○キロ。は……。えらい違いじゃなあ。あんなもん契約違反や。あないなるとは思わなんだ。向こうも、そこまでハゲるとは思わなんだ……と思うてるちゃんうんかな。一緒なもんやな。
 ずっと、一緒にこさしてもろうて、もちろん健康であったからこそ、命を頂いたからこそであります。いつの間に二十九年かわからん。毎日、毎日共に生きておりますから、いつの間に二十九年もきたのか。振り返ってみると、二十九年かいな、三十年かいなと思うんでありまするけど、生きてる事が毎日、毎日のことでそいう実感がなかなか湧かない。
 昨日、子供らに言われてみて「お父さん、明日結婚記念日ですよ」「あ、そうですか。えらいどうも、どうも」という感じやな。実感が湧かない。
 結婚記念日というのは西洋から入ってきたんでしょうけども、そのことがわからんぐらいに来させてもらえたいうのが有り難いことでな。そのことが指折り数えないかん、「どないなんねん。何年になりまんねんやろうな」と指折り数えないかんことが、かえってしんどいことで……。
 毎日、毎日、今月今日バタバタ、バタバタこう生きさしてもろうてきて、ふと気が付いたら二十九年、三十年。孫が五人。はあ、おかげを蒙ってきたんやなと。その二十九年間のうち一日でもおかしなことになってしもうたら、そこで全部総狂いになってしまう。はあ、何もかもにも、おかげを蒙ってきたんやなとこう思わさしてもらう。
 ふと、どっちが辛抱したかいなと。家内に言わしたら「私が辛抱してまんがな」とこうなる。言われるの決まってあるし、こっちも、「何言うてるの、私は、私で辛抱してんのやがな」とこう言うことになる。
 昨日の教典研修会やないけれども、辛抱いうことはものすごく大事なことですな。それで、辛抱でも、家内がする辛抱と、私がする辛抱と違いますな。おもしろいもんで。ふと、結婚した当初どうやったかいなと、ふと思い出しましてね。こういう事を家内に言うたことがある。


 一緒に生活して、教会と家庭とが引っ付いてますな。家内も四条畷教会で御用さしてもろうてて、教会ということはよく知ってる。教会の第一線に立ち、若先生してはった。
 そやから、教会のことも良く知ってる。そこで、「わかってるやろう」「わかってます」と。ところが、「これが、奥さんになったり、お母ちゃんになると、立場が変わってきたら、なかなか分かってても、分からんようになるんやで」と言うた。
 例えば、子供が出来る。大変に忙しい。ほんなら、主人は、お父ちゃんは家の中にいてる。教会にね、一緒やから。誰も信者さんが参ってないとする。
 「ちょっと、この子供見てちょうだい」と絶対やるからな。これ、お勤め人やったら、会社で暇であろうが、忙しかろうが、奥さんは、「ちょっとあんた、これオムツ替えるの手伝うて」言われないな。ところが、同じ家屋の中にいてて、そして、教会の御用いうのは、人が来てる時にしか目立たないけれども、人の来てない時がものすごく大事な時。その時に、こちらの勉強もさしてもらわないかんし、御祈念もさしてもらわないかんし。
 ところが、子供ができたり、忙しくなると、何もしてないように見えるその主人を見て、「お父ちゃんな、あんた暇でっしゃろ」と、こうなりやすくなるからな。「使わんといてな。使うてしまうと、一番大事なお広前が、御用が知らず知らずのうちに、おろそかになってしもうて、知らず知らずのうちに、便利のええお父ちゃんになってしもうて、一番大切なことが抜けるからな。姿見えるからね、側にいてるから『ちょっと、これしてくれる。暇でっしゃろ』となってしまうからな。「決して使わんといて。何にもしてないようやけれども、色々なことを思うてるの」。その色々なことを思うてる。その中に御祈念も入ってある。手を動かしたり、足を動かしたり、走り回ってるだけが動くん違うんじゃと。じっとしてることも大切な働きなんやと。そやから、「便利に使わんといてや」、ということを二十九年前に言うたことがありますね。
 まあ、それをどうにか、よう守ってくれて、そやから、棚一つ吊ったことあれへん。オムツは、ほとんど替えたことありませんねん。ついついと便利になりますんでな。特に教会の御用、仕事いうたら、形に現れるいうことは、そんなにないの。じっとしてることの方が大事なことなの。そのじっとしてる間に色々なことを思うたり願うたり、考えたり。
 例えば「原稿すぐ出来ますな、先生は」という。そりゃそうや。じっとしてる時にずっと色々なものの見方考え方をな、勉強さしてもろうてる。人が助かるには、どいうものの見方、考え方したらええじゃろうか、ところが、端からみたら「先生タバコ吸うてはりまんな」しか見えへんもんな。 「先生、暇でんな」と言うようなもんやな。それしか見えない。
 「あんた、教会で生まれ、先生してたんやから、それ、分かってる思うけれども。ついついと忙しくなってくると便利に使うから、使い出したら終わりやで。教会の御用ができんようになるで」ということを言わしてもろうたことがありまして、それから、早二十九年。まあ、どうにかあんまり使うてくれんと、御用さしてくれたなと。
 そやから、その辛抱が家内のする辛抱と、私のする辛抱と違うの。「私は辛抱しました」と、両方とも言うやろ。きっとな。どっちが辛抱したかいなと言うや知らんけれども。辛抱の質が違ういうことがあろうかと思います。有り難うございました。

(平成十年十一月二十七日)


病気の根切れのおかげを頂くには

 一週間でおかげをいただいたとか、二週間でおかげをいただいたとか言うが、それは一時、神がその病気をつかまえていてくださるだけのことであって、治ったと思うと当てが違う。大体、重い病気は三年とか五年とか、また十年もたたなければ治るものではなく、もとの体にはなれない。その代わり、もとの体になれば、もう患うことはない。神が病気を直してくださる時は、病気の根から取り払ってくださるのである。腹の中に病気という一本の木が生えたとすると、それを枯らそうとして医者は薬を使うが、枝葉はすぐに枯れても根は残る。根が残るから、また生える。神が治してくださるのは、暇がかかる代わりに、病気の根から治してくださる。(『天地は語る』三三〇)
 
 今日は、病気の御理解でありましたけども。
 人間には遺伝というものがありましてな。親から子へ、子から孫へと移っていくいいますか。個人の一人ひとりの病気じゃなしに。よく病院行って、初診を受ける時に「親や家族に、ガンはありませんか」と、マル等を付けますね。というふうに遺伝していくところがあります。
 そうしてみると、み教えの「根が切れる」という根切れ、病気の根切れというものは、自分だけではなしに、この子々孫々までのところの根切れのおかげを蒙らんとね。自分だけの痛い痒い、だけではいきませんのですな。子々孫々まで、「根切れ」のおかげを蒙っていかないかん。


 私の父が、九十過ぎまで長命のおかげを頂いたんですけども。若い時に肋膜、胸を患いましてね。それで、もう今やったら、ええお薬があるんでしょうけども、もう死にかけで、どうしょうもなくなってしまいました。(父の母は、私からいうたら祖母になる。)
 その母が息子に、「同じ死ぬんやったら、御本部で死んどいで。金光様のお膝もとで死んどいで」ということで、御本部へ修行に行ったということであります。おかげを蒙り、修行さしてもらうことによって、逆に元気になり、肋膜を治さして頂いたんでありますが。
 九十過ぎて、いよいよ臨終の間際になり、それまでは父がお医者さんにかかったところを、一回も見たことがありません。お医者さんに来てもろうて、診てもらいますると、そのお医者さんが言うのに「悪い身体を上手に使うてはりますな」と。肋膜を患うていたのわかるんやろうな。「悪い身体を上手に使うてありますな」とお医者さんは、そいう表現で言われた。
 私はそれ聞いて、「お父さん身体悪かったんかいな」と。
 医者の見立てでは、そいうことでありましょうけれども……。


 その持って生まれた体質やら、そういうものが確かにある。それを抱えて、そのまま抱え持って、おかげを頂いて九十過ぎまで元気に使うて頂いた。「なんと有り難いことかな」という思いを、まして戦中戦後の大騒動の時を、悪い身体で生きてきておるんやからね。今のような平和な時代違うて、食べるものも無ければ、住む所も無い。上から爆弾落ちてくる。着る物も無い、何にも無い。無い無い尽くしの、そいう中を悪い身体で生きてきておる。
 その根本何処にあるかといいますと、やはり「神様にお使い頂く」「人様が助かって頂ければ、有り難いことである」と。「神様の御用を通して、人様が助かって頂いたら有り難いことである」と。すなわち、命を神様にお供えしてるんですな。そやから神様が保障して下さるんやろうな。命を神様にお供えしてる。何の為にお供えするかいうたら、人が助かってくださることが、神様のお喜びなんであると。
 ですから、その若い時に患うて死にかけた時に、「同じ死ぬんやったら、御本部で死んどいで」と母親に言われた。その時から命をお供えしてることになるんじゃな。命をその時からお供えしてる。神様に向かうていく、体が悪ければ、悪いなりに、おかげを蒙っていってお使い頂くということの凄さ=Bまた、次の代、有り難いことに私は、もう少々ではくたばらんだけの、体質のおかげを蒙らしてもろうとる。次の代へ引きずらないおかげを、蒙らしてもうてますな。もったいないことやなと、有り難いことやなと思わさして頂きます。
 ですから信心は大きな信心がよろしいな。本気に神様に向かうてそれこそ、神様から頂いた命やから、神様に命お供えするくらいの心持ちにならしてもろうた時に、自由自在にお使いくださるんじゃなと思わさして頂きます。有り難うございました。

(平成十年十一月二十八日)

それぞれ流れておる命

 生きている時に神になっておかないで、死んで神になれるか。(『天地は語る』三七〇)

 今日のみ教えの「生きている時に神になっておかないで、死んで神になれるか」
 やがて、みんな間違い無しにあの世へ行かして頂く。まだ、あの世へ行ったことがないので、あの世が一体どうなってるのか、こうなってるのか分からん。よく「地獄へ落ちる」やとか、色々なことを申しますけど、私は行ったことがないので、よう分からん。
 ただ一つ言えることは、オギャーと生まれて、死なしてもらうまで、それぞれの寿命を頂いて生きている。そいう面では、誰の生まれ変わりじゃとか、あるいは「輪廻転生」ということを仏教で言われますけども、誰の生まれ変わりか分からん。
 今まで人間がこの地球上に生まれて死んで、生まれて死んで、……それこそ、何千億という人が生まれて死んで、生まれて死んでしてます。しかし、私、押木廣太は、過去にはおらなかったやろうと思う。これから先も、私が死んでから、「私」は絶対現れないやろうと思う。何百億、何千億の人が生まれて死んでしてきた。生きてきてた。これから先も多くの人が生まれて死んでするが、たった一人、私の命というものは、今、今月今日のこの命である。それはそれは、大変な大きな命。
 そのかけがえのない今月今日の、今頂いておるこの命は、実は私個人のものなんですけども、同時に、親から子、子から孫へと流れる命でもある。
 一人だけを見たら、私、自分のものでありますけども、私は子もおれば、孫もいます」「次に流れてる命」いうものがある。血の流れ、子孫の流れと申しましょうか。自分の個人だけであったら、生まれて死んだら終わりやと。「どうでもええねん」ということになるか分からんけれども、ところが、命の影響を受けて働きを受けて、次の命、次の命へとまた展開して、流れていく命でもあります。
 その大きな命を見たときに、自分一人だけの命だけでも大変なんですよ。何億という中で、かけがえのない一人の命なんですけども、そのかけがえのない一人の命が、生かされてるこの命がまた、他の命の流れの中で、他との関わり合いの中で生きているのです。「死んだら終わりです」とよく言いますけども、終わりじゃないものがある。


 そうしました時に、この頂いている命、魂なるものが、「神様のお徳を頂けるようなあり方」「神様のお徳の中に生きて、神様のお徳を受けることのできる」そういう「命」にならしてもろうていかないかん。
 そこへ原点を押さえといて、ご信心さしてもろうたり、生きていくことが、大事なことじゃないかなと。
 刹那、刹那のことはもちろんご都合頂かないかんのやけれども、その命の原点から、見さして頂く。そうすると、「神様のお徳を十分頂いておるにも関わらず、受け切れてない自分が、受け切らしてもろうていく。そのご信心をさしてもろうてくると、「命の流れ」のおかげを蒙らしてもうてくるんじゃないかと思います。


 「人、一人助ければ、一人の神。十人助ければ、十人の神」とおっしゃる、どうぞ神様に出会うて、「神様から実際頂いておる命」、「それぞれの流れておる命」であることを分からしてもらうと、大きなおかげを蒙ってくる。そのおかげを蒙っていくお手伝いと言いますか、御用にお使い頂いていくということが、自分の命が高まっていく、素晴らしいお徳を頂いてくる。
 それが、今頂きました、み教えの「生きておる間に神にならずして、死んで神になれるか」。神というのは、「人を助ける働きが、神ですからな」。生きている間に人を助ける働きをさしてもらう。死んだ後も終わりじゃなしに、多くの人を助ける働きを、信心をさして頂きたいもんじゃと思います。有り難うございました。

(平成十年十二月四日)