信心の質と流れのおかげを蒙る
昨日、月例祭にあわせて、この二十一日に結婚する那須守親さんと品川眞喜子さんのことに関して皆様にお披露目といいますか、ささやかなるパーティをさして頂きました。パーティをさしてもろうて、本人たちも緊張しておりましたけど。
特に新郎になる那須守親さんは、赤ちゃんの時から、お母さんのお腹の時から教会へ来ておりまして、我が子のような感じがいたしました。「はあ、成長したもんやな」と。二十四という年なんですけども。いつ二十四年が過ぎたんやろうか。あの「オギャー」言うてたのが、もう結婚する。この年月の流れの速さというもの。この年月というものは、どなたさんにも皆平等なの。世の中、不平等なことが沢山あるんやけれども、時間だけは、どちらさんにも皆平等なの。そやから、那須守親君が生まれ、二十四年経ったと。その当時生まれた子も同じく二十四年経っておる。年月は一緒なんでありますけれども、そこに何を頂いたか、何を身に付けさしてもろうてきたか。ということが、今日の幸せになっていく元になりますな。それからまた求めていかないかん。
誰でも、この年月というものは変わることないし、その年月を過ごすんでありますけど、そこで何を大切に出来てきたか、ということじゃないかと思います。おじいさん、おばあさんと一緒に住んでいて、もうおじいさんはお隠れになりましたが、おじいさんが寝たきりでしてね。そうしてくると、その孫はどいうことになるのか。
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教会では、『勧学祭』と言いまして、学年始め。すなわち三月の終わり、四月の始めに学問を勧めるという『勧学祭』というお祭りがありまして、子供たち、学生たちが、新しい学年、学校を迎えるにあったって、神様にお願いをし、お礼を申すお祭りであります。
その時に、神様にそれぞれ作文をいたします。「今年は○○高校に行きます。」とか、「ちょっと理科が悪いです。」とか、「数学が悪いです。」とか、「ここをもっと頑張らしてもらいたいと思います。」とか、「次は入試です。」とか、という願文を書き、作文にして神様にお供えをさして頂く。面白いですね。みんな色々なことを書いておる。
その中で、ある子なんかは、「もっと小遣いが上がりますように。」と書いてる子もありますしね。おもしろいなと思う。
その那須さんも、小学校、中学校の時に書いてる作文があるんですけども、「どうぞおじいちゃん、おばあちゃんが、楽になりますように。」とか、「もっとお手伝いが出来ますように。」とかいう、文面を書いてるんですな。「はあ、これやな」と思わさせて頂く。そんなのがいつの程にか二十四才になっておる。
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どこの家にも、お年寄りと同居しておるところがあるんですけれども、その年寄りと同居している中にあって、「うるさいなあ」と思う若い子もいてるかも分からんし。「もっと大切にさして頂こう」と思う若い子もいてるか分からん。その育ち方、家庭の中での育ち方、「大切にさしてもらおう」という育ち方が、信心の中身として知らず知らずの内に、小さい子にまで、ずっと浸透し、行き渡っておる。おじいさん、おばあさんが大切に出来るようにというような家庭にならしてもらえてる。
こんなんね、頭で一丁一席にいきませんねん。「年寄り大切にしいや」「はい」と言う返事だけで言うて、それで終わりや。そうではなしに、日々の信心生活の中で、知らず知らずの内に年寄りを大事にさして、寝たきりの人を大事にさして頂くという生き方がね、ズーと染み込んできておる。それが染み込んで、ふと気が付いたら二十四。そしてまた新たな家庭を築かしてもらうんであります。
またその家庭を築く中で、もうすぐ来年には、「オギャー」が生まれてくるでしょう。また「オギャー」から出発して、そこでまた何を身に付かしてもろていくか。信心というものは、質と流れのおかげを蒙らないかん。これは、一朝一夕にいきませんでね。ふと気が付いたら二十四年の年月が流れておる。本当の「おかげ」いうものは、その生命の流れのおかげを蒙らせてもうていかな、いかんなと思わさせて頂きました。有り難うございました。
(平成十年十一月十六日)
「恩」と「感謝」は違う
親の有り難いことから先に知りましたら、神の有り難いことも知れます。飛び越して知れようはずはございません。
■解説■ 「天地の御恩」を教えられても、「恩」を感じる心が無ければ、神様が分かりません。「恩」を分かるには、身近な神様である親を拝める心を持つことです。それには、よその親が子供を慈しんでいる姿をよく見ることです。 (扇町教会『一言一句 日めくり』より)
昨晩、『一日一話 第二集』の製本の御用を、皆さんでして頂いて有り難いことでございました。御用してくだされた古川さん。この方は社会福祉事務所の方へ勤務いたしとるんですけども、福祉でも色々な福祉がありましてね。彼が勤めるのは、気の毒な人をお助けする、すなわちホームレスになる人や、生き倒れの人や、そんな人を収容して職を与えたり、泊まらしたり、色々な世話をする、そういうような一番底辺の福祉の仕事に携わっています。その古川さんが言うておられた中で、恐いなと思うことがありました。
ここ数年で、大変にホームレスが増えた。もう収容もしきれない。古い施設をもう一ぺん使う。ところが、使う言うても職員の数がまた要る。ということで大騒動している。大阪市の管轄なんですけど、大阪市の方から「どないする」言うてくるから、逆に大阪市に「どないする」言うたと。大変な時代の変革期にきておる。その古川さんがふと漏らした言葉の中に、『社会崩壊』ということを言いましたね。
これは、恐いことなんですわ。実験であったんですけど、小さな島に鼠が非常に繁殖をいたしましてね。ある一定の頂点に達した時、鼠がもう隊列を組んで海へダッダッダッダーと飛び込んでいくの。集団自殺ね。海へウワーと飛び込んでいく。そういうことが、天地の大きな働きの中にあるの。
人間が人間社会を造っている。確かにそうなの。違いない。人間が人間社会を形成し、造っているんですけど、「ある一定の状況になりました時に、自らが崩壊していく」ということがあるんですね。そいうときに戦争が起こったり、天変地異が起こったり、あるいは革命が起こったり色々なことが起こるんですけども。飽和状態になったり、あるいは、どう言いますか、爛熟しきってしもうて、すべての人間が気ままを出し過ぎたり、好き放題し過ぎたり、秩序を乱してきたり、何を大切にするのか、分からんようになってきた時には、社会崩壊を起こしてくる。自ら潰れてくることがあります。
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例えば、明治維新の前の幕末に『ええじゃないか』という、今ちょうどNHK『徳川慶喜』の真っ最中のところですけども。黒船が来たとか、あるいはまた、尊皇攘夷とかは特定の人だけですわな。ほとんどの庶民というのは全然関わりないのね。特定の人たちがケンケン、ガクガクやったり、あるいは政権の取り合いしたりということがあるが、庶民はほとんどそんなところには関わりない。日々の生活がなんとかいけたら良いというのが、庶民でありますけど。その庶民が狂うてくる。
鼠が集団でダッダッダーと海へ飛び込んでいくのと、同じ状況が『ええじゃないか』という踊りで、もう仕事もせえへん。放っぽり出して、もうずうっと何十万という人が踊り歩く。その前にお伊勢さんのおかげ参りいうのがある。これも全部放っぽり出して「ええじゃないか、ええじゃないか」と踊ってウワーと流れていくのね。洪水のようにウワーと。皆それぞれ、一人ひとりは家庭もあったり仕事もあったり、学問もあったり、勉強もしてるやろうし、それぞれに一生懸命に生きてる。だが、それぞれの持ち場立場を放棄する。放ってしまう状況が起こるんですね。自分のせねばならん守らないかんいかん家庭や仕事やとか義務やとか、そいうことを放っぽり出してしまう。これが『社会崩壊』というんですけどもね「ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか、ウワー」と。
ですから政治が尊皇攘夷やとか、開国やとか、幕府倒幕やとか、というのは、特定の政治を司る人たちの。あるいは国家を変えないかんという意識をもった人たちの問題ですわ。一般庶民は関わりないんですわ。どうなろうと。
ところが、一般庶民がそれぞれの持ち場や、権利や、義務やという、生活のすべてを放ってしまう。ちょうど、私も古川さんと同じこと考えたんですけど。日本がそういう時期に来たなと。文化も全部放ってしまうの。大切にしてるものを全部放っぽっり出してしまう。ほんならどうして食べていくかというと、蟻の大群みたいに、まともにやってる所へ、ウワーと集っていくの。もう何でも食い尽くしていくの。「ええじゃないか、ええじゃないか、ウワー」「あそこの店に物売ってるで」「ウワー、ウワー」と。止めるとかそんなんできないの。暴動でもないの。「ええじゃないか、ええじゃないか、よいよい、よいよい、ウワー、ウワー」というジャングルで兵隊蟻が動いたらすべて食い尽くしてしまういうような。そいう状況。その当時の治安を守る人たちまでが、中に入ってええじゃないか、ええじゃないか、よいよい、よいよい」もうどうでもええ。もうどうでもええ、「親が子供を育てる」そんなこともどうでもええ。何もかもどうでもええ。どうでもええ、ウワー、ウワーええじゃないか、ええじゃないか、……」もうこれが社会崩壊というんです。
人間というものは生きる上に、これを大切にしていくんだといういうことがあるんですね。それが崩れた時に、一人ひとりの心の中で「これを大切にして生きていくんだ」「私はこれを生きてる価値にするんだ」という。論理やら、理屈で分からんでも、親が子供をカッと本能的に守ったり、「よっしゃ、一生懸命働こう。田圃を耕したりと私は田圃耕すことが務めなんじゃ」とか。そういうことがプッツン切れた時に、どうしようもない状況に入っていく。
ちょうど今「日本がその入り口に入ってるんじゃなかろうかなあ」ということを古川さんは実際の仕事の現場で、次々、次々とホームレスさんが増えてくる。全部あれは職場放棄、義務放棄。人間で成さねばならんこと全部放棄。そんなのが、どんどん、どんどん出てきてるといこと。恐いなと思いますな。
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そして何でそいうことになってきたんかという色々な分析が出来るんですけど、精神面の一つにあるのが、今日の日めくりですねん。「恩」という感覚。
戦前にあって、戦後無くしたものが色々あるんですけど、「恩」の感覚。これは感覚なんですね。これは言葉でなかなか説明出来にくい。親の「恩」とかね、「恩」という感覚が戦後失いました。日本の文化の中に無くなってしもうた。「御恩」があります。「あの人には御恩があります」。御恩の感覚というものが、無くなりました。
権利義務はある。自分の権利を主張する。義務を遂行する。「親は子供を養育する義務がある」。義務で養育する論を出しましたね。ほんなら、逆に「子供は親に養育される権利がある」とこう言う。権利義務になりましたわな。そんなところで子供を養育するのと違うの。
愛しくて、かわいくて、どうぞと願いを込めて、子供を育てますわな。子供の方もそこまでの愛情を受けて、この親の「恩」はそれこそ、一生かけてでも親の「恩」には報いていかなければと思う。そう言う「恩」の感覚が無くなってしまいました。日本人の精神の中にね。
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例えば教会でも、少年少女会をずっとやっておるんですけども、やはり社会の方が強いですね。お育てを頂いた「恩」ということを感じる子はほとんどおりません。こちらがどんだけお世話さしてもろうても、子供は遊ばしてもろうたというような程度の「恩」ならありますが、どんな思いでお育て頂いたかという感覚が、教会へ参っておりましても無いですね。「恩」を感じる。お育てを頂きましたと御恩を感じる者が日本人の中に無くなってしまいましたな。
権利義務というのはあるんですよ。それはあるんですけれども、人間は何を大事にして生きるかという精神的な柱と言いますか、それが崩れた時、それが無くなってしもうた時、人間が人間でなくなってくるんですな。それがずっと続いてくると、社会崩壊、社会自体が崩壊していくと、その社会崩壊の原因に精神的なものが大きい、その一つに戦後の過去にあって戦後に無くなってしもうた精神構造、「恩」の感覚。「恩」を感じるとか、「恩」に報いるとかいう感覚。
「はい、感謝してます」とか言うものです。この頃、新興宗教なんかは、「恩」と言わんと「感謝、感謝」と言うてるでしょう。すごいなと思うのはね、みんな「恩」と言うても分らへんと思うから、「感謝、感謝」いう言葉を使うてますねん。「感謝」と「恩」とは全然違うんです。異質のものなんですね。「感謝してますか?」と。「感謝」と「恩」とは違う。水の「恩」。「この一滴の水で命をつながらして頂いてます」という、「水の御恩」というのは「感謝」とは違う。水に感謝してますじゃない。「恩」というのは、命につながってくるものを言うんです。「あなたあってこそ」というものが「恩」というものなんです。そやから、「恩」には必ず恩に「報いる」ということがあるんです。感謝には、「報いる」がないんです。「恩」には必ず命を掛けてするから、それに、報いていかないかんというものがあるんです。そやから新興宗教が「感謝、感謝」とよく上手いこと言うなと思うのは、もう「恩」の感覚が日本人無くなったと思うからでしょうね。「恩」言うたかて、分からんと思うたから、「感謝、感謝」言うてるんやけども、「感謝」と「恩」とは全然違うんです。
「恩」というのは、「あなたがあってこそ」と。命のつながりなんです。そして、「恩」には必ず報いると。報恩と。必ずそこへセットされたものなの。「どんなことがあっても『恩』には報いていかないかん」は、「育てて頂きました。感謝してますよ」とは違うん。「どんなことがあっても、親の『恩』に報いていかないかん。」「自分の全生命をかけて報いていく」、そいうものなんですね。それが、今の感覚にはありません。戦後無くなったのが「恩」の感覚。人間が生きる中の精神の中で、大切にせないかんものが、総崩れになってしもうた。
そやから、人間が崩れたから、社会が経済が崩れたんかも分からんわな。社会学者からみたら、経済がバブルでこういうことになったからと崩れたんだと。こう言いますけど、逆に、一人ひとりの人間が特定の人だけではなしに、一億数千万の全国民が崩れたんでしょうな。だから、社会構造も崩れてくるし、経済も教育も崩れてくるし、すべてが総崩れになってしもうておると、いうことなんでしょうか。
今日の「恩」を受けても、「恩」を感じる心がなければ、どうしようもない。天地の御恩の中におっても、「恩」を感じる感覚が無かったらどうしようもないと言われるのはそいうことかと思います。有り難うございました。
(平成十年十一月十七日)
条件に振り回されない大きな大きなお礼
勉強をいたしまして、この道のことが分かりますと、神の方でも手に合わぬようになります
■解説■ 信心は理屈ではありません。有り難いという「素直な心」です。信心の勉強は、いかに有り難く思えるかの勉強です。この勉強は頭でするのではありません。身体を使って心でするのです。参拝して御用にお使い頂きましょう(扇町教会『一言一句 日めくり』より)
今日の日めくりのみ教えで「信心は理屈ではありません。有り難いという素直な心です。信心の勉強は、いかに有り難く思えるかの勉強です。この勉強は頭でするのではありません。身体を使って心でするのです。参拝して御用にお使い頂きましょう」と。
昨日から話ししている「感謝」とか「恩」とかいうもの。普通、感謝いうのは、好きな物をもろたから「有り難うございます。良くして頂きまして…」とか、自分の思い通りになると「幸せです。感謝してますわ」と。また「何々してもうたから、何々になったから感謝してますという条件ということで感謝するということになる。
「信心のお礼」というものは、そいう質のものじゃないんですな。全然異質のものでありますな。
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父親がいよいよ老衰に入りまして、と言うても頭は、全然ボケてないんですよ。食事が頂けないようになりまして、無理矢理こちらが入院さしまして、ベットに入ってもろたんですけども。
こちらといたしましては、せめてもの親孝行と、それから九十年の信心の中身というものを、見させて頂きたい。親子でも一緒に生活しているんやけれども、バタバタ、バタバタしてましてな。ゆっくり見さしてもらうことが出来にくいし、正に今、一人の命が神様の元へ帰ろうとしておる。「人は死に際に、どういう人生であったかが分かる」ということを常々聞かしてもろうとりますので、一体どいう信心であったんだろうか。ということを見させて頂きたい、という思いから、二十四時間体制をとりまして看病させて頂きました。
私は夜の部担当でね。完全看護で、そんなんせんでもええのやけれども、二十四時間、子供が横に付いてるように、お世話をさして頂く。今まで元気な人であって、寝込むいうことが一切ないのがかわいそうで、ベットにくくり付けられるような感じやわね、点滴でな。食事が頂けない。喉が通らないということでね。
それで、下には、オシッコの管をぶら下げてるしな。なかなか自由にならない。大体元気な人で、あちこちフラフラと、九十才前まで自分で天満市場(教会から歩いて十五分)まで漬物買いに行ってた。「おまえ(家内)が買うてくるのは、うまない。わしが買うてくる」言うてね。自分で天満市場まで買い物カゴ持ってお漬物買いに行きはる、というような元気な人でありました。
それが、ベットにくくりつけられる。イヤな注射打たれる。不自由になってくる。
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かわいそうな思いで、父を見さしてもうたらね。まあ、一度も愚痴出しませんでしたね。「こんなことになって、イヤやな。こんなんしどいな、辛いな」という一度の愚痴も聞いたことがない。逆に私らが、親孝行のまねごとする言うて徹夜で頑張っても、全然寝ずですよ。二十四時間点滴ですからね。手を持ったままですねん。ちょっとでも外れたら、年いってるから血管ペッと破れて腕が膨れ上がってくるんで、二十四時間手を持ってる。
親孝行のまねごとする言うたかて、頑張っても十日ですな。徹夜するのは…。もう、父親が「どっちが病人やな」言うて「あんたもう無理せんでもええ。帰って寝、寝」言われるような案配であった。
そいう中で看病さしてもろうて、一度の愚痴不足も聞かしてもろたことが無い。死にかけのゴリゴリのしゃれこうべみたいな顔で、看護婦さんに「ヨッ、べっぴんさん」言うて、こっちが「ええ加減にしいな」言う感じやな。
朝起きたら、点滴で起きる上がることが出来ない。そいう中で片手で「有り難うございます。有り難うございます。今日も命を頂いとります。有り難うございます。」と。有り難い状況違うのよ。ベットにくくり付けられて、イヤな注射打たれるし、もうすぐ死なないかんし、一つも有り難い状況じゃない。それなのに「有り難うございます」とお礼を申しておる。
「はあ、これやねんな。ここやな」と。お礼を申すとか、感謝をするとか、有り難うございますいうのはね、条件ではないんですわ。「こうこう、こうやから有り難いんじゃ。これもろたから、有り難いんじゃ」ではない。「今、我、天地の命を頂いて今我ここに生かされてあり。有り難うございます」と。それがベットにくくり付けられていようが、イヤな注射打たれようが、湯水が通らんようであろうが、「今、我、神様のお働きを頂いて、ここに生かされてあり」。身体は確かにベットにくくられてるが、心がベットに全然くくられてへんわな。こっちの方がくくられてる。「もうしんどいな」言うてな。全然我が心、ベットにくくられてない。自由自在なの。
「いや、おはようさん。」と元気に挨拶する。どっからそんな元気出るのか?「点滴は、すごいもんやな」と思うたけど、点滴違うんやな。我が心や。正におかげは和賀心にあり。和賀心にある。
状況見たら一つも有り難い状況じゃない。今まで元気やったのがベットにくくり付けられる。そいう身体なんだけれども、「ああ、有り難うございます」と。「おじいさん、お食事頂きましたか?」「はい、昨日はすき焼きを食べさして頂きました」食べるどころか……。心ではすき焼き食べてるのか分からんな。「有り難うございます。一杯頂いてな。」頂くどころの騒ぎか。湯水も通らないのでありまするのに、そういうことで、正に自由自在でとあると同時に、「今、我、神様のお働きで生かされてある。もったいないことでございます」という。そのお礼の心が沸々と出てるんですな。
正に天地自由自在になってくる大きな大きなお礼。条件に振り回されない大きな大きなお礼を申せる。それが父の長年の信心の結果やったんかなと思う。行く山を越えて来はったもんな。はあ、日清戦争の時生まれたんやからね。それから日露戦争からずっと、明治、大正、昭和期そのものの歴史を歩んできておる。大波乱万丈というか、大変なこと。その中にご信心をさしてもろうて神様にお使い頂いて、その中で生まれてきたものの結果が、「有り難うございます」というものが、結果であったんかなと「はあ、大したご信心じゃな」と思わさせて頂きました。有り難うございました。
(平成十年十一月十八日)
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