トップページ 写真館 本・ビデオ おかげ 扇町教会とは リンク

人が助かっていくための連携プレー

 私が二十歳ぐらいの若いときに、難波教会でご修行さしてもろうたことがありまして。こちらもまだ若いですし、修行ってどういうことなんか、どうさしてもろうたらええのか、よう分からん。父親が若い時に、難波教会でご修行したことがありまして、そんなところから、「どんなことやろうな」と一辺、父親の真似をしたいという思いがあって、行かしてもろうた。
 その時の親先生、教会長先生は近藤守道という先生。先々々代の三代教会長先生でして、ちょうど行かしてもろうた時に、今の私より若いぐらいですかな。五十代ぐらい、ちょうど私ぐらいの年齢。
 その先生、何も「ああせい、こうせい」とおっしゃらん。「ああそうか」と言われるだけであります。こっちもどうさしてもらうことが、ええのかよう分からん。いつもお結界に座られて、御用なさる。私ら修行してる者は、色々な用事をしたり、あるいは特別用事のない者は、お広前の隅で座らしてもろうて、あるいは信者さんとの相手をさして頂く。
 お届けのある時と、お届け無いときありますわな。お届けなくても、お座りになっておられる。ふとお結界の方をみると、時々、アゴをクイッと上げるの。何のこっちゃ訳分らへん。ほんなら、玄関に知らん人がいてて、なんか用事がある人が立っておられる。それを言っておられたんでしょうな。
 また、夕方になったら、アゴをクイッと上げることがある。
 その当時の難波教会はね。道路に面して木の塀がありましてね。ぼんぼりさんの電灯がついてるの。夕方のお掃除の時はまだ、電灯付けてないのね。朝のお掃除と夕方のお掃除があって、夕方のお掃除の時は、まだ電気を付けてない。そやから、暗くなったら電気を入れる。それが、何メートル間隔か毎に電灯がある。
 そして、ある晩も、時々、アゴをクイッと上げるの。もの言いはれへん。ホンマにアゴだけなの。「何事かいな」と。「なんや、親先生なんか言うてるで。何やろう。何か言うてるのやろう。分らへん。ひょっとしたら、ひょっとする……」外へ出てみると、ぼんぼりさん一個電気切れてたいう案配やね。
 ものを余りおしゃらん。大概がアゴやねん。もの言えばええのにな。ずぼらな人やなと。口あるのになあ。そんなこと思うたことがありましたな。


 難波教会のご信心の伝統に、心を配る『心配り』というのがあります。教祖様が「心配する心で信心をせよ」と、難波教会初代近藤藤守先生にお教えになった。それをそのまま藤守先生は受けられるんやけれども、「心配する心で信心をせよ」とその意味合いと、もう一つあるはずやと。「心配りする心で信心をせよ」という、もう一つの意味合いをお取りになったんやね。「心配りする心で信心をせよ」と。それから、この『心配り』ということが、難波教会の信心の柱になります。「心配りが足らんな」とか。「心を配りなさい」ということなの。
 親先生のこのアゴがどういう意味合いなのか。修行する者に、ものをおっしゃらんと、目とアゴだけで、こうおっしゃる。始めは分からんもんやから、ずぼらな人やなと。言うやーエエのに、口を使えばエエのにと。


 これは初代近藤藤守先生の逸話なんですけど、奥さんに対してもアゴを使いなさる。奥さん、「はい」言うて立たれて、直ぐさま人力車を呼ばれて、参って来られた信者さんを人力車に乗せて、車夫にお金も渡される。お結界でボソボソお話してますわな。奥さんに対してアゴをクイッとする。後で聞くと、あの人は身体がえらいから、今で言うたら「タクシー呼んだれ」いうことやろうな。ところが、その参って来てる人に「タクシー乗って帰れ」言うたら、「いや結構です」言うわな。
 今みたいに、誰でもヒョイ、ヒョイと車に乗れる時代じゃない。人力車に乗る。そいうようなことは、よっぽど、お金持ちいうかな。そいういう人しか乗れない。普通の庶民がそう簡単に人力車乗るいうことがあれしません。今では庶民でもタクシー乗りますけども、その時分は乗らない。ですから、「あんた、人力車乗って帰りなはれ」と言われへん。だから、藤守先生、アゴでおっしゃる。奥さんはサッと立って、人力車用意なされて、車夫にちゃんと費用を渡される。それもアゴ一つ。
 またある時に、お弟子さんの教会の先生がお参りなさる。藤守先生いうお方は、お弟子さんには非常に厳しいお方であって、ボロンチョンに叱られる。お弟子さんは初めて教会開いて、もう経済的にも、もうヘトヘトになっておるのね。そやけど、お参りさしてもらわないかん思うて、お参りしてくる。それに対して親先生は、ボロクソに怒りなさる。ほんなら、ガックリくるねん。一生懸命にやってても、どないもできへんから。ガックリきてもうてね。「はぁー」となる。もう、棒を折りかけるねん。せっかくお参りしてきてな、費用も無いのに歩いてお参りしてきてるのというようなもの。「よう来た」言われるよりも、ボロクソに怒られて、「はあ、親先生なんか何も分かってへんわ」と。「私の苦労、何も分かってへんわ…」とこう思うた。
 帰り際に、また奥さんに対してアゴでおっしゃる。奥さんはスッと「ちょっと待ってな」言うて止めて。すぐ裏へ入りはって握り飯作って、それにちゃんとお金添えて、
 「信心の棒、折ったらあきませんよ。ここからが大事なんですよ。親先生は励ましておられるのよ」と。全部これアゴでおっしゃるの。見事な連携プレーやね。親先生との間の連携プレーが出来ておられた。それだけに、人が助かっていくための前向きの心を配っていく。出来ていくんじゃなしに、前向きに心が配れる。なかなかこれが難しい。現象が起こってからは出来るんやけれども、対応するんやけれども、現象起こる前のことをさしてもろうていく。まして人の心の内を読むというかな。その人の心の内まで、読まして頂いてさして頂くことは、なかなか難しいこと。
 しかし、よく考えてみると「神は声も無し形も見えず」やからな。神様の心を読まして頂くいうことは、信心で大事なことやけれども、なかなか難しい。そやから常にそいうところから、神様の心、思し召しを分からして頂く稽古、これが信心の稽古ですわ。常にそいうことに心を配らしてもらうことが、大事なことかなと思います。有り難うございました。

(平成十年十一月十三日)


自分は何を根本にして生きようとしてるのか

 信心の浅い時には、人から悪しざまにそしられるとすぐ腹が立って、こらえきれないで、しっぺ返しのようなことをする。しかし、信心が少し進んでくれば、人からそしられると、腹は立つけれども、信心しているからと思ってこらえられるようになってくる。信心がずっと進んでくると、人からそしられても腹が立たない。腹が立つどころか、かえってその人が気の毒になる。(『天地は語る』二六四)

 堪忍することをよく心得ておれ。堪忍さえ強かったら人と仲違いをすることはない。「ああ、ふびんなものだ。私はこうしてこらえているが、信心する心のない者は、ああいうことを聞いては青い顔をするであろう。そういう人は、神に願って、直してもらってあげたいものだ」という気になっておれ。(『天地は語る』二六五)

 人間関係のことを教えておられるのでありますが。人は、人との間に生きておりますまから、社会生活を色々いたしております。人と人と触れ合わんと生きていけないものがありまして、今の御理解のように腹が立つことが日々にある。
 そして色々な人と触れ合う中で、腹が立つとか立たんとか、自分も含めて、関わり合う人は、何を大事にしてるんのやろう。
 例えば、お金大事にしてる人とか。見栄だけ大事にしてる人とか。あるいは何も考えんと生きてる人とか。色々の質の人がおられるけれども、その質の人、自分の質ってなんなんやろう。
 先日もある先生と話ししてたんですけど、色々なものの言い方もあれば、色々な論の立て方もあるし、色々な理屈もあるんやけれども、理屈の出所ね。その人の持ってるものが、どんなに立派に論理が合うても、その出所が何処にあるのかということによって、その人との関わりが変わってくる。
 「ああ、この人は経済論を上手に言うてる。結局自分で金くれ、金くれ言うてるねんな」あるいは、「組織でワアーともの言うて、ええカッコしたいんやな」とかね。その同じ論が合うてても、根底の出所が何処にあるのか。いうことそこが大事なことです。
 「どうぞ、神様今日もお使いくださいませ。今日も働きをさしてくださいませ」というところへいつも腹を据えときませんと、人と人との関わりによって振り回されたり、あるいは、腹を立てたりするようなことがあります。ですから、自分自身はどこを大切にして、根本にして生きようとしてるのか。
 「今日頂いた命どうぞ、お役に立たせてくださいませ」という、そこをしっかりと押さえて、生きさしてもろうていったら、少々のことでは、腹が立ちませんねん。ところが、向こうに振り回されてくると、腹を立てたり、こちらがウロウロ、ウロウロしてしまうんやな。「今日一日、神様の氏子として、どうぞお役に立たせてくださいませと」そこだけしっかりと押さえさしてもろうとけば、大丈夫かと思います。有り難うございました。

(平成十年十一月十四日)

先祖は祟るから祭るの?

 昨日、大原ますゑさんの「五十日祭」と「合祀祭」言いまして、ご先祖の御霊様と合わせ祭らして頂くお祭りをさして頂きました。お葬式の日から、教会でもお写真をお祭りして、日々に御祈念をさして頂きました。また、ご自宅でも同様にお祭りをなされ、十日祭、二十日祭、三十日祭と、十日毎に「旬日祭」というお祭りをさして頂きました。
 この頃では、仏教ではお葬式が終わったら、すぐ、「初七日」やったりしますね。私は、ご葬儀の御用さしてもらうとき必ず申し上げるんですけど、「人間の都合で御霊様のお祭りがあるのと違うんやで。御霊様にお祭り申し上げるんやから、それぞれ都合つく人だけが、お参りしたらええから、十日、十日はきちっとさして頂くように」と。その十日の間に段々と御霊様は、神様の元へ行って頂く。
 今まで何十年間、大原さんでしたら、九十一年。(九十一才でお隠れになる。)何十年間、身体と共に生きてきたのが、亡くなるということで身体と魂がバラバラになって、ほんで自分の身体が灰になってしまうんやからね。御霊様とされては、ご本人とされては、「私は一体何処へ行けばいいの」という思いやろうと思う。それを「あなたは、お体がお隠れになったんですよ。そして神様の元へ行くんですよ」ということを、実意丁寧に五十日間、毎日、毎日の御祈念と共に、十日、十日の旬日祭に申し上げていく。


 そして、五十日さしてもろうて、ふと感じた。特にこの方は、やり手のしっかりではなしに、人間的にしっかりなされたというか、考え方がしっかりしてた。よい考え方が出来る。あるいはまた、何が真実かということをきっちと押さえられたり、あるいは、身体を動かしたり、人の御用に立つという、派手ではないんですけど、キチッと押さえられた生き方をなさったお方でしてね。最後まで、ボケるということもありませんで、見事な一生を送られた。
 大変なご苦労をしておられるんですけど、四人のお子さんがおられて、それぞれええ年やわな。九十一才の子供やから、それぞれ、所帯を持ちながら、亡くなったお婆さんを中心にして、家の中がキッチとまとまっておる。
 また、孫さんも非常にお婆さんを大事にする。いわば信心の徳のおかげの家庭なんです。ですから、おばあさんが亡くなって、扇子の要が取れたような感じね。やはり、それだけ子供さんが慕うておった。大概九十一才になって、身体が不自由になって四、五年寝たり起きたりでしたからね。子供にとると、「もうええ加減にしてえな」という思いになるかと思うんですが、ここではそうではなしに、本当にそのお母さんを大事にし、大切になされて慕とうて、看病等が出来らておられました。見事なもんです。
 ですから、子供さんにとってみると、なんぼ九十一才じゃというても、ガックリくるというか寂しいというか、辛いというか、「はあ」と、うなだれる思いをもっておられました。
 しかし、十日、十日のお祭りをさして頂きしてきますと、段々ね、子供さんたちの顔が暗い顔から、晴れやかな顔になってきて、昨日の五十日祭では、「ああこれで、ほんとに神様の所へ行けましたんですね」。言う声が返ってきました。「これで、神様の元へ行けたんですね。母は神様になったんですね」とほんとに晴れやかにおっしゃっておられて、「はあ、良かったなあ」と。
 これを思いつつ、やはり五十日間、キッチリとお祭りをさして頂き、御祈念さして頂き、すると御霊様が神様の元へ行くんですな。それが、子供さんへ伝わっていくんやろう。そして皆、晴れやかな顔付きになられて、「本当のお祭りさしてもろうて良かったな」と。「キッチリさしてもろうて良かったなあ」という思いを持たせて頂きます。
 御霊様が助かられることによって、その子供さんたちが助かって行かれる世界ね。「祟りや」と反対やね。よう自分たちが大変なことになってくると、「誰が祟っとんねん」と、そっちの方へ気がいく。「ほんなら、祭らないかんで。祟られるから祭る。」そんなアホなこと無茶苦茶や。「除霊せないかん」なんて無茶苦茶や。そうやなしに、ほんとの御霊様が、神様の元へほんとに行かれますように、御霊様がほんとの意味で助かって頂きますようにという真心を持って、向かわさして頂いてくると、その遺族の方も晴れやかになってくる。心が明るくなってきている。「はあ、有り難いことやな」という思いをさして頂く。
 それを逆手にとってこんなになるのは、「先祖が祟ってるんや」言うて。「祟るから祭る」のと違うねん。大事に思うて祭らしてもらうんやな。そこらの根本的にとんでもないことを思うてる人が、あるいは、間違うたことをね、教える人があるのでどうもならんでありますが。
 始めは、皆ガックリきてはって、一生懸命に四、五年も真心こめて看病なされてんやから、やっぱりガクッともこられるやろうし、辛い思いをなさってたんですけれども、昨日は皆が晴れやかな顔になっておられたんで「良かったなあ」と思わさして頂きました。有り難うございました。

(平成十年十一月十五日)