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誰のご先祖やねん

 木のもとへ肥料をやれば、枝振りまで栄える。先祖や親を大切にすれば繁盛させてくださる。(『天地は語る』二〇九)

 分家をすると、うちにはまつる御霊がないと十人のうち九人まで言うが、それは大きな間違いである。人にはみな先祖というものがある。押し入れのはしにでも、先祖様と言ってまつらなければならない。(『天地は語る』二一〇)

 学生の時分、友達の家へ遊びに行かしてもろうた時に、ちょうどお坊さんがお越しになっておりました。月々回ってはるお坊さんがありますな。お坊さんがお越しになって、仏壇でお経を唱える。家族の者、ひとっつも一緒にお参りせえへんねん。ほんで、お経が終わった後、お布施を包んで、お茶菓子とお茶とお盆で出して、「ご苦労様でございました」言うて、お坊さんも平気で「はいはい」言うて、それを頂いてサッサと帰られる。
 友達に「何であんたらお参りせえへんのや」言うて、
 「あれ、お坊さんの仕事やねん」
 「どなたのご先祖やねん」と言うたことがあるんですけど。
 何でこなになってしもうたんですかな。おかしな話しやな。「誰のご先祖やねん」言うたことがありました。


 また色々な方が来られる中で、「私は長男ですから、親の先祖の位牌を守ってますねん」とこうおっしゃる。「法事もしますねん」と、そのように言われた方があった。
 ちょっと待ちなはれや。「先祖を守ってるのか、先祖に守られてるのかどっちや」言うて。 「長男やから、先祖守ってまんねん」と。「法事もせなあきませんし」、このように言われるから、「ちょと待ち、おかしいで」言うて、「先祖に守ってもろうてるの違うの」
 ここらの感覚が全然違う。
 信心さしてもらう者は、同じ法事をしてもね、先祖祭をしてみても、どこを大切にしてるかということやな。どこを根本にしとるかが大切。
 そやから「世間通りやってます」。長男の方は「世間の務めをちゃんとしてます」いうことやろうな。「先祖の法事ちゃんとしてます。ちゃんと先祖守ってます」ということなんだけれども、世間通りにはしておられるのだけれども、それが天地の道理に、神様の道理から見たら、「それでええんか」言うてはるか分からんわね。形は同じや。お坊さん呼んできて「チーン、なんまいだ」言うて、形は一緒やけれども、先祖を守る≠フか、先祖に守って頂く≠フか、ここらが、根本的に間違うてるところがありますね。
 世の中がほんとに間違うたことが非常に多い。それでいて、「私はちゃんとしてます。やってます」ということになるんやな。


 お道で先祖様を祭らして頂くのは、もちろん生前からのお礼と、それから続いて御霊様になって頂いて、日々お守り頂いて下さってもらってることへのお礼。
 もう一つある。「どうぞ、御霊様がより神様の元へ行かれますように」いうことをお願い申すということ。「より神様の元へ近づいて行かれますように」というお願いをさして頂く、これが先祖様を祭らしてもらういうことになりますね。
 とかく、形だけな、大きな仏壇やってもな、形だけでは……、どうもならん。
 友達の家みたいに、お坊さん拝みに来はって、こっちは全然拝まんと、それで済んでるという、難儀なこっちゃな思う。そいうところが、知らず知らずのご無礼お粗末というようなところへ、ズーッと入っていきますやな。
 「私は何にも悪いことしてません」言うけれどもな。知らず知らずのご無礼お粗末いうことにズーッとなっていくことにあるなと、思わさして頂きます。有り難うございました。

(平成十年十一月四日)


大騒動がおかげを受ける時

 信心する者は驚いてはならない。これから後、どのような大きな事ができてきても、少しも驚くことはない。(『天地は語る』二四二)

 心配が増したり、物事を苦に病むようになるのは、信心が落ちた証拠である。その時、これをありがたく思って信心すると、これが修行になって、また一段と信心が進んでいく。そうでないと信心が落ちてしまって、心配や苦難に負けて、どうにもならないようになってしまう。(『天地は語る』二四四)

 人間であるから、生きている間は先々のことを考えもしようし、心配の尽きる時はあるまいが、それがみなおかげになれば、心配はあるまい。心配は、信心すればみなおかげになる。心配は体に毒、神に無礼である。心配する心を神に預けて、信心する心になれよ。おかげになる。(『天地は語る』二四五)

 「これから先、どのような大きなことができてきても驚いてはならぬ」と、このように教祖様教えておられますが、ただ単なる短い言葉なんですけども。
 教祖様が御用なされたのは、江戸時代から、明治にかけてでしょう。徳川三百年、正確にいうと二百六十年から七十年ですけども、将軍でいうても十五代。それぞれの家にとっても、十五代程になりますわな。そして士農工商という身分があって、将軍を中心にして各領地には、お殿さんがいて、侍がいてて、お百姓さんも年貢を納めるのやけれども、それぞれに守られておる。それがもう永々と続いてきたんでしょう。それが当たり前というか、それが、日本の社会である、自分たちの生活であると思い、疑うことさえも無いほどに、どっぷりとその中にある。
 ところが、明治維新になって、ひっくり返りますわな。それはもう我々が、歴史やらテレビで見て、大変やったろうな、というどころの大変さとは、そりゃ、そりゃ違いますわな。自分の国が無くなるような、生活基盤が全部違うてしまうというようなこと。「えっ、どないなるの自分たち」と。特に侍やった人、これは、全部、職無くすんですよ。わずかな手切れ金、退職金もらうんですけど。『俸禄金』という名前やったと思いますけども。
 今まで、二本差しさして「こら、町人」いうてたのが、一ペンに無職よ。それが、自分の失敗で無職になるんやったら、話し分かりますけどな。世の中が大変革になって、それで、自分の職失うんやから、「これ、どう私は一体どうすりゃいいの」という。自分だけではない。家族がおりましょうが、親類いうたかて、侍の親類も侍や。皆親類、一族郎党、すぐさま失業ですわ。「一体どうすりゃいいの…」
 そいう時に教祖様、「驚いてはならぬ。これから先どのような大きなことができてきても、驚いてはならぬ」ただ単に、言葉と違うんですね。実際その時に、多くの人たちが路頭に迷うてしまう。慌てて商売したのが、『武士の商法』いうてな。せっかくもうろうたお金、全部巻き上げられてしまう。


 私の母の里が、和歌山県の和歌浦出身なんですけども。その母の里、母から言うたら、おじいさんになる人なんですけど、和歌山藩のお納戸役いうて、今、国で言うたら、通産大臣のような役職で、そやから、私から見たら、祖母になる人、小判でおジャミしたいう。お殿さん以下総員クビでしょう。ですからその俸禄金で、小さな百貨店開きまんの。『武士の商法』や一ペンにパーですわ。というような案配でね。皆、奈落の底へ突き落とされるような思い。
 そういう中で「驚いてはならぬ。」とか、「先を思うな」とか、「苦にするな」とか、「心配するな」とか、簡単にスーと流れてる言葉なんですけども、実際その時代の大変革いうて三百年も当たり前できたものが、コロッと変わられてごらん。西向いてるのやら、東向いているのやら、さっぱり予測も付かなければ、さっぱり分からない。
 そいう時に教祖様は、このように先のこと心配するな。苦に病むな。どのような大きなことが出来てきても、うろたえるな、と。教祖様も同じくその時代に生きられたお方として、教祖様ご自身もお広前の撤去、神前撤去といような大騒動が起こる。
 さあ、その時に『武士の商法』やないけれども、全部財産すってしまう人と。その時に大きく、神様へ向こうて、その時にホンマものになる人と二通りあるのね。大概の人は財産すってしまいますわ。大騒動して、「どないすんねん、どないすんねん」言うてる間に、全部何もかも無くなってしもうた。弱り目に祟り目というてね。何もかも余計に失う人と。
 そういう時にこそ、教祖様は神前撤去を命ぜられた時には、「どうぞ、撤去したらよろしい」と、サッサと撤去されて、いよいよ我が心神に向かわれて、何が大事かということをジッと見つめられた。お道具を持っていくのいは簡単なことですけど、神様はよう持っていかん。神様のお道具持っていくのは、簡単なこっちゃけど、神様自体を持っていくことは出来ない。そういう時にいよいよ「壁を拝んでもおかげになる」と。壁に向かってジッと何が大切か、何がホンマであるか、神様の思し召しがどこにあるのか。その時に生まれたのが、この『天地書附』。
 「天地金乃神の広前は世界中である」というみ教えがその時に生まれます。それまで神様は、お社の中にいてるみたいに思っていた。「天地金乃神の広前は世界中である。神の中を分けて通っているようなものである。」
 あの時を境に、金光教というものが普遍的な世界宗教になる元が、そこに出来てきます。ただ単に、拝みやさんみたいなところから、百年経とうが、二百年経とうが千年経とうが、変わることのない天地の道理を見い出してこられたのが、神前撤去の時代。全部取り上げられて生まれてきた、時代の大変革期に生まれてきてますね。でありまするんで、大騒動が起こることがあるんですけど、その時が逆におかげを受ける時と、腹決めさしてもらうことが大切なことかと思います。有り難うございました。

(平成十年十一月十日)

難儀の中におかげがある

 何事も辛抱が大切である。信心においてはなおさらのこと、辛抱が弱くてはおかげが受けられない。中には、やけを起こして信心をやめる人がある。気の毒なことである。車でも心棒が弱ったり折れたりしたら、車が回らない。辛抱をしないで幸せを得た者は、あまりない。漁師でも農民でも商人でも、辛抱のない者は出世ができない。漁師や農民には風雨の天災があり、商人は損をしたりして、不幸せなことがある。それを辛抱していかなければ、幸せにはなれない。信心するにも辛抱が大切である。その証拠には、神殿のお扉を開いてみよ。ご幣か、み鏡のほかは何もない。ただただ、信心の辛抱でおかげが出るのである。神からおかげが出ると思わないで、信心からおかげが出ると思って、信心の辛抱を強くせよ。(『天地は語る』二五五)

 六日の日の布教部のお説教で、三木先生のお話の中に「難儀の中におかげがある」このように言われた一節がある。それは流れの中で言われましたので、全部言うてたら切りがないんですが。難儀の中に何でおかげがあるの。
 三代金光様は「難はみかげ」。「難儀はおかげである」とこのように仰せである。もう一つ突っ込んで見たときに、「難儀の中におかげがある」と。
 「いや、難儀は難儀ですよ。辛いことは辛いですよ。どうしようもないですよ。はよ、辛いところから、何とかしてもらわな困ります。その辛いことが何とかなるのがおかげなんですよ。そのためにお参りしてるんですよ」と。いうのがほとんどですけどね。
 色々な諸問題が起こってくる。あるいはどうしょうもない諸問題、色々なことが起こってくるんですけど、それが、例えば自然現象で、大風水害が出たりして難儀をする人もあれば、様々な難儀の様相があります。
 私は、お商売人さんによく言うたんですけど、バブルの時によく言うたんですけど、「お百姓でも必ず不作の年があるよ」と。必ず不作の年がある。一生懸命に種まきして、草取りして、肥料やって、さあ、刈り入れいう時に、風水害が起こったりしてね。あるいは冷害が起こったりしてね。不作の年が必ずある。それは、天地がその田圃、畑を休ましなさる。そしてもう一辺、それを耕さしてもらうお百姓が、どうあったらええのか、どのように取り組ましてもろたらええのか、いうことを考えさしなさる時期があるよと。お百姓にとってみたら、自分の田圃であり、自分が植えた種であり、自分の作物であると直ぐそっちの方へ錯覚してしまう。
 大地があって、天地があって、農地があって、お百姓ができますんやな。ところが、ついついとワシの田圃、ワシの作物、ワシの収穫というふうに、錯覚を起こしてしまう。ですから、そういう風水害が起こってくると、「なんちゅう私は、不幸な人間や」と。こういうことになってしまう。
 しかし、天地から見たときには、「これは天地のものやで」とおっしゃるかわからへん。天地のものじゃと。というふうに、どこかで、何年に一回は風水害がある。不作の年が何年に一回必ずある。その時にお百姓さんが、来年蒔かないかん種米≠ワで食べてしまわないようにせないかんな。言うて。そうせんと、お百姓続けていくことが出来ん。
 商売でも同じこと。色々な風が吹いてくる。ところが、不景気じゃという風になったり、流行という風になったり、色々な風が吹いてくるんじゃけども、それを有り難く頂いていく、それを分からしてもらうのに、ほんまものの商売があるんやで、と言うことをよく申しまして、バブルに引っ掛かりませんでした。信者さんのお商売誰も、バブルに掛かりませんでした。おかげを蒙ったんですけど。
 そいうふうに人間側から見ると、田圃流されてしまうことは、「なんちゅう、こっちゃねん」とこう思う。が、天地から見てみると、それは一つの自然現象であったり、あるいはまた、「これは、お前のもん違うんやで」というてはるか分らへん。
 風水害で言えば、大変な難儀、あるいは不景気である。大変な難儀やけど、その難儀の中に見えるものがある。その時に「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」と言うだけで、終えてしまうんじゃなしに、そこで、神様に我が心を向けさしてもらうことによって、神様と出会うことが出来る。
 みんな拝み倒してても、神様に出会うてません。殆どの人は。「えらいこちゃ、えらいこちゃと」拝み倒して、拝んでるやけど、神様と出会うてない。神様と出会うた時には、ほんとに安心のできるというか、命の素晴らしい働きを頂かしてもらうことが、実感してきて有り難うならしてもろうてくる。それが、難儀の中におかげがあるという一つです。


 もう一つは、今日の御理解のような、辛抱の稽古をさしてもろうてるかということ。人間ちゅうものは、ずぼらでしてね。しんどいことなかったら、辛抱しませんねん、辛抱の稽古ということがある。それをさしてもろうて、人間を大きくさしてもらえる。
 「あの人はな、苦労してはるでな。人間、大きいな」と。という、大きゅうならしてもらえる。鍛えられる。いうことがある。
 もう一つは、物の道理が見えてくる。「なるほど、お百姓いうものがこういうものか、経済というものはこういうものか、働かしてもらういうのは、こういうものか、親子とはこういうものか、夫婦とはこういうものか」という、物事の道理を分からしてもらう。
 この三つが、難儀の中のおかげということだろうと、私は思わさしてもらうんですけど、なかなかそうはいかんでね。「えらいこっちゃ、痛い痛い」これ専門やからな。「痛い痛い痛い」神様もへったくれもあれへん。「痛い」と言うだけでの話や。「痛い痛い痛い」「何で私は不運な人間でしょう。私は何で不幸な人間でしょう。」まあ、そっちの方ばかりいってしもうて、痛い目しただけ損せないかんぐらいに、痛い痛い言うてないかん。
 その三つの事を、段々に身に付けさしてもろうてくると、今度の次の風水害は、大丈夫なんですわ。そのことはもう卒業みたいなものやな。しかし、また次、色々なこと起こるんですよ。起こってくるんやけれども、それでそのことは、卒業したみたいなもの。
 そいうことにおいて、難儀の中におかげがある。そのおかげというのは、難儀が向こうへ遠退いてくれたり、こっちの都合よういくだけのおかげではなしに、そこから頂かしてもらうもの。分からしてもらうも、神様に触れるもの、神様に触れて、神様に会うていけれる。神様と会うというのは大変なことやと私は、思わさしてもらいます。そういうすごいものが、そこを頂いていくと、ほんとの子孫繁盛家繁盛の大きな、大きなおかげにならしてもらうんじゃないかと思います。有り難うございました。

(平成十年十一月十二日)