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神様に日頃はお水とご飯だけや

 今朝、いつものように起きさして頂いて、神様のお水をし替えさして頂いた時にフッと思うた。神様には日頃は、お水とご飯だけや。ささやかなもんや。それに比べて、願うことは「これもお願いします。あれもお願いします。あっちもよろしゅうに。こっちもよろしゅうに」ささやかなことしか出来へんのに、御用、御用いうても、ささやかなことしか出来へんのに…。
 「はあ、よう神様ご辛抱くださってるな」と。ほんとに、お水とご飯あげるぐらいなもんじゃ。毎日のこというたら、神様はご請求がないからね、人間側が勝手に「そんなもんじゃ」と思うてしもうてる。「これでええもんじゃ」、と思うてしもうてるんね。ほんとにささやかな、ささやか過ぎるわな。ささやかな事しか出来へんねんな。「相済まないこっちゃな」という思いが込み上がってきて、それぞれの願うことは、「これも、あれも」と、ようけ願ごうて、してるこというたら、お水とご飯あげてるだけや。「はあ、済まんこっちゃな」と、こう思わさせてもらう。
 やはり、神様にせめてものことで、それぐらいしか、神様に出来へんのやけれども、「ちょっとでも……」と、「せめて……」という思いを大事にさして頂いて、神様が喜ばれるように、ご信心さしてもらわんと相済まんこっちゃなと思う。
 夕べも、休まして頂いて、朝、目をさましてもらう。その間もずっと神様お守り頂いて、お働き頂いて、そして朝、「あっ、時間やな」と起きてるんやからな。ほんとに、もったいないことやなという思いをしみじみさして頂きました。
 せめてもの心持ちを持たしてもろうて、神様にお喜び頂けるようにさせて頂きたいもんじゃなと思いました。有り難うございました。

(平成十年十二月八日)


三代金光様

 昨日は御本部で、「布教功労者報徳祭」というお祭りがありました。教祖様の奥様、歴代の教主金光様、また歴代教主金光様のご夫人方。そして各地で全国一六〇〇もの教会がありますが、津々浦々で御用くだされた諸先生方。その諸先生方にお礼を申すお祭り。特に昨日は、三代金光様と申しましてね、「金光摂胤君三十五年」のお祭りでございました。
 この三代金光様は、数え年の十四才。満でいうたら十三才かな、中学一年か二年生。その時に、お父さんである二代金光様がお隠れになられまして。お隠れになられる前に、「摂胤も十四になります。御用が出来る年齢ですので、御用させてください」ということで、周囲の方にお頼みになられる。数え十四の年。そうですね、お広前がまだ二十畳そこそこのお広前で、しかも方田舎であって、その中で御用に立たれることになった。
 御本部お広前、全国の教会も同じなんですけども、このようにお結界がある。各教会では、各教会長が、色々な御用があるので、べったり座りきるということは、なかなか出来ませんけれども。
 その十四才の金光摂胤という青年は、親の言うことを聞かれて、その日から三六五日、このお結界にビッと座られた。人が来ようがこよまいが。今みたいに、交通の便がよくて、しょっちゅう人がお参りする時代と違うでしょう。明治二十六年から十四の子供がお結界にべったりとお座りになられた。七十年間。
 だるま大師が、九年ほど座ったのかな。それで手足がもげてしもうて、だるまさんの格好になったと言われる。この金光摂胤というお方は、七十年間、門外不出で、朝の四時から夕方の四時まで、べったりとお座りになられた。そして人が来ようがこよまいが。来ないときは、御祈念をなされ、そして来られたらお取次をなされた。
 ですから面白いんですよ。よその教団から見たら教主というのは権力者と思う。金光教を知らない人は、
 「教主はどういう方法で決めるんですか」と聞かれることがよくある。
 「はあ、教会長の選挙によって決まるんですよ」と。
 「そしたら、色々選挙運動があるんですか」と。
 「誰もなりたくはない。三六五日、お結界やからね。誰もなりたいとは思わん」言うて。
 「もう頼むからなってください」とお願いせんと、とてもとても…。
 日曜祭日もなければ、もう三六五日お結界で、死ぬまで座り通す。これが教祖様以来の教主の御用。その御用を三代金光様は十四才からなさいまして、七十年間。八十四才までじっと座られ、御用くだされた。


 各教会もこういうお結界がありますね。それぞれ教会長がそれぞれなりに、一生懸命に御用されているんですけど、なかなか私もご同様ですけども、御用が御用にならん。
 あるとき、ある教会長が三代金光様が御用くだされて四十年前後の時分かな。ちょうど金光様が私の年ぐらいや。五十四才ぐらいやな。
 その時にその教会長が、
 「もうなかなか三代金光様みたいに、そこまでの御用が出来ません」と。
 「とても私みたいな者が、御用出来ません」と。そう思うて辞めさしてもらおう思うて、三代金光様の所へお取次行かしてもろうた。三代金光様は、
 「そうですか。私もな、親様が『座れば楽じゃ』と言われるので、座りましたがなあ。始めのうちは辛うて、辛うてよう泣きました。そのうちに段々に、考えることも、欲しいことも無くなってまいりました…」と。
 例えば、ちょっと友達が遊んでいる。「行きたいな。遊びたいな。あんなんしたいな。こんなんしたいな」子供の時からね。全くもって十四の子供や。境内で同級生が遊んでる声が聞こえる。それを聞いて、「自分も一緒に仲間に入りたいな」と。いうようなことがある。
 「初めのうちは、辛うて、辛うてよう泣きましたがな。そのうちに考えることも、欲しいものも無くなりました。今では有り難うて、有り難うて、「お礼の足らぬお詫び」ばかりいたしております」と。その教会長にそういうふうにおっしゃった。
 教会長は恐れ入ってもうて「金光様でも泣き泣きに辛抱されたんか」と。「自分はまだ辛抱が足らんな」と。そう思われて「よく分からしてもらいました」言うて、改めて御用に立たれる。
 十四の子ですからね。その小さな子供が、泣き泣き辛抱しいしいに、神様に向こうて、正に神になっていかれる世界ね。「欲しいものも、考えることも無くなりました。有り難うて有り難うて、『お礼の足らぬお詫び』ばかりいたしております」と。
 皆の有り難いのは、「上手いこといった。有り難い。欲しいもの手に入って有り難い」と。有り難いいうたらそっちの方でしょう。辛い、辛い先に有り難いがある。ここが大事なところですな。
 みんな自分の思い通りになったり、欲しいもの手に入れて、「有り難いこっちゃな」とこうなる。そうやなしに、泣き泣きに辛抱し抜いた向こうに、有り難いものがある。これがほんとの有り難いものなんでしょうな。自分の思うようになったことが、有り難いんじゃなしに、泣き泣きに辛抱しいしいして、それが一年、二年違うのよ。七十年よ。一生かけてのことや。そやから、有り難いちゅうのは何なんやろうな。
 普通の人間は、有り難いと思うた瞬間、次不都合なことが起こると、すぐ愚痴が出てるわね。「なんや、こんなこと起こってきて、なんじゃいな」と思わなならん。さっきまで「有り難うございます」言うてるのにすぐブツブツが出てくるわね。
 ところが、この三代金光様は「辛うて、辛うてよう泣きました」と。泣き泣きに辛抱しました。その結果が有り難いですと。「有り難うて、有り難うて『お礼の足らんお詫び』ばかりいたしております」と、この有り難いというのは消えませんな。ぐらつきませんな。
 別の言葉で言うと、自分を捨てた時に、この有り難いのが生まれるか分からんね。自分の欲しいもの、自分中心に考えたら、上手いこといったら、あるいは自分の好きなようになったら、あるいは好きなもの手に入れたら「有り難いこっちゃな」とこう言うけれども、そのことが去ってしもうたら、この有り難いのが消えてしまうわね。直ぐさま愚痴不足に入るわね。うん、この有り難いのは、危ない有り難いやな。一生こんなことばっかり繰り返さないかん。
 ところが、三代金光様は、自分を捨てきられた時に、始めは、よう捨てなんだ。泣き泣きに辛抱したと。親様が「座れば楽じゃ」と言われ座りましたが、なかなかもってよう泣きましたと。「泣き泣きに辛抱しておりますると、有り難うて、有り難うて…」と、自分を捨てきって、お役に立った時に、その「有り難うて、有り難うて…」が生まれるんでしょうな。みんな自分の都合がよういって有り難う、有り難うそればっかり願うてますけどもな。自分を捨てきった時に、ほんとの有り難うが生まれるんじゃないかなと思います。


 昨日はその三代金光様の三十五年。その三代金光様が私の名前を付けて頂いて、「廣太(ひろた)」。えらい名前や。ちょうどB29が上飛んでる時に「ひろた」と。私も父親の五十五の子やからな正に、「ひろた」子やろうな。「ひろた」言うて、非常にユーモアがある。ホンマにひろた子やから、「ひろた」なんやろうな。その廣太が御用さしてもろうてます。ほんとになんとも言えない思いやなと思います。有り難うございました。

(平成十年十二月十一日)

人が助かる影響力を及ぼす

 金光とは、金光るということである。金は金乃神の金、光は天つ日の光である。天つ日の光があれば明るい。世界中に天地金乃神の光を光らせて、おかげを受けさせるということである。(『天地は語る』四〇〇)

 生きとし生きているもの、人間だけではなしに、花も動物も、皆天地から命を頂いておる。命を頂いているものには、「存在」。ちょっと難しいですかな。「存在の力」というものがあるんですね。
 例えば、花が美しく咲く。「私は美しいですよ」と。自己主張をしてますね。「蝶々も、蜂も来てちょうだい」ということですな。そういうふうに必ず、生きとし生けるものには、必ず存在の力がある。犬もそう、ワンワンと泣くのもそう、「ワシはここにいてんねんで」いうことを主張している。人間もそうです。皆それぞれ、私はここにいてる。私はこうやねんでと。存在の自己主張をして生きておる。
 その自己主張、どんな赤ちゃんでもウワーと泣くことによって、あるいは、可愛い顔することによって、その主張が周囲に伝わる。
 こないだの毒入りカレーも、あの容疑者もひとつの主張してるんでしょうな。というふうに、生を受けておるということは、何らかで世の中に周囲に、存在を現そうとしている。本人が意識する、意識せんに関わらず、周囲に何らかの影響力を及ぼしていくものなんですね。
 その影響力が皆に喜ばれるような、助かるような影響力を出してるか?困ったこっちゃな、難儀なこっちゃな、難儀なやっちゃなという影響力を出してるか、ということが大事。その影響力も、強い人もあるし、弱い人もある。しかし、何らかの形で周囲に影響を及ぼしております。それが生を受けておる、生きておるものの力。神様から頂いた力というものでしょう。
 その力がほんとに周囲が、助かっていくような影響力を出していくか。周囲に困ったこっちゃなと影響力を出していくか。それがこのそれぞれの頂いた命の価値に、関わってくるんじゃないかなと思わさして頂く。
 「私なんか……」とこう言いますけども、その私なんかも影響力出してますねん。どんな人間でも、どんな生き物でも、影響力を及ぼしております。


 ちびさん、孫を見てまして、「はあ、この子の影響力すごいな」と。「大人三人、四人振り回してくれるな」いうぐらいの影響力もっておる。本人は何も出来ないように思うけれどもね。というふうに、どういう影響力になるのか。そのちびさんがニッコリ笑うてくれたら、大人ばっかりギスギスしてる心がホッとしたりね。そういう影響力がある。
 そやから、「私なんかそんな力ありません」とよう言われますけども、そんな人なんか誰もないんですね。何らかの力を出しておる。そうしました時に、その力が、出てくるエネルギー、影響力が「どうぞ、皆様も助かっていくように」という影響力のおかげを蒙りたいものじゃと思う。
 それが、「金光とは、金光るということである。金は金乃神の金、光は天つ日の光である」と。金光様、教祖様が田舎の一お百姓さん、何の力もない。おまけに士農工商という身分制度があった時代でしょう。どん百姓、水飲み百姓は切り捨て御免でクビはねられても、文句言えない。年貢米を作るだけの道具として扱われておる。その一人の何の力もない一人のお百姓が、我が心神に向こうて、そして神様の思し召しを頂いていこうとした時に、その影響力は大変な力を及ぼしている。亡くなってから百数十年経つ今日までも、大勢の人を助けていっておられる。正に「天つ日の光」になっておられる。いうことですな。
 これ、教祖様が「わしがやるんじゃ」いうてやられたかて、お百姓では無理ですわ。神様と一つになっていかれた時に、神様が命をくだされた、生命の源である神様の命が、そこへ注ぎ込まれていくんですな。そうすると、人口六十億人いてる。六十億分の一の何の力もない、総理大臣でもなければ、大統領でもない、大金持ちでもない、何の力もない六十億分の一の人間なんですけども、その一人ひとりに、天地の命が注ぎ込まれてくると、大変な影響力が出、人が助かる影響力を及ぼしている。
 「私なんか、人をよう助けませんねん」と言うけれども、助けようが助けようまいが、生きているということは影響力があります。
 よく言いますやん。子供生んで「悪いところばっかり親に似やがって…」と。あれかて親の影響力があるんでしょうな。「悪いことばっかり似やがって…」と。悪いところの影響力を及ぼしておるやな。「ええとこ似たらええのに…」と。そんなんでもみな、影響力を及ぼしている。そうすると、良い影響力を、人が助かる影響力を及ぼしていきたいもんじゃと思います。有り難うございました。

(平成十年十二月十四日)