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論理の根底に何があるかが大事

 勉強を致しまして、この道のことが分かりますと、神の方でも手に合わぬようになります。

 ■解説■信心は理屈ではありません。有り難いという「素直な心」です。信心の勉強は、いかに有り難く思えるかの勉強です。この勉強は頭でするのではありません。体を使って心でするのです。参拝して御用にお使い頂きましょう。(『扇町教会日めくり 一言一句』より)

 今日の日めくりのみ教えで「この道のことが分かりだしますと、神の方も手に負えんようになる」と。特に今日では、論理というものを求めて、何でも論理で片付けようとする。その論理が合うてたらいいんですよ。ところが、論理の基本になるものを持たんと、論理を持つと危ない。刃物を持っているようなもの。
 例えば、オウム真理教いうのがありましたな。ハルマゲドンをもってしてます。あれかて、ものすごく論理づけをしてるらしいですね。ああいう、高度の教育を受けた人たちが、まいってしまう。「こうこう、こうやから、こうだろう。だから、こうでしょう。ああだろう。こうだろう」と。ダッ、ダーと論理でまくし立てられたら、フーッと「そうかいな」と思うてしまう。論理武装という言葉もあるんですね。論理で武装しておる。


 もっと論理の以前がある。親子とは何ぞや。夫婦とは何ぞや。そこに「有り難うございます」無かったら話しにならん。「皆助かるように、有り難うございます。先ず天地の間に、今日も命を頂いております。有り難うございます」という、この基本をしっかり頂いて、頂いて、頂ききって色々な論が出てきたらええのやけども、その基本が無しで論を出すから、相手を責める論。あるいは、論で言い負かしてしまう。言い負かしたかてしゃあない。
 私は、会議でも、会議でのうても、人が「右や」と言い張ったら、私はもの言いませんねん。これを、私のこと「不親切や」言う人もあるんやけれども、論で勝っても仕方がないから、助からんから…。
 「あなたは、そいう論ですか。私はそいう論と違います」と。「あなたは、あなたで、それでやったらよろしい」。そやから、カーとなって、言い張ってきたら、私は絶対ものいいませんねん。向こうは、私を言い負かしたと思うてるの、言い負かしてもしゃあない。勝ってもしゃない。
 大事なのは、その人が助かるか、こちらが助かるか、そこが一番大事なところなの。それで、向こうに、少しでも聞く耳あれば、「こうと違うか」言うてあげるんですけど。聞く耳なしに、「勝った。負けた。言い負かした」となれば、そんなのもう論外′セうの。勝ってどないすんのよ。言い負かしてどないするのよ。助かるんやったら、ええけど、自己主張しただけのことであって、「こうや、こうや」と言うだけのことであって、一つも助からん。
 だから、「押木に勝った」言う人も中にあるけど、勝ったん違うねん、「あんたアホやな」言われてんねんやな、心の中で。「あんたアホやな」思われてるねん。勝ったかてしゃないやん。助かるか、助からんか、少しでも聞く耳を持たれたり、聞くゆとりを持たれたら、私は「こうと違うかな」いうことを、申し上げるんでしょうけど。聞く耳無かったら、私言いません。勝ち負けになって、勝っても負けても、助からんことになりましょう。
 そやから、論というのは、大事なものなんですけど、根底に何があるか、「どうぞ、氏子助かってくれ」というものがなければ、どうもなりませんな。


 教祖様がお百姓であって、「私は無学の百姓でございます」ということで、「日柄方位は見るに及ばず」と教えをされましたね。そうすると、その当時の学問は、日柄方位を柱とした陰陽道いうて、朱子学と陰陽道がその時の学問なの。そして、学者はんが、問答しに来た。
 「あなたが、日柄方位を見るに及ばずと言うてるけれども、これは、このことは、どういうことなのか。この本には、こういうこと書いてる。あの本には、ああ書いてある。易学においてはこうである」と、ダッーと論を出されてた。教祖様はジッーと聞いておられた。それで、
 「今日は大安じゃ、吉日じゃ言うても、雨風が強かったら、不祥のお天気と言いませんか。」一つポッとおっしゃた。
 「今日は、大安吉日じゃと言うても、雨風が強かったら、今日は不祥のお天気じゃと言いませんか。いかに暦をみても、人が助からねばどうもなりませんな」と。学者さんはまだ、聞く耳があったの。
 山伏かて、教祖広前へ殴り込みかけてるんやけれども、こっちは、まさに殴り込み≠竄ネ。その学者さんは、「あなたの論を聞かしてもらいたい」と。「あんたは、こういうことを言うておる。『日柄方位は見るに及ばず』と言うてるけれども、私はそうは思わない。こうこう、こうと違うんか」と言うた。この学者さんは、教祖様の言うことも聞こうとした。
 その時に、今言うたように、
 「大安吉日じゃと、良い日柄じゃと言うても、雨風が強かったら、今日は不祥のお天気と言いませんか。いかに暦を見ても、人が助からなどうもなりませんな」と。
 全然、論の根底が違うのね。勉強して、この本にこう載ってるという論の仕方と。教祖様は、神様の願いを受けるという、人が助かるというところへ根底をおいてはりますな。根底の置き所ですね。そやから、論というのは大事なものなんですけど、根底をどこに置いてるんや、ということですね。
 その学者さんは、「恐れ入ってございます」言うて、易の本から、朱子学の本、膨大な本をお供えして帰られ、ご信心なされたと聞いております。


 そこが大事なところで、人間理屈をよう言うんですけど、理屈も言わないかんのやけれども、理屈の元になっておるところがどこなのか。勝った負けたなのか。「私はものをよう知ってる」ということなのか、「私はものをよう知ってるで」と言う人がおるんですけど、私は手を叩いて、「偉い、偉い、よう勉強してはりますな。」言うて手を叩いて、ほめますねん。その勉強がどないなるの、その勉強がどう役に立つの、そこが大事なんでしょう。
 「私は、こんなことも知ってる、あんなことも知ってる」
 「はあ、偉いでんな」言うて手を叩いてあげる。お腹の中で、「その勉強はどないするの、その勉強は、どないなるの。その勉強が、どう生かされるの。その勉強で、どう人が助かるの」ここが大事なところ。
 私は、向こうがダーとまくし立ててきたら、それに対して絶対もの言いませんねん。その人の根底にあるもの何かみて、私はものをよう知ってるいうこと言いたいのか。何を言いたいのかを聞いて、私はしゃべるの止めましたら、「勝った、勝った」と言うておる。勝っても負けてしゃあないねん。そこのところ、根底に「有り難うございます。どうぞ、みながおかげを蒙りますように」というところへ、根底をしっかり押さえておかんと、危ないんであります。有り難うございました。

(平成十年十月十八日)


やがて間違いなしに、神様の元へ帰らないかんねん

 信心して徳を積み、神から徳を受けた人は、慎みが第一である。常に慎みをしても、死に際に不足の心が出ては、せっかく受けた徳を失うことになる。信心して徳を受けた者は、平素の慎みも大切であるが、死に際の慎みも、また格別大切である。必ずその時に徳を落とさないようにせよ。(『天地は語る』一四三)

 今日も御理解を頂いて、よう知ってるみ教えでも、しょっ中、見さしてもろうてるんですけどこれは、どういうことかいなと、改めて思わさせられる。
 「死に際の慎みも、また格別大切である。必ずその時に徳を落とさないようにせよ」と。スッーと流して、読んでおりましたけども、これ、どういうことなんかなと。「死に際の慎み」「その時に徳を落とすことがある」と。これは一体どういうことを、教祖様教えて下さってるのかなと、こう思わさせて頂く。


 人間はオギャーと生まれて、今の孫の眞美みたいに、やっとニコッと笑える。愛想できるようになりましたが、オギャーと生まれた時は、愛想もへったくれもないわな。赤ちゃんいうても、真っ赤かでサルのでき損ないみたいなのが、生まれてきて。それが、それぞれの環境、両親やらというところで、真っさらから、色々な色が付いていくね。それから段々大きくなって、知恵が発達したり、人間関係が出てきたり、社会の影響を受けたり、色々な影響を受けて、損得計算をしたり、我が強くなったり、自己意識が強くなったり、色々なことが、ズーッと身に付いてくる。
 真っ白であったのが、色々な色が塗られてくる。それで、「あの人はあんな人や。私はこんな人間や」と、それで成長していく。始めそんなんあれへんねん。真っ白けやってん。オギャーと生まれた時はな。それが、色々な環境やら、両親の影響やら、様々な色が付いて、また自我が目覚めて、自我が強くなり、様々な色が付く。その色の付きようで、「まあ、あの人はなあ…」と言われる人になるのか。「はあ、あの人はよう出来た人やな…」と言われるようになるのか。
 人と人との関係ではなしに、神様から見られて、「はあ、この氏子はええ氏子やな」という色に付くのか、どちらにしても、なかなかもって、ええ色は付けへんわ。大概には…。自我が強うて、カッカ、カッカきて、クソッタレばかっり思うて、また、ちょっと何ぞあったら、ウェーと嘆き悲しんで、うろたえてというような色が付く。
 また、それぞれに責任が出来てくる。家庭を持つとか、仕事を持つとかいう責任も持つ。「私がやらなくっちゃ」ということでやって、色々なものが身に付いてくる。そして、四十、五十、六十と年を重ねてくる。そうすると、段々下り≠ノ入ってくる。下りに入ってきた時に、元のように脱色出来てくるかどうかが問題や。
 ですから、お年いかれて、そのまま亡くなるの見ても、亡くなり際に苦しんでいる人、もがいて亡くなる人、あるいは、もがかんとスーッといける人。もがいてるのは、最後に御破算(算盤で次の計算に移るとき、先に数を置いた珠をくずし払うこと)してますのやろうな。最後の脱色をしてるんでしょうな。神様は「お前は真っ白で生んだんやから、帰ってくるのも、真っ白で帰ってこい」とおっしゃてるか、わからりませんわな。
 ところが、色々に色が付いておる。その色がきれいに、白うならしてもろうて、ですから、亡くなった人を見て「仏顔になりました」と、よく言いますがな。「この人はお隠れになって、仏顔になりましたな」。あれは、脱色してますねんな。様々なものが脱色されて、元の白に戻って、神様の元へ帰るんでしょうな。
 その時に、脱色しきらんと、もがきたおしてる。それがどうもみ教えの中の、「死に際に徳を落とすな」とおっしゃるところじゃないかと思う。


 それには、信心でも色々な信心がありましてね、自分の願いをかなえてもらいたい、「ああしてくれ、こうしてくれ、ワー」言うてる信心をしてたら、なかなか脱色できませんな。「神様の思し召しにかないまするように、神様に喜んで頂きまするように」という信心の質をしてますと、徳が付いて、脱色をしてきますけども、自分の「ああしてくれ、こうしてくれ」だけの信心をいたしておりましたら、益々、我が強くなって、益々、色が濃くなりますな。益々色が濃くなって、気の毒なこっちゃなと。長年信心してはっても、気の毒なこちゃなということになる。
 信心して、いよいよ脱色していくか、いよいよ大きゅうなっていくか、いよいよ神様のような心になっていけるか。それとも、いよいよ我が強くなるか。「ああしてくれ、神様こうしてくれ」ばっかりの信心をいたしていおりましたら、どうも死に際に徳を落としそうですな。
 「どうぞ、神様の喜ばれるように生きさしてください。喜ばれる御用さしてくださいませ」と。願ごうて、そういう信心の質をさして頂きますると徳を積まして頂いて、きれいに神様の元へいかしてもらえるような気がします。


 途中のところでは、生まれてオギャーから、死ぬまでの「ああじゃ、こうじゃ」色々な事が起こってくる。信心で大事なのは、それらも全部、ご都合頂かないかんのやけれども、腹に入れとかないかんことは、やがて神様の元へ帰らないかんねん≠ニいうことだけは、腹に入れときませんとな。その途中ばかりのところで、「ああじゃ、こうじゃ、どないすんねん、ワー」そればっかりではどうもならん。
 例えば、和歌山の保険金詐欺事件(毒入りカレー事件)ですが、まだ結果は出てないんですけど、やがて自分も死ぬんやでというところ、腹に入ってたら、あんなアホなこと出来ませんな。やがて自分も死んで、神様の元へ帰らないかんねんで、ということが分かってたら、そう簡単に人を殺されへんし、「金、金…」いうことも言わんでもええし。
 そやから、色々なことご都合頂いていかないかんのやけれども、やがて神様の元へ帰るんやでと。これだけは、間違いなんやで、というところをしっかり腹入れをして、ご信心をさしてもろたり、色々なことをさしてもろうとかんと、途中のところばっかりが、問題になってましたら、もうどうしようもない。我情我欲のうろたえの、あるいはまた、カッカばかりしてないかん、生き方になりますな。
 やがて、絶対、間違い無しに、神様の元へ帰るんやと。その時の帰り方、間違えのない帰り方をさして頂くというところへ、物事の腹入れをさしてもらうことが、大切なことじゃなかろうか、という思いをさしてもらいます。有り難うございました。

(平成十年十月二十日)

金光大神祭日

 二十五日に生神金光大神様の御大祭を、お迎えさして頂くんでありますけど、まあ、どこのお宮さんでも、秋のお祭りというのがありまして、これは、五穀豊穣をお礼申すお祭りですな。金光教の、秋の御大祭いうのは、生神金光大神様のお祭りということなんです。
 それは、教祖様は特別のお方ではなかった。普通の人であったが、我が心が神に向けることにより、そして神様と共に生きていこうとなされ、段々に天地の道理を教えてもらわれ、それで、神様から「百姓を止めて御用するように」というふうに仰せをお受けになって、明治二年九月十日、教祖様五十六才の時に、生前から、『金光大神祭日』というのを生前からお仕えになられましてね。「生神とは、ここに神が生まれるということである。あなたが神である」と。神様から言われた。
 神というのは、特別高いところにいてるんじゃない、人のことを願える、人のことを思える、どうぞと人のことを願える。神様のことを思える。そいう働きが出来るのが生神という。そうやから、生きてる間から、金光大神祭をしておられる。「わが心を祭れ。わが心を祭るんだ」と。神様から頂いたそれぞれの、魂、神の魂、それを祭らして頂く。わが心を祭らして頂く。
 ですから、生前中から教祖様は旧暦の九月の十日。この日を金光大神祭日と定められましてね、自らをお祭りなさり、ご信者さん参って来られる方と、それぞれの頂いてる神さま、魂。それを、お祭りする。自分をお祭りするお祭り。いうことで、お祭りをなさった。これも、神様の仰せに従って、お祭りをなさっておられます。
 そして、明治十六年十月十日にお隠れになるんですが、お隠れになるその年に、「金光大神の体に虫が入った」と。「今年は金光大神は、御簾の内に入る」と。「旧暦と新暦の重なった日が金光大神御簾の内に入る日である」と。お隠れになる百日前から、ご修行に入られて、旧暦と新暦の重なった日、その日は、十日で同じ日だったんですね。十月の十日、九月の十日にお隠れになる。


 一方、教祖様はメモ魔みたいなお方ですね。ずっと書き残しておられます。神様からお知らせ頂い事。その時の時代の状況やら、ご家族のご様子やら、『金光大神覚書』に、ズーッと書かれたり、『覚帳』というものズッーと書かれておられるんですね。
 いよいよ最後には、「人民のため大願の氏子を助けるため、金光大神身代わりにさせる。金光大神ひれいのため」それで、続いて「書き止め」体力が続かない。今の郵便の書留と違いますよ。ここで、書くのを止める「書き止め」としておられる。
 人民のため、大願の氏子助けるため、すべての人々が神様と共に生き、天地の間で生かされて生きることがわかり、助かっていくため、神が身代わりにさせる。
 「身代わり」というのには、二つの論がありまして、教祖様を身代わりにさせてきたということと。そうじゃない、教祖様の後を二代金光様、三代金光様ズッーとこれから後も、教祖様と同じように、御用させる。金光大神のひれいのため。今日まで一百姓でありながら、よくここまで人を助けてきてくれた、導いてきてくれたと。「神が一礼申す」と。あなたのしてきたことは、あなた一代で終わらさんよと。次の代、次の代へと多くの人が助かっていくために、必ず働きは残していくぞと。神様のお約束みたいな意味。
 「人民のため大願の氏子助けるため、神が身代わりにさせる。金光大神ひれいのため」これが最後の神様のお言葉でありまして、その後、二代金光様、三代金光様、現教主で五代になる。毎日三六五日、毎朝四時から、御本部のお広前にお座りになられて、人々の願いを聞かれ、神様の教えを、三六五日変わることなく、教祖様以来、百三十九年。永々と続いておる。
 普通、管長さんや偉い人と会うと思たら、手続きを色々せんと、なかなか会われない。変な話し、ようけ寄付せんとお会いでけへんと、いうそんなもの。そうじゃなしに、三六五日いつでも、誰でも、教主金光様にお会いできて、お話も聞かして頂けたり、お取次を頂くことが出来る。これは、ほんとに金光大神ひれいのため、教祖様が、熊さん、八っさんから、お大名まで、色々な人がお参りしてきた、その色々な人にその人に応じて、天地の道を天地の道理を説かれ、そして人が助かる働きを熊さん、八っさんから、学者はんから、お殿さんから、ほんとにあらゆる階層の人に、その人に応じてお話しくだされ、助けていかれた。
 そのごひれいが今も全国各地広がっている。金光教はコマーシャルペースに乗らないから、全然知らない人も多いんですけど、ニュースにならない、すなわち権力に結びつかないし、ただただ真面目に人助け一本で、ハデなイベントもしませんしね。
 ただただ、一人ひとりの人が助かっていくことにお取り組みなされた。そいう働きそれが皆、誰でもが出来るんだと、ここに参ってる人が皆、生神なんだと。皆、神様なんだと。そのそれぞれが頂いてる神様、人一人助ければ、一人の神、十人助ければ、十人の神とおっしゃる。その一人ひとりが頂いてる神様のお祭りが、この秋の金光大神祭、教祖様ご自身が生前中からお祭りをなされたお祭りであり、その日にお隠れになったお祭りでもあります。有り難うございました。

(平成十年十月二十二日)