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人間社会ではプラマイゼロ。天地の間ではマイナス。

 どのような大きなめぐりがあっても、信心によって取り払ってもらえる。先祖からのめぐり、祟りは、神が道のつくようにしてくださる。(『天地は語る』八六)

 神に、めぐりを取り払ってくれと頼むから、取り払ってやろうとすると、人間はあまりに痛いから、よろしいと逃げる。神も、せっかく出した手を引っこめてしまう。(『天地は語る』八七)

 今日は「めぐり」というお話がでまして、めぐりというのは、解ってわからん。何が悪いのか。そやから、世の中で「祟りじゃ」がよう流行るんでしょうな。ということは、ほとんどの人は真面目で一生懸命に生きてますよってね。ほんで不幸が起こってきたら「何でや」と。私はちゃんとしてますとこうなる。そうして易を見てもらうと、「祟りじゃ」とこうなってくる。ほんなら、「そうかいな」と思う。余計ややこしいなってしまう。高い壺買わされたり、ようけお金出されたり、ほんとにもう大変なことなの。


 教祖様がおっしゃる「めぐり」というのは、「祟りじゃ」とは、違うんですな。皆、ほとんどの人間は、一生懸命に生きておるんですけどね。天地の間のお徳を頂いて、生きておるいうことを知らんのですわ。
 食事にせよ、水にせよ、空気にせよ、また、この身体にせよ、神様の恵で頂いてきたもんですな。それを我が勝手にというか、人間社会での勝手と違うのね。天地の中では、そのことに対して解らずに、その神様の思し召しを頂こうとせずに、生きてきたんが、マイナスになって次々、次々、次々とこう溜まっていってる。
 例えば、自分が肩凝るとしますな。「ああ、自分肩凝ってまんねん」とこう言う。自分肩凝ってるから、人様の肩こり見て、「ああ気の毒にね。そうでしょう、そこツボでんねん」言うて人様の肩もんであげたらどうでしょう。もんでもろうた人は、「有り難うございます」言うて、菓子折の一つも持ってくるわな。これ、「お徳」いうねん。ほとんどの人は、自分肩凝ってまんねん言うて、ここで、終わってしまうね。これ、プラマイゼロや。自分だけのことやから、プラスマイナスゼロや。
 そうして見ると、プラスになる生き方、すなわちお徳を頂く生き方って、ほとんどの人してないんですんわ。自分で働いて、自分でメシ食うてますねん。これは、自分だけのことやから、プラスマイナスゼロなんですわ。それどころか、その身体も、食事も、空気もすべて天地のお働きを頂いて、というところへお礼申さんだけ、マイナスやね。
 そのマイナスが積もり、積もってるの。教祖様のめぐりいうのは、そいう意味あいのことなんですな。「祟りじゃ」でなしに、先祖代々からの、ずっとめぐりを積んでいる。というのは、お徳の中に生かしてもろとりながら、それをお断りも言わんと、当たり前として、生きてきたら、どうしてもマイナス要因になるわな。プラスのことを何かしとるか言うたら、特別プラスになることしてない。お徳になるようなことしてない。そいうところがね、「めぐり」ということで、ズッーと垢が溜まっていくようなものやな。それで、色々なことが起こってくる。
 ですから、先祖先祖からのめぐりのお取り払いいうのは、先祖より知らずに、ご無礼を重ねてきたことを、天地の親神様にお詫びしていくいうのが、めぐりのお取り払いで、自分が一つでもプラスになるとこをさしてもらうということ。先祖は、人間社会で別に悪いことしてないの。しかし、天地の間のところでマイナスやな。プラスになることしてないから、人間社会ではプラマイゼロなんだけれども、今度は、天地の間のところでは、マイナス、借金みたいなもの。マイナスがズッーと重なってきておる。
 ですから、その子孫であるこちらが、それを先祖、先祖の知らずにしてきた、解らずにしてきたことをお詫び申し上げて、少しでもプラスになる働きをさして頂きたいと、そこが大事なことでありますな。


 何代目が祟っとるというようなことじゃない。面白いですね、色々な人が入ってきて、あちこち行って、もうどうしょうもなく飛び込んで入ってくる。その中で、よそで見てもらうんやな。見てもうたら、墓をちゃんとしてへんからやとか。先祖をちゃんと祀ってへんからやとか、言われる。そこで、「そうでっしゃろうか」と聞く。私言うの「そんなの関係なしに先祖大事にせなあかんがな」言うて、こう対比さすのね。こうやからこうなんじゃと、墓ちゃんとしてへんから、あるいは、先祖ちゃんと祀ってへんから、今の不幸が出てくるねん言うて、「先祖の墓作ったらよろしいおまんのか」とこうなるねん。この心自体がご無礼なの、はっきり言えば。自分のことしかないでしょう。自分がうまいこといけへんのは、「先祖の墓や。先祖の墓をちゃんと建てたら、よろしおまんのか。」違うの。そんな問題と違うの。
 「先祖様、有り難うございました」と。難儀が起こってようが、起こっておるまいが、しんどいことが起こってきようが、起こってまいが関係ないのそんなもんは。「有り難うございます」とお礼を申さないかん。その自分中心のこの心に難儀が起こってくるの。自分中心の心に。
 ほんで、自分は「ちゃんとしてます」とこう言うてんねんな。社会的に見たら、泥棒してるわけじゃない。ちゃんとしてる。しかし、それだけやったら、プラマイゼロや。天地の間のことで見たら、これマイナスやってるの、自分中心やったら。それでマイナスになる。そこのところがほとんど分かりませんなあ。ですから、せめてお徳を積ましてもらうようにせなあかん。
 積むというのも、「これしたら、こうなりまんのか」と、すぐこれやってまうねん、自分中心でなしに、「恐れ入って、有り難うて」、「はあ、させて頂いて有り難いなあ」と。「このようにさしてもろうて有り難いな。御祈念さしてもろうて有り難いな」そういうことになんならん。


 こないだもあるお方が、
 「先生、あそこは、何にも特別なことしてへんのに、お金持ちで上手いこといってますねん。私ら、なかなか、お金溜まりませんねん。向こうは、ええ車買いはりましてん。ええダイヤモンド買いはりましてん。あの人ら、よろしゅうおまんな。私ら一生懸命にやってまんのけどな。一つもあきまへんわ」とこういう言い方をなさったんでね。
 「ちょっとまってえな。この私はどないなるの。日がな一日、黒い着物来てな、この梅田のど真ん中で、三六五日休み無しで何してるんやろうな。」
 「向こうさんは遊びに行きはって良かったですわ。私ら遊びに行けまへんわ」言うて。そんなことでしか物事見られへんのね。
 「私はどうしてるの」と重ねて聞いたら、
 「えっ。先生は別だんがな」
 「ちょっとまちいな。なんで私だけ別やの。あんたと同じ人間やないの…」
 そやから、物事の何が大事かいうのを、しっかりと押さえられた生き方をさして頂いてると、おかげを蒙っていきますな。有り難うございました。

(平成十年十月九日)


神が人間を助け、人間が神を助ける

 しんじんとは、信の心ではない。金光大神は、しんじんを神人と書く。(『天地は語る』九二)

 今日のみ教え「この方の信心は、信じる心と書くのではない、神人と書くのである」と。それで信心なんだと。このように教祖様教えておられます。
 今日は十月の十日、教祖様が明治十六年十月十日に現身(うつそみ)、すなわち、人間の身体を持った御用を終えられて、神様の元へ行かれた百十五年目の日ですね。明治十六年十月十日。
 この明治十六年の年の始めに、お参りなされたお方に、「金光大神の身体に虫が入ったからな」あるいは、「金光大神は御簾の内へ入る」というふうにおっしゃって、もう明治十六年にお隠れになることを、主だった方にはおっしゃっておられます。
 さらに、この時分は旧暦いうて太陰歴。旧暦と新暦がごっちゃになってる時代でしてね。「旧暦と新暦と日が重なった日に、金光大神は神の元へ行く」と。そやから、旧暦の九月十日、新暦の十月十日重なった日があるんです。この日に教祖様は神上がられる。その亡くなられる百日前からご修行に入られて、その満願の日にお隠れになっておられる。
 今みたいに電報があるわけではなし。あることはあったんやけれども、各家々に発信されるわけでもございませんので。また教祖様は、お隠れになる前に、「何処へも知らさんでもいい。心あるものは、神が知らせる」ということで、どなたにもお知らせにならん。
 大阪では、真砂の初代、福嶋儀兵衛先生。難波の近藤藤守先生、「金光大神神上がり」とお二人とも、お知らせを受けらる。芸備の佐藤範雄先生しかり、西六の高橋富枝先生しかり、岡山の片岡二郎四郎先生しかり、というふうに各地の教祖様のお弟子たちは、「金光大神、神上がり」というお知らせを頂かれて急遽、皆、教祖様の元へ駆け付けておられます。
 教祖様は「身体があれば、痛い痒いもある。来てくれという所へも行ってやれぬ。身体がなくなったら、来てくれという所へ、何処へでも行ってやることが出来る」そのように仰せになってお隠れになられました。それから百十五年。教祖様は一体何をなされたんだろうと、こう思う。


 今日も御本部で御大祭がありますね。全国各地から大勢の人が、何万という人が、今日もお参りになる。私たちは、もう、教祖様の顔も知らなければ、お声も知りません。明治時代ですから、写真が段々出来てきましてね。教祖様の写真を撮ろうということになった。
 そうしたら、教祖様は「そんなの撮ったらあかん」言うて、「何でですか」と。写真を拝むから。ダメだと。「写真を拝んだかて信心にならん。写真なんか撮ったらいかん。写真なんか置いとかんでよろしい」言うて、写真を撮らせなさらなかった。
 教祖様お隠れになって、だいぶ経たれて、私らみたいに、教祖様のお顔を知らないお方で、絵師のご信者さんがおられて、「私は、絵描きの仕事をいたしております。教祖様の御在世中にお目に掛かかれば、シャ、シャ、と描きまするんやけれども、お隠れになってては、描きようがございません。どうぞ一目お見せくださいませ」言うて御祈念なさった。
 「そうかあんた絵描きか」言うて、枕元に教祖様がお立ちくだされて、ふっと目が覚めて教祖様のお顔をダッーとお描きになった絵が残っているだけですね。お写真はございません。
 でありまするんで、顔を知らなければ、皆何も知らん。それが百十五年経った今日も、多くの人が、今日は教祖様のお祭り日として、お礼参拝に全国各地から来ている。これ何やろうと思う。
 それが、このしんじん≠フ神人と書いてしんじん≠シと言われるこの神人≠、全人類に初めてお示しくだされたお方なの。
 今までは、神様というたら、高い所へおられて、人間を下々と見据えて、悪いことしたら、罰を当てはって、そしてまあ、何とかお頼みしたら、なんとか助けてくれはって、というのが皆、「信心」、「神様」と思うておった。神様はおかげくれる人、私もらう人な。ラーメンの宣伝と一緒や。いつも神様と人間との間に線が引かれててね。「あなた神様、私人間。あんたくれる人、私もらう人。あるいは、あんた罰を当てはる人」と。そうじゃない、神と人とは一つなんじゃと。親があって子があるようなもんじゃ。なんぼ年いっても子がなければ、親が無い。親があるいうのは、子があるから、子があるいうことは、親がある。あいよかけよなんじゃと、神だけがあるんじゃない。神と人とは、人があるから神があるんじゃ、神があるから人があるんじゃと。一つなんじゃと。
 常に願い合い頼み合いして、神は人間のことを願い、また、人間は神のことを思い、思い合い、願い合いしてこそ、本当の神人が生まれてくるんじゃ。そしてそこに、神も助かり、氏子も助かる、人間も助かっていく道が生まれてくる。
 昔、前々は、神様を助けるいうのは有り得ないこと。神様は助けるの専門、ところが、人間が神を助けるんじゃと、神が人間を助け、人間が神を助ける。あいよかけよなんじゃと、親のことは子が頼み、子のことは親が頼み、親があるから、子があり、子があるから、親がある。氏子あっての神あっての氏子なんじゃと。そこに本当に人が助かっていく、天地に生かされる人間の助かりが、そこに生まれてくる。何にも信心は堅苦しいことでは何でもない。
 水をかぶらんでもいい。火を踏まんでもいい。今月今日、神と共に生きて行こうとする、神のことを願い、お役立っていこうとする、そこに、助かりが生まれてくるんじゃ、という道を開かれた。これは、もう全世界初めてのこと。


 今日金光教と言えば、日本の東洋の、小さな、小さな宗教でございますけれども、宗教学者から見れば、金光教を大注目してる。ようあれだけの教えをなされたものじゃと。全宗教が、あるいはキリスト教にしろ、マホメット教にせよ、息詰まってしもうて長年の歴史をもってるから、それで習慣的に存在してるけれども、ほんとの意味での人を助ける宗教ではないいうことが、宗教学者では言われておる。
 そういう中にあって金光大神の信心というものは、よくこそ、すごいご信心をされた。そういう意味でキリスト教やら、仏教、あるいはその他の学者さんが、よく御本部へお尋ねになられて、ご勉強にこられます。小さな小さな集団ではありましょうけども、一人一人の中に神が生まれてくる。一人一人の中に生神にならしてもろうていく道、神になっていく道、神が喜ぶ道、人間が助かる道、神と人と書いてあいよかけよとおっしゃる。大変なご信心を残してくだされて。また、お隠れになって百十五年。「金光大神、来てくれという所はどこへでも行ってやる。助けてやると」。生きても神、死んでも神になられた。そのお方のお礼に今日も全国各地から、多くの人が御本部へ参拝されます。有り難うございました。

(平成十年十月十日)

娘の結婚式での父親は…

 昨日、親戚の子供が結婚するというので、招待を受けまして和歌山まで行って参りました。結婚式、並びに披露宴に参列さして頂きました。この頃流行のチャペルでの式でした。カトリック系やから神父さんがお仕えする。神父さんも大変やなと思う。一生懸命に聖書を読まれるんやけども、聞いてるもんは全然そんなの関係ないのやからな。形だけのことやからな、ほんとに神父さんも大変やと思う。私やったら辛抱ようせんなと思う。
 一生懸命にバイブル読まれて、神の掟とか、おっしゃっておられるんですけども、参加者はとんと関わりない。格好のところだけでしておらる。神父さんも忍耐強いお方や。一日に五、六件やりはるんかな。どこかの教会の神父さんやと思うけども。大変なことやろうと思います。それが一つ。


 披露宴でありまするけど、世間並の披露宴があったんでありますが。その中で、こちらが招待を受けたのは花婿側でしてね。向こうは花嫁側であります。やはり地域、地域によって違うんですかな。披露宴の終わりの方で、親族代表が挨拶しますねんな。両家の親族代表が。
 大阪なんかは、最後に親が「両家を代表しまして…」とお礼を言いますでしょう。もちろんそれもある。一番ラストに「両家を代表しましてお礼申します」と花婿側のお父さんがお礼を言う。その前に、両家の親族を代表しまして、一言ご挨拶がある。私そんなの知らんの。「へえ」言うて。同じ親類の長老である叔父が、その担当やった。叔父が、
 「私、挨拶せんならんねん」言うから
 「おっちゃん、なんで挨拶するの」言うて、最初、全然解らへんかったのね。
 「名前、間違わんようにせなならん。仲人さんや花嫁さんの名前な、間違わんようにせんならん」とか言うてる。
 何のことか解らへんかったけど、こっちは、今日は何にもなしで、久方ぶりにただただ、頂かしもらわなならん思うてた。ご馳走よばれるの専門や。誰にも気を使わんと、いらんこと考えんと、ただただおいしいものを頂戴したらええわと思うておった。
 ですから、叔父の言うてることが解らんかった。「挨拶あるの。へえ」言うようなもんじゃな。
 そしたら、叔父が「えらいこっちゃ」披露宴が長くなったんですね。
 「私、人と会わないかん時間が迫ってきた」言うてね。
 「そうでっかいな」私、ピンとけえへんねん。
 「ヒロちゃん、後頼むわ」言うて。
 「え、何を!」
 「挨拶!」
 「何の挨拶?」それで初めて何の挨拶か、一生懸命に真剣に聞いた。
 「この辺は親族代表も挨拶するねん。私、頼まれてたんやけど、どうしても、人と会わないかん時間が迫ってきてる。出来へん。よろしゅう頼むわ。さいならー」言うて出ていきよった。
 「えっ。ちょ、ちょ、ちょ」食べた物、のどに詰まった。
 それで、その新郎の父親ね。私から見たら従兄弟になるの。
 「そうやねん。ヒロちゃん頼むわ。親族としてのお礼の挨拶と、新郎新婦に一言、言うてやって欲しいねん」
 「ああ、そう」
 「よろしゅう頼むわ」、もういよいよ、立たないかんときやねん。
 「わかった。わかった。さしてもらいます」言うて引き受けた。
 まあどうにか、失礼の無いように、挨拶さしてもろうてきました。


 そうして、お嫁さん側。花嫁の弟さんがね。親族代表でご挨拶なされた。それを聞いてて、こんなもんかなと思うたのが、もう泣いてるのね。始めからね。これが、うれし泣きもあるんじゃろうと思うけれども、
 「私は父親の心に代わって、父親が動転いたしておりまして、もうかわいい娘をかわいがってる娘を、嫁がさないかん思うたら、父親は、ずっと話が決まってから動転いたしまして、泣きの涙で…」とこうおっしゃる。
 属に言う花嫁の父かな。「娘よ」という嫁がせる歌ありましたな。なんか知らんけど。そんな歌ありましたね。半泣きになっておられる。「父親の心がこんなもんでございまして…」と。
 それを聞きつつ、花嫁の父いうものはこういうものかなと思うと同時に、私も二人の娘、結婚さしてもらいました。何とも思えへん。私は。
 「この年までおかげを蒙らしてきて、所帯持たしてもらい、有り難いこっちゃな」とそればっかり。「いたらん娘で、婿はん、かわいそうやな。気の毒やな。どうぞ、返品しませんように」とお願いとお礼しかあれへん。こっちは。
 「はあ、今日で嫁がせて頂ける、結婚さしてもらえるところまで、元気にお育てを蒙って、有り難いこちゃな、もったいないこっちゃな」と。お礼ばっかりや。
 「そやけどな、気まま娘やけど、どうぞ、返品しませんように、婿はん気の毒に、どうぞ辛抱してくださりますように…」と。それしかあれへん。「嫁を取られたと」、世間ではそういう感じなんでしょうな。
 時々その光景を見て、「私は、愛情が足らないのかしら…」と思うて。ふと自分自身振り返ることがある。私は愛情が足らんのかなと。涙の一つも、涙のな≠フ字も出でけえへん。「はあ、有り難いこっちゃ。お礼申さないかん」。もし、流すんやったら、お礼の涙や。
 「はあ、いたらん親やったのにな。それでも神様のおかげで、ご信心のおかげでまあ、まあ、嫁がしてもらえるまで、どうにか成長さしてもらえて、もったいこっちゃな。有り難いこっちゃな」と。それしか、あれへん。そう思うと有り難うなってきて…。


 長女の清子、次女の浩美の時もそうですけど、披露宴で、両方とも花嫁側が、賑やかこっちゃ……。昨日なんか花嫁側なんか、シーンとしてはるのね。私ら、二人の娘の時も、いつもウワーとやっている。反対やがなと言われたけども、そこやっぱり薄情なのかと時々思う。
 愛する。娘を愛する。その愛が自分のものとしての愛と、確かに自分の娘には違いないんやけれども、神縁を頂いて、ご縁を頂いて、神様から命を預からしてもろうて、いたらん親で、育児係りは、失格か解らんけれども、その中でどうにかこうにか、こうして親の手から離れていってる。実際は、なんぼ結婚しても離れないんやけれども。親の手から離れて、新たな人生を歩んでいくところまで、おかげを蒙ってきた。「もったいないことやな、有り難いことやな」と。そういう有り難さばかり思う。
 信心さして頂くには、実際にその場、その場になった時にね。そいうおかげを蒙らしてもうてるんやな。世間では、泣きの涙で取られた、取られたになるんやろうな。どこが、取られるんや。何にも取られへん。逆にな、婿はん取ってくるか解らへん。そんなの解ったもんじゃない。
 やがて子供が産まれて、孫が産まれて、また賑々しくさして頂ける、有り難いこっちゃなと。そういう思いをね。余りにも昨日、そのお嫁さん側のおじさんが親族代表で、おじさんまで泣いてるんやからな。私はピンチヒッターで「えらいこっちゃ、言わなならん」思うて、淡々とお話をさしてもろうたんでありますけど、向こうさんは泣いておられまして、「うーん」と思わさしてもらう結婚式でした。有り難うございました。

(平成十年十月十一日)