トップページ 写真館 本・ビデオ おかげ 扇町教会とは リンク

長年の積み重ねが物事を生み出す

 一昨日、教話集の第一集の完成をみさして頂きまして、皆さんご苦労頂いて、あのように何もかもが、すべて教会で編集から印刷、丁合、製本という程に、何もかもが教会の働きの中でさせて頂けることになって、有り難いことやなと思う。
 私が、教会の機関誌、文章布教を始めたのは、中学の一年生からです。B4の紙の裏表でね。ガリを切りましてね。ガリ版印刷ですね。もちろん、自分で文章なんか作れるはずがない。中学一年生ですから…。でありまするんで、お道の本を読ましてもろうて、やさしい文章といいますか、中学生が理解出来るような文章。それには金光教のラジオ放送がありまして、そのラジオ放送の原稿が各教会へ配布されますので、その原稿をガリ版で書かしてもろうて、印刷さして頂いた。ところが、その当時ご信者さんの数がほとんどのうて(無くて)、出すとこあれへんねん。その機関誌を出すとこあれへん。どうさしてもろうたらええやろうかと、工夫をしてもらいました。ちょうど、父親宛に来てました、年賀状がありまして、その年賀状の宛先へ出さしてもろうたことを覚えております。


 それから早、四十年以上の年月が過ぎまして、それから段々、願いを立てさせて頂いて、しっかりした願いを立てさせて頂いて、今日そのように、教会で何もかも布教文章が、作成出来るようなことですね。でありまするんで、例えば今の扇町教会のそういうことを見て、あれは、扇町やから出来るんだと、いうことではないんですな。
 「あの人やから出来るんだとか。あれやから行けるんや」というような思いに、すぐなってしまう。そうしてちゃんと出来てる人は、その何十年も昔から、コツコツ、コツコツと、そのことへの取り組み、願いをはっきりして、どうぞ、と神様への祈っていくそういうものがあってこそ、物事が出来ていくんであって、自分の好き放題してて出来るはずがない。
 というふうに、私は中学一年生から、文章布教させて頂きたいという願いを持って、それに取り組みをさしてもろうて、ですからその時の初めてのが、刷ったガリ版印刷であった。紙も今のような上質紙じゃないんですよ。昔で言う馬糞紙(藁半紙)ですね。再生紙のもっと悪いやつやな。どう言いますか、馬の餌になるような藁が入ってるような、そういう悪い質の紙。世の中全体のことでしたんで。仕方がないんですけども…。
 しかし「少しでも、人様に解って頂きたい。おかげを受けて頂きたい」という願いをしっかり持って、コツコツ、コツコツとさせて頂いて、今日ではそういうおかげを蒙らしてもらった。ということが有り難い。
 それから、私一人では、とても出来ない。高橋君やら皆さんが、それぞれにその願いを受け持ってくれて、共有してくれて、そして出来ていく。ですから物事が成り立つというのは、物事がちゃんと出来るとかは、一丁一席に出来るものではない。ずっと長年の積み重ねが、物事を生み出してくるようなことであろうなと思うて、昨日も出来上がった本を見つつ、有り難いなとお礼を申しておりました。有り難うございました。

(平成十年九月十三日)


今月今日改まった瞬間から前科は消える

 扇町教会の古いご信者さんで、もちろんお隠れになっておられるんですが、初代の頃のご信者さんで、三宅音五郎という信者さんがおられましてね。もちろん大正時代の方ですけど、御晩年は戦後まで生きられまして、昭和の三十年前後にお隠れになったお方です。この人は、二つ名のある人でして。二つ名というのはどういうことか言うたら、戸籍の名前がありますわな。それと違う名前がもう一つある。
 例えば芸能人、文筆家、小説家なども二つ名です。そうい二つ名と、もう一つ違う二つ名のこと。「赤玉の音五郎」いうて、『唐くり紋々』ですわ。世間で二つ名を持つ男というのは、余りええ意味で使われないのね。泥棒が鍵開ける名人ね。あれ二つ名いうて、余りいい意味に使われないですけど、二つ名は世間になんぼでもあるんですけども。一般的に、二つ名を持つ男いうたら、余り良い意味に使われてない。


 この赤玉の音五郎、三宅音五郎をとって赤玉の音五郎。大体、中之島界隈を縄張りとしていた極道さん。やくざやさんですな。ブイブイ言わしてた人です。その人がもちろん結婚言うたかて、そういう人同士の結婚やからな、まともな結婚ではないんですけど、その間に、子供が産まれる。なんぼ二つ名をとった暴れもんでも、子供に対する親の心いうのは、変わらんもんでな。やっぱり可愛いくて仕方がない。
 ところが、その子供が小児喘息で、非常に身体の弱い男の子だった。まだ幼稚園やそこら、その時分、幼稚園は無いんですけど、幼い時に、音五郎さんが留守の間に発作を起こした。
 そして、喘息やから「キーッ、キーッ」言いますわな。その時分はほとんどの人は長屋に住んでいた。ですから、隣の壁に「ヒー、ヒー、ハー、ハー」言うのが筒抜けなの。隣に住んでる人が、扇町教会のご信者さんでして。しかし、隣がやくざやさんでしょう。なるべく付き合いたくない、そんな人と、関わりたくない。
 ところが小さな子供が「ヒーッ、ヒー、ヒーッ、ヒー」言うて発作を起こしてるので、思わず「どないしたんですか」言うて、隣のやくざやさんの所へ、飛んで入った。そうしたら、今にももう死にかけのような、引きつけを起こしてる。今みたいに救急車があったり、救急病院があったりする時代と違います。「かわいそうに」ということで、その子を抱きかかえて、教会へダッーと走った。
 初代の先生がおられました。引きつけを起こしてる子を連れて、ご神前へ連れて入った。子供は、もう目をむいてしもてる。白い目ね。それで、神様に御祈念して、「お湯を沸かしー」と言うことでお風呂を沸かした。そしてお風呂へ入れた。そんなことを知らん赤玉の音五郎さん、我が家に帰って来た。嫁も子供もおらん。
 ああいう人たちは、どっちか言うたら、非常に嫉妬深い人が多いですな。自分の思い通りにならなんだら、暴れる。嫉妬深いいうか、気ままいうか、自分が帰って来たのに、嫁はんや子供がおらん。すぐカチーンと来る。普通の人だったら、「何処行ったんやろう。買い物でも行ったんやろうか」ぐらい思うですけど、あの人達は、自分の思い通りになってなかったら、カチーンと来る。「わしが帰って来たのに、嫁はんも子供もおれへん」いうようなもんでしょうな。「何やっとんねん」ということでしょう。「コラー、何処行きよった」言うて表で叫んだ。
 反対側の隣の人が「ボンボン、引きつけ起こしはってね。あそこの金光さんへ連れていきはったよ」言うて、「なにー、訳のわからん所連れて行きやがって」言うて、教会殴り込みかけた。
 ちょうど、初代の先生が引きつけてる子を、お風呂に入れてる時だった。「何しやがるねん」ということやね。「もし、この子になんぞあったら、そのただでは済まんぞ」いう口や。ほんだら初代の先生「どうせ死ぬんやからな、『湯棺』しったてんねん。湯棺。」初代の先生もさすがに腹座ってる。憲兵さんまでやりはって、戦場番場のお方やから、やくざなんか一つも怖くないねん。「ああ、どうせ死ぬんやったらな。湯棺したってるねん。」湯棺≠「うのはね、亡くなったあと、もう一辺、お湯で身体を拭くのを湯棺という。「湯棺したってんねん。」「何抜かしやがるー」上げた拳は、そやけども、引っ込めなしゃないようになった。子供が元へもどった。


 ほうほうの体で夫婦で連れて帰って、「ああ助かったな、有り難いなあ」と、いつもよう引きつけ起こして、今度は一番きつかった。「あの金光さんに助けてもろてんな。こりゃ、信心さしてもらわないかんで」言うて、やくざやさんでも、我が子が可愛いからな、また引きつけ起こして、今度死ぬようなことがあったら、えらいこっちゃという案配で。なんぼ極道でも我が子は可愛い。そやから改めて夫婦で来て、「こないだ有り難うございました。えらい失礼しました。有り難うございました。実は私は、赤玉の音五郎と申しまして、しかし、子供可愛いございますで、どうぞ信心さしてもろうて、子供が丈夫に成長しますように、よろしゅうお願いします」言うて来た。
 すると、初代の先生「信心なんかせんでもええ」と言いはった。「あんたなんか出来へん」言うて。「えっ」。
 「この方の道はな、別に塩断ちせいとか、茶断ちせいとかな、断食せいとか、滝に打たれとか、ほんなことおっしゃらん。断ち物は二つあるねん」
 「え、なんですか」
 「茶断ちも塩断ちもせんでもええ。断つ物は三つあるねん。しかし、あんたそれ、出来へんは」
 「いえ、何でもします。わても男だ」
 「ケンカと博打がお嫌いや。これ断たんとな、この金光さんの信心は出来へんねん。ケンカと博打を断たんと。金光さんの信心の断ち物はそんだけや。塩断ち、茶断ちせんでも、ええねん。ケンカと博打はお前の商売やろ。お前の商売断たな、金光さんの信心出来へんねん、ようせんわ、あんたは…」。
 さすがにこの音五郎さん、まいってしもうた。よう考えさしてもらいますいうて、帰った。
 夫婦とまた相談した、夫婦だけではいかん、あそこは、親分子分の盃があるでしょう。『盃ごと』がある。そやから、自分一人の判断ではいかんのよ。足洗わしてもろらういうことな。そやけども、我が子が可愛い、我が子のためにこれは盃返さないかんと、覚悟決めて親分の所へ行って、堂島の大親分の所へいって、「各々の次第でございます…」言うて、盃返した。
 そして教会に行って、改めて「断ち物さして頂きます。ケンカと博打、断たせて頂きます」と。「しかし、背中に彫った彫り物はどういたしましょう。これ消えしません。」背中に彫った彫り物は消えしません。誰が見ても、やくざですと、風呂に入っても何処行ってもやくざですと。手まで彫ってあるんですからね。七分まで彫ってありすね。昔のやくざやさんは。
 初代は「心まで彫ってるんか」言うて、「心彫るの止めました。」「そうやな、ほんならな、信心は、心の彫り物を外したらええねん」ということで心の彫り物を外しはった。
 ところがやね、今までブイブイいわしてたんでしょう。仕事あれへんが、誰も仕事紹介してくれへんしな。彫り物あるし。「真面目にやるんや。真面目にやるんや」言うたかて、真面目にやられへん。
 ほんで思いついたんがアイスキャンデー。あのチリン、チリンいうて自転車の後ろに、アイスキャンデーのボックス置いてね。旗立てて「キャンデー〜、キャンデー〜」割り箸を突っ込んだやつや。扇町公園とか遊びに来る人に「キャンデー〜、キャンデー〜」と。みんな顔知ってるや。「あんな怖いおっさんとこ、誰が買うかいうて…。頼むから、買うてくれ。頼むから、買うてくれ」言うてね。
 それが一ヶ月、二ヶ月したら「あいつ真面目になったんやな。あいつ真面目になったんやな」という噂が拡がってね。キャンデー買うてくれた。あのゴロつきが、えらい真面目に働いとるがな。「危ないで、危ないで」言うてたのが、真面目に働くようになって。
 そうした時に、初めて得た一月の収入で、仕入れ賃を払わなならん。払わさしてもろうて、最後に残ったお金でその人は、小さいながらの御神殿を買わしてもらう。明日から食べて行けるかどうか解らんのに。「金光さんのおかげで、子供も丈夫のおかげ頂いてきて、心の入れ墨を取らしてもろうた。今から、まともにさしてもらいます。」有り金はたいて、小さな御神殿を、お社を買わしてもろうた。やがてこの人は、食堂をするようになり、料理屋までなり、その初代の先生の朝昼晩の食事を運びなさった。キッチとしたもんでね。
 やがて戦争があって扇町教会が潰れた後、この人は駆けずり回ってね。もうお年いかれてるにもかかわらず、駆けずり回って、扇町教会の復興に努力なさるという人生を歩まれるんですけど。


 今、就職難で色々な人が来てますねん。何でこんな話しするか言うたら、色々な方がここの扇町教会に流れて来られてね。どうぞ就職出来ますようにと願うてる。その人たちが、色々な過去を持っているの。十人十色の過去を持っている。しかし、それを背負うて生きて行くには違いなんだけれども、我が心改まると神様に通じると、必ずおかげ蒙っていく。
 その三宅音五郎と言われる赤玉の音五郎という方も、自分の心に入れ墨まで彫ってるか。自分の心の入れ墨はどうなっているや。身体の入れ墨は消えないけれども、心の入れ墨はどうじゃ。「はい、私はもう断ち物は致しました。ケンカに博打は断ちました。」「そうやな。心の入れ墨は消えたな」「はい」神様はそこを認めなさる。
 ところが、色々な境遇を、人生を抱えてきた、それを抱えたままで、向かおうとするんやから非常にしんどい。様々な人生を持ってますので、非常にしんどい。それを持ったままで、次、前科のある人もあれば色々な人があります。
 それを抱えて、一般社会では、履歴書に前科一犯なら、一犯、三犯なら、三犯と。書かないかん、履歴書ではな。神様にはそれがいらんねん。今月今日改まった瞬間から、前科は消えるの。サーッと消えさしてもろうて、おかげを蒙っていく道筋。神様がお働きなさるから、社会では通用せんことでも、おかげの元になってくる。
 そやから今、色々な人が毎日のように流れてくる。事実流れてきてます。その人たちが、それぞれの人生の前科。前科は刑務所だけの前科じゃない。色々な前科がある。例えば、大変な親不孝をしたという前科もありましょう。離婚したいう前科もありましょう。様々な前科を持ってる。その前科も改めさしてもろうて、お詫びさしてもらい、神様に向かいさしてもらうことによって、神様がお働きなされ、それぞれの道づけをしてくださるなあと、この数日、色々な人が飛び込んできて、解らしてもらうことです。有り難うございました。

(平成十年九月十四日)

ブツブツでは助かることが生まれてこない

 よく女性のことを姦しいとか、あるいは女性が話ししてるのを、井戸端会議やとか、ピーチクパーチクしてるのこう申します。女性だけかと思うたら、男性も同じことで、会社勤め終わったら、赤のれん入って、ビールかお酒飲みもってブツブツ、ブツブツやってる。その女性の井戸端会議、あるいはまた、男性の赤のれんで一杯引っかけてる。そこで出てくる話題というものは、堅苦しい話しは出ないんですけど、まあ、殆どが愚痴不足ですな。はあ。ブツブツ、ブツブツの話しを出てます。周辺のブツブツ、人の噂、というようなことで、それも一つのストレスの解消にはなるんでしょうな。人の悪口言うたら、スカッとしてたりしてな。人の噂してたら、自分は痛くないからな。「ちょっと聞いた。あのな…、…。」まあ一つのストレス解消にはなるんですけども。
 さあ、それがちょっと真剣な問題、ちょっと大事な問題になってきますると、そのブツブツの中身が濃くなってくるというか、大きな問題になってくると強くなってくる。そして井戸端会議で、ブツブツをやる。「内の亭主にも困ったもんですわ。昨日もほんまに夜遅う帰ってきやがって…」言うことになる。始めはブツブツがそれぐらいで済めばいいけれども、もうほんとにと…、こうなってくる。それで、井戸端会議で聞いてる方も「内の亭主もこないだ遅かったわよ」ようなことで聞いてる。ちょぼちょぼ同士が話をし、ちょぼちょぼ同士が話を聞いてる。


 私も、信者さんの井戸端会議をちょっと斜交いから聞きます。面白いですね。Aさん、Bさん、Cさんずっとやってるのね。ブツブツ、ブツブツ。あれ言うてるだけで、スカッとしてるんやろうな。会話が全然通じてあれへん。通じんでもええねんな。面白いもんやな思うて。Aさんの言うてること、Bさんが受けてと。何も関係あれへんねんな。面白いもんやな。全然違うこと言うてんねんな。三人ともな。ブツブツ、ブツブツと…。面白いもんやなと見さしてもろうたり、聞かしてもろうたりする。
 その中で、ああこれ大事な問題が入っとるなと、ふと感じることがある。ブツブツ言うて、一つのストレス解消でこう言うてる。職場の悪口、家族の悪口、近所の悪口、親類の悪口、教会の悪口、先生の悪口言うて、そこでスカッとするところがあるんでしょうな。ところが、それでスカッとする程度の話しやったらええけど、ここ気を付かないかんなという大切な問題が、パッパッと出てくることがある。それを聞いてるBさんCさんは「そうや、そうや私もそう思てんねん」言うてやってる…。
 そこから、良いものが、助かることが、ほとんど生まれてませんな。一つもおかげを受けて行く道筋というか、助かるものが何も生まれてこない。それは、ちょぼちょぼ同士やからでしょうな。
 例えば、算数や国語解らん。「ちょっと教えてーな」言うて、向こうがこっちより学力上やったら、教えてもらえるけど、自分より学力下やったらな、教えもろうたかて、余計にややこしくなる。というような案配ですな。ブツブツ、別にやってもかまへんのやけど、おかげを受けて行く道筋にならしてもらわにゃ。どうもならんということ。それには、ちゃんとお取次を頂いて、ブツブツで終わってんと。それがブツブツがずっと続いてたらね、もう、にっちもさっちもいかんところに入って行きますねん。目に見えてある。どうしょうもなくなってくるところへ、ずっと入ってくる。
 それは昨日、今日は何ともないが、半年もすれば助からない状態に、完全に入ってますな。それに入ってる自分が気が付かない。諸問題が次々起こってくるということになってきますな。ブツブツは、別にかまへんのやけど、やはりブツブツだけでは、友達になんぼ言うたかて、進歩しません。一つもおかげになってこんですな。やはりお取次を頂いて、おかげにならしてもろうていく道筋が、大切なことやないかなと思わさせて頂きます。有り難うございました。

(平成十年九月十五日)