時事刻々の変化に気付く
天に任せよ、地にすがれよ。(『天地は語る』二二七)
生きていくということは、その時々に色々な大きな問題、小さな問題が、常に起こり通しに起こってきます。これ済んだから、またあのことが出来たり、このことが出来たりと、それが生きるいうことであります。新幹線でもスピード出して走ってるから、風の抵抗があるんでね。抵抗が嫌やったら、車庫へ入っといたらええ。そのように生きるいうことは、次々、次々問題が起こる。そやから生きてるとも言える。
例えば、親子の問題でも、去年の親子の問題と、今年の親子の問題と違う。子供は一つ年をいき、こちらも一つ年をいって、段々老けてくるということもある。同じ親子には違いない。夫婦でもそう。夫婦の間でもそう。若い時の夫婦と年いってからの夫婦と、夫婦の在り方が変わってくる。また変わらしてもらわないかん。というように、生きるいうことは定まる、止まるということじゃない。止まることがない。止まったら死ぬときやな。止まらずに常に変化をして、変化をして生きておる。
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そういう中にあって、「わあ、」というようなこともありますけれども、今頂きました「天に任せよ、地にすがれよ」のみ教えがある。「お任せしなさい」と申し上げる。「はあ、お任せしてますんやけれどもな…。」いうことになる。お任せ仕切って、お任せ仕切れない。お任せしようと思うても、お任せ出来ない。それは心配や不安というものが、先にたつのでお任せ出来ない。「大丈夫やろうか、大丈夫やろうか」という思いがある。そういう時に、振り返らしてもらういうこと。今まで、ここまでおかげを蒙って来たこと、振り返らしてもろたら、大概、解らしてもうてくる。
その時々に「あかんのちゃうか、もうダメ違うか」というようなことが、その時々にあったはずや。それがおかげを蒙って、神様のお働き頂いて、今、今日までお導きを頂いて今日がある。そこを、解らしてもろうてきた時に、必ずおかげを蒙らしてくださるという信念と、もう一つ大事なことは、去年の私と今日の私と違うという、新たなことであると解ること。昨日の私と違うとまでいかんでも。去年の私、すなわち、経済の状況も違うやろうし、体の状況も違うやろうし、家庭の中身も違うてきてるやろうし、年齢も違うてきてるやろうし、様々なものが変化をしてきてるはずやわな。その変化に対して、変わって来てるものに対して、お礼を申さないかんこと、お詫び申さないかんこと、そして人間としての務めをしていかんこと。それを反省さして頂くいうことが大事なこと。改まらしてもうていく。
小学校、幼稚園の時の親と、大学生の時の親と全然違う。子供が変わり、こっちも変わってきてる。時代も変わってきているはずやろうし。色々なものが変わってきている。それに対して、こちらがどう改まりをさしてもうてきてるかが、大事なこと。
経済でも国でもそう、まさかこんな不景気になるとは、誰も思うてへんもん。どんどん、どんどん、色々に変化しています。実は刻々に変化してるんですよ。それが気が付かんだけの話しや。
孔子やったか、「行く水は、かくの如し」と、川の流れを見てな。「同じ川の水にあらず、行く水はかくの如し」と。私らやったら、「水が流れてるなあ」と思うだけやけれども…。その水は同じ水にあらず。ずっと流れておる。そこを、腹入れて物事を見とかんと、うろたえてばっかりの人生をしていかなならん。ふと気が付いたら、年いってた言うて、結局あんたは、なんやってんといことになる。結局はあんたなんやってん。そこでお徳を積ましてもうていく、おかげを蒙りたいもんじゃと思います。有り難うございました。
(平成十年八月十四日)
じっと寝入るような心持ち
金光大神は、どうにもならない時には、じっと寝入るような心持ちになるのである。あなた方もそういう心になるがよい。どうにもならないと思う時にでも、わめき回るようなことをするな。じっと眠たくなるような心持ちになれ。(『天地は語る』二三二)
今日のみ教えの中に、「どうにもならん時には、金光大神は寝入るような心持ちになっておれ」とおっしゃっておられる。またジタバタするな、神任せにせよと。そのように仰せになってるんですけど、実際のところでは、どうしょう、どうしょうと、思ってくるのは当たり前なんですけれども。
教祖様は大きな大事件が、何回もそのご一生の中にある。中でも特に大きな大事件が、明治六年の一月十五日であります。明治政府になりまして、世の中がゴロと変わることになる。明治政府の宗教政策が定まりましてね。今でも(今はあるかどうか解りませんが)、小学校の修学旅行には必ずお伊勢さん行きましたでしょう。伊勢神宮、すなわち天照皇大神を中心にということは、天皇さんを中心にして、日本国民は全部天照皇大神さんの氏子であるという政策を取った。国民を統一しようとした。そして、各神社は伊勢神宮の配下にあるという政策をとります。仏教も一時潰そうとした。そういう明治政府の、大きな国民をまとめていくという政策が打ち出されました。
でありまするんで、明治政府から見たら、「訳の解らん宗教、宮、寺は全部潰せ」という命令を出した。そういうところから、その訳の解らん宮、寺というのは、ちょっと難しいけど、『古事記』『日本書紀』というて、神話時代に出てくる神々の名前以外を祀っているところは怪しい宮、寺であると。『古事記』『日本書紀』、これ『記紀』というんですけど、それ以外の神々を祀っているところは怪しいものであるから、それは全部潰してしまえと。そして、お伊勢さんを中心にして、すなわち天照皇大神を中心にして、日本の国をまとめていこうと。それが、ずーっと続いて、ついこんないだの、五十数年前の八月十五日の終戦の日までそれが続くです。
ですから、皆さん、年輩の方はね、お伊勢さん参りをしたり、橿原神宮へお参りしたり、勤労奉仕したり、というようなことをしましたでしょう。戦時中にね。全部そこからきてますの。ずっと。
そういうところで、明治六年一月に教祖様の方へも命令が出まして、「取り潰せ」という命令が出た。これを『神前撤去』というもの。
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教祖様は、その前の江戸時代の安政六年から、神様の仰せ通り、ずっとお広前で御用くだされておった。やっと、多くの人が助かり、京阪神からも人が助かって参拝するようになり、四国、九州からもだんだん、だんだんと多くの人が助かるようになってきた。
そういう最中に、政府の方から「止め」という命令が出た。さあ、大騒動や。どうなるんか。ということになりましてな。ご家族も奥さん始め皆心配。直信の先生方も皆心配。どうなっていくんじゃ。もう大変なことになった。その時に、教祖様が神様に向かわれて、このようにご家族中に仰せになってる。
「家内中、神のこと忘れるな。何事があっても人を頼むことすな。良し悪ししことも、神任せにいたせい。心配すな。世は変わりもの、五年の辛抱いたし。とにかく、内輪きげんようにいたせい。もの言いでも、あなたこなたと申してよし。何事もあだ口申すな。」
さあ、これが非常事態の時の一番大事な根本なんですね。「えらいこっちゃ。どないすんねん。どないすんねん。うわー、…。」となってしまう。「あの人に頼んだらどうや。この人に頼んだらどうや。お前が悪いからや、えらいこっちゃ…。」
こんな時ほど神のこと忘れな。じっとせい。五年の辛抱をいたせい。世は移りもの変わりものである。もの言いでも、気立ってるもんやから、ワアーとやってしまう。丁寧なもの言いをせいと。
今日、丁度、大変な世の中でございまして、大騒動が起こって来ております。こんな時ほど、神の事を忘れるな。内輪きげんようせい。人を頼りにすな。人に頼むな。五カ年の辛抱せよ。このように、ご家族に言い渡される。教祖様さっさと御神殿を片づけられてしまいます。教祖様のご信心は、ご神前があろうがなかろうが、そんなんどうでもええねん。
お上の方では、ご神前の道具を片付けてしまえと。それ片付けたら、信心が無くなるみたいに思てるんやな。教祖様は「はい、はい」言うてさっさと片付けてしまう。それ知らんと参って来た人は「どないしんたんですか」となるわね。それに対して、『天地書附』を書き与えらる。
この『天地書附』を書き与えられる。「これ持って帰りなされ。これは、祀るもんじゃない。祀る目当てと違う。信心の目当てである。生神金光大神と、何処におっても生神金光大神と願ごうて、お取次を頂いて天地金乃神様に一つ心にならしてもらいなさい。」それは、どこにいてても出来さしてもらいます。そして、「日々の生活は和らぎ喜ぶ心、お礼を申していく心になりなさい。それを今月今日でしていきなされ。」『生神金光大神、天地金乃神様一心に願え。おかげは和賀心にあり。今月今日で頼めい』と、その参って来られた方に、『天地書附』をお下げになっていく。御神前も何もあらへん。ところが『天地書附』を頂かれた人々は、余計にこのことで、一生懸命に神様に向こうて、助かっていく人がずっーと拡がってきます。
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それまで、教祖様はちょうど六十の年。今の六十と違いますよ。昔の六十ですよ。神様から、風呂へ入らん修行せいと。これはやっぱり神様の方が、体力をもたさそうと思いなさったんやな。風呂へ入いらんようにということで、お差し止めになっておられたのが、「久々に風呂に入れ」と言うことで、お風呂に入られた。「金光大神生まれ変わり」これちょうど還暦や。六十才は還暦でしょ。みんなイライラしてるのに、教祖様だけ、ゆったりお風呂につかられて、「改めて金光大神生まれ変わり、一歳に相成り」と。有り難いことでありますと。それから、『天地書附』をずっと書かれて、「これ持って帰りなさい。これ持って帰りなさい」と、信心の一番大事なところをピッシと押さえられてる。
ご神前がのうても、どんな地にあっても金光大神のお取次を頂いて、天地金乃神様に一つ心にならしてもらう。そして、日々の生活はお礼を申し、和らぎ喜ぶ心を持って日々を暮らし、それを今月今日にしてくださる。すなわち固定した信心から、天地自由自在の信心へと展開のおかげを受けらる。この大騒動が、逆のおかげを蒙っていきますんやな。みんな大騒動になって、どないすんねん、どないすんねんと、潰されるがネ。
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もう一つある、村では口かさのないものが、ウワーと色々評判を立てる。教祖様が信者使うて、徒党を組んで泥棒したとか、強盗したからああなったんや。こうなったんや言うてな。口かさのないものが評判を立てる。悪評を立てる。
その時に教祖様は「たとえこの身が村の辻々にさらし者に遭いましょうとも、私の屋敷跡に青草が生えましょうともかまいせん。金光大神助けてくれと言えば、助けてやってください」と御祈念なさる。悪評が立つでしょう。石投げられるのと同じや。たとえこの身が村の辻々にさらし者に遭いましょうとも、私の屋敷跡に、すなわち家が潰されてしもうて、青草が生えるようなことがありましょうとも、かまいません。金光大神助けてくれと言えば助けてやってくださいと神様に御祈念なさるのね。大変なことですね。
ですから、信心さしてもろて起こってくること、えらいこっちゃいうことは、おかげの元になりますんや。その時、一番いかんのは、いつも「まんまんちゃん、あん」してるのに、すぐ神さん手放してしまいますねん。ここ、おかげを頂かないかんのに、ここで放してしまいますねん。うろたえてしまう。人を頼りにしてしまう。人をあてにしてしまう。神様に向かわないかんのに、ここ一番、一番大事な時に神様をフッと手放してしまう。
拝んでますねんで、拝んでても落ち着かへん。「どないなるやろ、どないなるやろ、えらいこっちゃ」思うてね。そりゃ「まんまんちゃん、あん」はしてますねんけどもね…。
この寝入るような心持ち、それに囚われないということやろうね。神様一本。「何事があっても家内中、神の事を忘れるな。人を頼りにするな。あだ口申すな。もの言いでも、あなたこなたと申してよし」と、非常に大事なとこですね。そこを間違えやすいものです。よっぽど腹据えたご信心をさしてもらわんと、そうなりませんな。そうならしてもらうおかげを蒙ってください。有り難うございました。
(平成十年八月十五日)
信心してる者だけ涼しくなりますように
信心していても、よいことばかりはない。悪いこともある。手にでも、表と裏とがあるようなもので、裏の出た時には、早く表の出るようにおかげを受けよ。(『天地は語る』二三七)
信心しているからと言って、自分に都合のええことばっかりとは限らん。この暑さ、皆さんご同様ですわ。「信心してる者だけ涼しくなりますように」言うたら厚かましい。大体この厚かましいのが多いね。自分だけ上手いこといきますようにいうのが、多いです。それではどうもならんですな。
信心してるから、自分だけ雨降りませんように言うのも厚かましいですな。この不景気でもそうです。ご同様に不景気であり、ご同様に大変なの。
さあ、そこで大事なことは、それをしのがせて頂くお力を頂くことが大事なの。このカンカン照りが続く。私、毎日、中之島公園へ行かしてもうろてるんですけど、その中にバラ園があります。バラ園のバラもだいぶ枯れてる。かわいそうにね。このカンカン照りで、あれ、手入れしているはずやのにね。市の公園課が、水やって手入れしてはるはずやのに、もう枯れてる花がだいぶありますわ。
その中で枯れてる花もあれば、枯れてない花もある。カンカン照りはみな一緒なの。しっかり大地に根を張っているかどうか。そやから、常日頃が大事なんですな。カンカン照りも来るで、ということも解らしてもろうとかないかん。ところが、それが解らんで、その時の調子のええ時はフワフワしてるもんやから、カンカン照り来たらな、枯れかかって天を恨まないかん。信心さしてもろうても、カンカン照りもくれば、どしゃ降りもくる。それをしのがせて頂けるお力を常日頃信心して、頂かしてもらわんとあきませんのやな。「なんでくるねん」と言うが、それ、生きてるから来るねん。決まってある。ですから、難儀をしのがせて頂くおかげを蒙らせてもらわないかん。
ところが日頃「まんまんちゃん、あん」程度やから「なんでやろう。ふにゃ、ふにゃ、ふにゃパタン」。と問題が起こって来たら「ふにゃ、ふにゃ、ふにゃ、パタン」とダウンしてしまう。木なら枯れて、後伐採したらそれでかめへんかもしれんけど、人間にはその後があるからな。次の代、次の代へとおかげを蒙っていかないかんという役割がある。ところが、「もうあかんわ、もうだめや」いうようなことで、もうダメになるようなことがあれば、もう次の代がダメになる。そこをしのがせてもらえる、常日頃の信心をしっかりとさせてもうていくことが、いろうかと思います。有り難うございました。
(平成十年八月十六日)
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