トップページ 写真館 本・ビデオ おかげ 扇町教会とは リンク

神様の膝の中、懐の中

 ふだんから、神に取りすがっていれば、神と心安くならせてもらっているのと同様である。無理も聞いていただける。大難は小難にまつりかえてくださり、小難は無難にお取り払いくださる。(『天地は語る』二一三)

 ふだんはふだんでおかげを受けなければならないが、いざという時にはなおのことおかげを受けなければならない。どのような時にでも、置き場を忘れて探し回ることのないように、信心の心は肌身離さず持っていないと、用心が悪い。いざという時には裸でも、田んぼの中でもよい、「金光様、お願いします」と頼めば、すぐおかげをくださる。(『天地は語る』二一五)

 普段の信心ということで、今日は常日頃の信心を教えてくださっております。
 一年間御本部にある金光学院というところで、修行さしてもろた。私の時は全国各地から百二十名程来ておられました。来ておられる方の八割から九割近くは教会の子弟やね。息子さん、娘さんが来る。後の一割から一割五分程度は修行生と申しまして、ご信者さんから有り難うなられて、教会に入られてご修行なされて、また、教会帰って御用なさるという教会子弟でないお方。息子や娘さんでない、ご信者さんから入られたお方が、大体一割から一割五分おられましてね。
 そのようなお方は、大概、命の無いところを助けて頂いたとか、大きなおかげを蒙って有り難とうて、恐れ入ってご信心をされるようになって、それで職業を止めて、ご修行に入られたお方です。この人たちは熱心や。ほんまに、教会のドラ息子とは全然違う。教会のドラはほんまにもうドラや。
 お掃除でもちゃ、ちゃとせえへんねん。さぼろう、さぼろうとしよんねんな。ところが、それに引きかえ、ご信者さんから有り難うて命救われたからとか、そういうところから、入られたお方はご熱心や。その人たちが一生懸命になさる。その人たちから見ると、さぼってる教会のドラはね、「その人等、なんじゃいな」と、冷ややかな目で見られないかん。ドラの方はどう思うかいうたら「やっぱりあの人たちえらいな」と思う。「わしらずっと生まれてからこの方、教会やからな。別に有り難うて来たん違うねん。家が教会やから来たんや。あの人等大したもんやな。私等親が『行け』言うからしゃないからな来たんや。そんなんばっかりや。ほとんどな、ほんとは来たなかったやけどな。信者はんも、やいやい言うし、しゃないな、というもんやな」。しゃあないな、というものがあるから、段々さぼろう、さぼろうとする。ご信者さんから入られたお方は、有り難うて来ておられますからな。大きなおかげも頂かれて、命の無いところ助けられたとか、そういうことで来られていますから、ご熱心な。


 ところが、一年という生活をしておりましたら、やはり、色々な事が一年の間に起こります。一年って、短いように思いますけど、やはり色々な事が起こってきますんやな。一日や二日と違う。そうしてくると、病気になる時もあれば、色々な生活上のことでトラブルが起こったり、問題が起こったりするようになってくる。
 そういう時におもしろいのは、教会のドラたち。どうしょうもない、「行け」言われたから、来たとのしゃあない組。これは、改まりがパッと出来る。「ご無礼でございました。」とパッとひっくり返ることが出来る。「すいません。皆私が悪いです」と言うてね。頭ガツンと打ったらね。「これは私が悪うございました。これから、以後気をつけます」言うてね。最敬礼する。
 ご熱心なご信者さんから入られたお方は、問題が起こったり、病気になったりすると、「私はこんだけ一生懸命にしてますのに、何でこないになりますか」と逆にスコッーンと信心を落とすねん。面白いもんですよ。「はあ、私はこんだけ一生懸命にしてますのに。何でこんなこと起こるんですか」と。スコッーンと信心を落とすんやね。それから修行もせんようになってしまう。ドラの方は一生懸命に修行してんの。おもしろいもんですね。
 私もドラの一人やからね。一体これ何かいなとこう思うて、見さしてもうてましたら、ドラ息子の方ね。「しゃあないな、来たくないのに、来たんや」というものは、ええことも悪いことも、不足言うてるのも、みな親様の膝の上で不足を言うてる。甘えてるねん。結局、親様に甘えてるねん。「ほんとは行きたくないねん」言うて、膝の上で甘えてんねん。「いやや」言うてても、ちゃんと守られているところがあって、囲まれてこの中で「いやや」言うてる。
 ところが、ご熱心の信者は、ご熱心のように見えてても、離れてるねん。「私はこうもしてますよ。ああもしてますよ」と、離れてるんやな。
 ところがドラの方は、確かに「お前はしゃあないやつやな」と怒られてても膝の上やねん。そやから、「ええ加減にせい」とガツンとやられたら「以後改まります」言うてね。大きなことが起こってきた。難儀なことが起こってきたという時に、ドラの方は、「申し訳ございません。至らぬことで、さぼってばっかりしてました。以後気を付けます。もうこうなっても、みな私が悪いです。勉強せなんだ、私のせいです」。スーッと改まりが出来る。おもしろいもんやなと思う。全部が全部とは言い切れませんけれども…。
 そういう意味で、神様の膝に入らしてもろていくというか。ええことも悪いことも、辛いことも腹立つことも、親子ゲンカしようが何しようが、神様に膝の中で、さしてもろうていくいうのが大事なこと。そうしら、その時はえらいこっちゃと思うてても、ズッーと末でおかげになっていくのに、そこでプッツン切れてしまう。「私はこうもしました、ああもしました」。プッツン切れてまう。そうしたらその後々のおかげが、頂けんようになってしまう。


 そこが、今日の御理解の「平生の信心」というもの。平生の信心は、参ってます、「参ってます」が信心じゃなしに、良いことも悪いことも神様の膝の中。神様の懐の中。そうしてくると、ズッーと後々のおかげを頂く。ほんとの子孫繁盛家繁盛のおかげを頂く。
 教祖様のみ教えの中で、これは難しいみ教えやなあというのが、「子孫繁盛家繁盛」ですねん。これは難しいみ教えやなと思う。ということは皆おかげ頂きたいために、一生懸命になる。事が起こってくる。プッツン切れる。次の代まで行かへんねん。「私はこんだけしてるのに、あんなん言いはった。こんなん言いはった」そこでプッツン切れる。次の代までいかへん。難儀の中へズッと舞い込んでいくという。
 そやから、教祖様のみ教えで一番難しいのが「子孫繁盛家繁盛」というみ教えです。命の流れが清い流れ、良い流れ、豊かな流れ、おかげの中の流れになってこん。といことは、ほんとに難しいな、また難儀をしてまたえらい目におうて、一回、二回じゃなく人生そのものが、「私の人生暗かった」になってしもうて。自分だけ暗かったらええけど、その子や孫まで暗なるからね。私の人生暗かった言うたら、自業自得やけれども、次の代、その次の代まで暗なってしまう、これが「めぐり」ということになってくるんじゃな。
 それには良いことも、悪いことも、辛いことも、嫌なことも神様の膝の中という、そこへ入らしてもろうてきたら、流れがズッーと行かして頂くんですな。ところがこちらで選り好みをしてしまう。そこでワアーワアー泣いても親の膝で泣いたらええねん。腹立っても、ケンカしても親の膝でやっといたらええねん。ところが膝を離れてしまうと、もうダメね。
 この間も御本部で同期生と会うた。「彼どないしてる。消息不明やな」いうのはようけあります。百二十人程いてて、亡くなったお方も段々ありますけれども。「あの熱心な彼、どないしたんやろうな。知らんな。聞かんな」言うのが、三十数年経って来ますと出てきます。本当のおかげを頂くには、神様に良いことも、悪いことも、腹立つことも、嫌なことも、皆神様の膝の中でさしてもろうとかんと、自分からプッツン切ってしまうと、私の人生暗かった、次の人生も暗かった。もう一つ先の人生も暗かったになる。よっぽど代を重ねて、おかげ頂くいうことは、よっぽどのことやろうと思います。有り難うございました。

(平成十年八月十一日)


ジャコはジャコなりに役割がある

 子供の時分、小学校や中学校の時分ね。宿題を出さない先生はええ先生。宿題を出す先生は悪い先生。「あの先生嫌やわ」いう案配やな。宿題を出す先生はええ先生違うねん。というふうに、よく言われたことがある。「誰の勉強や思てるねん。あんたの勉強やろうが。あんたが勉強せなあかんやろうが。大きなったらな、苦労するで」と言われる。それでも宿題出す先生は、あかん先生。意地悪な先生。宿題を出さん先生はええ先生。
 そうなの。いつの間にか小学校卒業し、中学校卒業し、高校も卒業し、気が付いたら何十歳に云々とこうなっとる。ほんでやっぱり勉強せなんだ分は、勉強せなんだ分だけ身に付いとれへん。おもしろいもんやな。「あんたの勉強やで。あんたが身に付かないかんねんで」言われてても出来へん。おもしろいもんですね。


 信心も同じこと。「あんたの信心やの。あんたが助かっていくために信心するんやで」。解れへんねん。おもしろいもんですね。よく若い子供らに言うんやけれども、太平洋にようけの魚がいてる。メダカみたいな、小さな小さな魚もいてる。中位のアジ、サバとかそんなんもいてる。マグロもいてる。色々な魚が生きてる。それは天地が生かしてくださっておる。
 しかし、天地が確かに生かしてくださってるんやけれども、その海の中はどういうことかというと、大きな魚は小さな魚を食べてる。事実なの。その全体を、神様が生かしておられますな。大きな魚も小さな魚も、全体を生かしてくださってるんですけれども、大きな魚は小さな魚を食べて生きてる。
 また、小さな、小さな魚はプランクトンを食べ、自然界で循環してる。そうして生きておる。天地全体から見たら、そのようにして生かしておられるんやけれども、食われる魚になったらどないなる。天地がそういうもんじゃ言うてね。評論は出来るけれども、食べれられる身になったら、どないなる。若い子に「あんた食べられるの好きか。食べる方が好きか」言うて。「食べられるの嫌や」「そんなら、大きな魚にならな、いかんやないか」「はいー」言うても、勉強せえへんねん。おもしろいな。そやから世の中成り立っているんのやけど…。
 若い時こういうこと言うた人がいててね。「あいつアホやな。それでええねん。アホがあるから、かしこいのが目立つねん。アホのおかげで、かしこいの目立つねん。あれでええねんで、あいつがアホやから、わしら目立つねん。あいつまでかしこなったら、皆かしこなったら困る。アホがおるので、かしこいのが目立つねん」。ほんまそうわやな。こんな論理もある。泥棒がいてるので警察官、メシ食えるねん。こういう論もある。
 さあ、そうすると、餌になる役割、小さな魚も役に立ってるの。大きな魚の餌になるというお役割がある。泥棒も役割がある。警察官を食べさすという役割がある。そういう見方も出来る。
 さあどの役割をさしてもらいたいのか、自分で決めないかん。人間は有り難いことに、自分で決める自由を与えられていること。海の魚はその自由を与えてもうてない。ジャコはジャコや。好きこのんでジャコに生まれたんと違う。しかし、ジャコは大きな魚に食べられる役割がある。しかし、人間は、ジャコになるのも、マグロになるのも、それぞれに自由を与えられている。これが「万物の霊長」と言われるもの。さあ、どの役割をさしてもらうのか、自分で決めないかん。自分でさしてもらわないかん。しかし、どの役割もそれぞれなりに、役に立つことも確かや。間違いなしに。アホがおるので、かしこいのが目立つ。泥棒がいてるのでお巡りさん、メシが食える。
 さあ、どの役割をさしてもらうのか。そこを教祖様は、「おかげは和賀心にあり」とおっしゃっておられる。「おかげは和賀心にあり。今月今日で頼めい」とおっしゃるのはそいうこと。


 学校の先生が、「お前のための勉強やで」と言われてもせえへんねん。宿題出さん先生はええ先生。宿題出す先生は嫌な先生。こんなになる。人間ずぼら、気まま勝手がどうもそのへんで、その人の人生を決めるみたいですな。人間のずぼら、気まま勝手が、どうもその人の人生を決めていくみたいね。そして、出来へん子ほど、勉強もそう、出来へん子ほど先生の悪口言うてるな。おもしろいな。あれはなんでか言うたら、自分が出来ないのを、どこかよそへ転嫁したいのね。先生が悪いからと言うて転嫁したいのね、出来へん子ほど先生の悪口言うて、「あんな先生あかんねん」言うてるな。言うたかて、自分の勉強どないなりまんねん、言うたら終わりのこっちゃ。先生に転嫁してて、自分勉強せえへんの勝手やけれども、結局、餌になっていく役割をせないかん。ということになるね。
 こういう不景気な時代になってきました。見事に潰れていくところと、持ちこたえていくところと、餌になるところと事実出てきましたね。会社もそうやし、その勤めてた人たちもそうやわな。大変ですよ。昔みたいに、ちょっと「しまつ」したらいけます、いうぐらいでは違いますからね。ローンで皆きてますから、借金の中で生きてますから、大変ですよ。昔やったら、「会計が苦しいから、みなしまつしましょう。ビフテキ止めて漬物にしましょう」と。今はそれで済まん。皆、ローン、ローンで生きてますから。向こうの借金取り待ってくれへん。ローン言うたら借金のこっちゃ。借金取り待ってくれへん。
 さあ、ものすごく大きな時代の転換期になりました。平和な時代は、賢こもアホもあんまり目立たんけれども、世の中が動き出してくると、アホと賢ことが完全に差が付きます。大きな時代になってきましたね。「しゃあないやん」しゃあない言うたらしゃないんやけれどもね、何とか、そのおかげを蒙っていきたいもんやと思います。有り難うございました。

(平成十年八月十二日)

命の故郷に帰る

 今日ぐらいから、ここ数日の間、この梅田の街もお静かになってきます。なぜか言うと、盆休みでお国に帰られたり、あるいは遊びに行かれたりしますので、盆と正月だけはシーンと、ゴーストタウンのような案配であります。教会のご信者さんも段々に、お里へ帰られたりする方がだいぶおられます。どうぞ無事に、また帰って来れますように、おかげを蒙ってもらわないかんと思います。
 私には、そういう皆の里いうのがない。小学校の時分、近所の友達と遊んでおったら、「いついつから、里へ帰るねん」と言う。「国へ帰るねん。里へ帰るねん」みんな帰って行くもんやから、とうとう独りぼっちになった寂しさを覚えている。二泊三日か、三泊四日かよう知りませんけども、皆さん帰られる。大変な荷物を持って、行く方も大騒動、迎える方も大騒動。あれやったら、寝ころんで、クーラー掛けて冷たいビール飲みもって、高校野球を見てる方が、体が楽違うかいなと思う…。私ら里という味を知らんもんやから…。それでも、大変な苦労して、国やら里へお帰りになる。味を知らんもんやから、「何でそんなにしてまで」という思いを持つ。しかし、いいんでしょうな。何がいいんやろうね。そこに、何があるんやろうね。やはり故郷という当たり前のこと、故郷があるんでしょうな。それは親という故郷であろうか。またご先祖という故郷であろうか、また、自分が小さい時に育った命の故郷。これを持ってる人は幸せな人なの。故郷を持ってる人は…。お広前がみなそうなの。命の故郷。これを持っている人は幸せな人。


 中国残留孤児いうのが、この頃だいぶ少なくなりましたが、中国残留孤児言うのがありましたね。まだ、調査して、時々お越しになってますけど、今から二十数年前ぐらいから、中国残留孤児いうのがありまして。
 前の戦争で日本が侵略して、農業したり、商売をしたりして。戦争に負けて、中国から引き揚げてくる。その小さい子供を一緒に連れて帰って来ることが出来ない。親は泣きの涙をもって、中国人である現地のお方に、子供を託して「よろしゅうお願いします」言うて、日本へ引き揚げて来た。それから五十年近う経ってきて、改めてその人たちが日本の肉親を探しに来る。
 私も若かったから、そのニュースを見たり、聞いたりした時に「はあ、辛かろうな」と思う。それは、一目親に会いたいと思うから。しかし、探す方も探される方も、五十年も経ったら、キツイん違うかと。何がキツイかと言うと、戦争のどさくさの事情において、涙をのんで子供を置いてこないかん親の辛さ。さあ、その残留孤児は、どんな気持ちでくるのやろうか。恨みごとの一つでも言うやろうか。「何で捨てていった」と言うてね。「何で捨てて行った」言うて。恨みごとの一つも言うんやろうかと。
 あるいは、日本は経済発展してる、中国ではまだまだ経済発展してない。そやから、日本人ということで、「日本へ住んだらいい暮らしが出来る」とこう思てるやろうかと思た。しかし、五十年も昔の記憶を辿って、「そりゃ、無理やで」と。肉親を探しに来るんじゃなしに、日本人の残留孤児だった言うて、日本へ見物、母国へ見物に来られるのやったらええけど。今更、蒸し返してどうなるんやろう。五十年という年月、五つやった子も五十五や。向こうでの中国での、生活基盤が出来てるはずや。育ててくれはった養父母のこともあるやろうし…。生活基盤は向こうは社会主義、共産主義。日本は自由主義、形だけ見たら日本は豊かなように見えてるけれども、生き方、社会構造が全然違う。そうまでして、日本へ来られんでもええがな、という思いを私は若い時に持った。初めて日本へ残留孤児が日本へ来るという時に…。


 残留孤児が来られて、肉親が解った人、解らん人、色々ある。そういう中で肉親と出会うことが出来た人がいてた。親ごさんがもう亡くなっておられて、兄弟と出会うた人がいてた。それが、ニュースで追っかけ回したんやな。兄弟の家に二泊、三泊される。両親の墓参りや。その残留孤児の方がお墓へ参った時に、そのお墓の石柱に抱きついてね。涙流して、「お父さん、お母さん、なんの孝行も出来ませんでした」と泣いた。恨みごとの一つでも言うかいな「何で捨てて行ったのよ。私はそれから苦労したのよ」という恨みごとの一つでも言うかいなと思うたら、そうじゃなしに、「親孝行が出来なかって、すいませんです」と言うて、墓石に抱きついておられた。
 その姿を見た時に私は、電気に打たれた気になりましてね。「はあ、これか」と思いました。私はもう両親はおりませんけど、お父ちゃんはあんなん。お母ちゃんあんなん。といつでも思えます。お墓行けばここに埋まってんねんと。当たり前のごとくに。私は誰それの子、親は誰それ、当たり前の如くに。誰それの子、誰それの親、正に疑いもしなければ何もない。正に当たり前とも思われないほど、当たり前。私の親これ。これとも思えない当たり前のことやから。
 ところが、命というものは、自分は誰の子なんか。これが解らん言うことは、自分が解らん言うことやねんな。自分が誰の子なんや。どこから生まれたんや。誰の子なんやと思た時に、その自分の親が解らん、自分を産んでくれた親が解らん言うことは、自分の存在が解らん。確かに、働いたりご飯食べたり、色々なこと出来る。それは出来とるんやけれども、命そのもの、自分の存在がないんですよ。そやから、あの残留孤児の方が尋ねて来られるのは、自分の命を尋ねに来られるのだなと。自分の命を尋ねに来ておられる。
 私は恵まれ過ぎて、当たり前の当たり前。当たり前のように親のこと聞かれたら、こうでんねん、お墓ここですと言える。しかし、命というもの、自分の命、ルーツやな。自分の存在そのもの。そこのところを私は解らんと、今更日本へ帰ってこんでも、向こうでの生活があるんやから、というような浅いものの見方しか出来てませんでしたが、命の故郷というか自分の存在、自分の命を見つけに来る。それが残留孤児のお方たちなんだなと、思わさしてもらいました。
 今お盆でみなそれぞれ里へ帰られるのも、あんなえらい目して帰らんでもええのにな。車かて、何時間乗るねんな。満員の新幹線、どないすんねんな。
 故郷、命というもの。もう一つ大きな命、天地の命、天地に生かされてるこの命。常に我が心を神に向ける大事なことですね。その神様に出会うてないお方たちは、残留孤児やないけど、みなし子なんだなと。みなし子はお気の毒なことやなと思わさしてもらいます。有り難うございました。
(平成十年八月十三日)