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大阪の布教記念日

 今日の七月二十五日は、天満の天神さん天神祭りの日。扇町教会では、奥様のお誕生日。金光教の大阪にとりましたら、初代白神新一郎という先生が、明治十二年七月二十五日に岡山の地から、今まで何度もお越しになったが、その日より岡山へ帰ることなしに専心御用くだされ、お道開きをくだされた日が、この明治十二年七月二十五日という日であります。
 この日をもって金光教の大阪の「布教記念日」と定められてる日であります。
 この初代白神先生と言われるお方は、岡山県池田藩の藩米を扱っておられる米問屋さん。大変大きな商家であります。
 このお方は、まじめで一生懸命に働かれるお方でありましたんですけれども、目を患われて、どうもこうもならんことになってしもうた。もちろん、お若い時から神仏に心を寄せて、あちらの宮寺、こちらの宮寺とお参りもなされ、お話も聞かれ、当時の密教、山伏の方の免状も頂かれるという、そういうお方でありましたんですが、目を患ってしまった。もちろん大きな商家でありますので、医師にかかり、治療いたしますけれども、治療のかいも無い、神仏の宮寺のご利益もないという状況であります。


 そういう中で、藤井きよのという教祖様のお弟子さんの一人にふれられた。この人は目が見えない、全盲のお方であります。このお方が全盲であるにも関わらず、大変なお徳を頂いておられるということで、その噂を聞いて藤井きよのさんの所へお参りなさいます。
 藤井きよのさんは、全盲でありましたけれども、「神様から肉眼の目はそのままにしておくが、心眼を見せよう。」と教祖様からおっしゃられた。肉眼はそのままであるけれども、心の眼を開くということです。
 全盲でありながらもお針をなさって、着物を縫われて、柄がピシッと合うちゅうねん。すごいお方。目が見えないのに、着物の柄がピッタリ合うて、多くのお針のお弟子さんを持っておられたという。目が見えんでも、目が見えるよりも、不自由せん。という大変なお徳の高い先生であります。その噂を聞かれて、初代白神先生が行かれる。
 そして、金光大神様、教祖様の教えを聞かれる。その藤井きよのさんから聞かしてもろて、ワアーと思た。そして教祖様の元へお参りなさるようになった。もちろん目は見えてませんのよ。その所を、後に書き残しておられるんですけど。
 白神新一郎のそれまでの信心は、「ただ、賽を献じ、経をろうして、神社、仏閣の詣でることであり、険をこえ難をしのいで神蹟・霊場にいのるのことであった。」そいうのを信心と思うていた。ところが、教祖様に出会われて、そうではなしに、日に日に生きるが信心なり。生かされて生きてる我々である。目が見える見えん、その前に命を頂いておることを聞かされる。自分はこの目が、なんでこんなになってしもたんやろうか。とそればっかりが、気になって気になって、お金にあかして良い医師、薬をし、あるいは前々からご祈祷もし、そうしてるのに目が悪くなって、なんでこんな目に遭うんじゃろう、という思いばかりであったんですけれども、この教祖様の教えを聞かれて心眼が開く。心の眼が開くんですね。
 そして、ある日の参拝の時に、宿屋の吉備乃屋で、風呂につかっていたら、眼がワアーと見えてくる。もうビックリしてもうてね。心眼が開いて、肉眼まで開くおかげを蒙る。この人は、元々大きな商家でありますから、文字が書ける。金光教で一番最初に本をお作りなったのが初代白神先生で、その本が『お道案内』というもの。その出だしが、「天地開闢以来、初めて開けし大道…」この天地が始まって以来、初めて開いた大きな道であるという『お道案内』の一番冒頭の句であります。それだけに止まらず、お年が六十を過ぎておられる。今の六十とは違いますよ、昔の六十ですよ。それでも、止むに止まれん思いを持って大阪の地の出向き、この道を伝えられた。それから東三十三カ国ずっと、東の方へお道が伝わる、外国までもお道が伝わる元をお作りなったのが、初代白神新一郎先生、明治十二年七月二十五日、この大阪の天神祭りのこの暑い日に、ご老体が上陸なされて、そして、辻説法から始まってお道を説かれたということであります。
 今日、大阪からずっと東の国々、あるいは外国までもの人々が、助かっていく道をお作りになった。信心さして頂いて、色々おかげをこうむるんでありますけれども、その蒙ったおかげを自分一人のものにせずに、神様がここまでという思いに立たれて、御用くだされた方であります。今日は大阪の地では天神さん、扇町教会では、正子さん。金光教では初代白神先生の布教記念日ということでありました。有り難うございました。

(平成十年七月二十五日)


勉強は嫌。百点は欲しい。

 一学期が終わりまして、学生の子供さんたちが、一学期のお礼を段々と申してきております。そういうことで、思い出すんですけども、私自身もそうやったし、うちの子供もそう。「百点ほしいな。しかし勉強は嫌いやな。勉強は嫌いやけども、百点は欲しい」もうこれは顕著な例やね。「勉強は嫌いやけども、百点は欲しい。働くのは嫌やけども、金は欲しい」言うてる。地下街で並んでます、宝くじの売場の所へズラーッと、ようけ並んでる。「働くのは嫌やけど、金は欲しい」言うてる典型的な例やな。あれ。
 これまた、信心も同じこと。「参るのは邪魔くさいけれども、おかげだけは欲しい。話も用解ってる。いつもと同じ話やがな」言うて、こういうような案配ですな。これは別に人を責めてるんじゃない、人間皆これやねん。ほとんどの人がこれや。「しんどい目したない。楽したい」ところが、それでは天地が許さん。昔の言葉に「楽は苦の種、苦は楽の種」という言葉ある。これが天地の道理や。また、「蒔かん種は生えん」とも言うわな。これは信心以前の問題やな。信心以前の問題やけれども、そこを解らしてもらうのが、信心。信心以前の問題ようけあるの。しかし、それを解らしてもらうのが、信心やろうな。とかくずぼらしよう、ずぼらしようと、楽な方へ行こう、楽な方へ行こうとこうなる。そして楽な方行こう、楽な方へ行こうと癖がつきましたら、物事ちゃんと出来んようになってしまいます。


 例えば奥さん方、日々の朝昼晩の料理ありますがな。この頃はほんまに、全部「チン」と、油の中へ「ジャー」とつっこんだら終わりと…。さて、どうです。ちょっとまともなお客さんが来られ、懐石とまでいかんでも、キッチとした料理出来ますか。どれだけの人出来るやろ。魚三枚におろせる人、何人いてるやろ、今日の奥さんたちは…。
 「私、料理学校行ってないから…」そんな問題ちゃうねん。料理学校の問題ちゃうねん。日々の問題やねんな。料理学校行ってないから、出来ません言うてピッと逃げてしまうねん。そんな問題違うん。一つの素材を、あれはどないして、大根なら大根、人参なら人参をどのように工夫して料理さしてもらいましょうかいうて、工夫していく稽古をしてないのね。「料理学校行ってないから、本に載ってないから…」。
 大根なら、大根の素材を、どないしたらその素材を生かすことが出来るかいな、という目を持つ訓練が出来てない。これは工夫する訓練が出来てない。それは日頃から楽しよう、楽しよういうのが動いてるからでしょう。この一本の大根どないしょうかに対して、心を配っていってないからな。
 にわかに、お客さん来たら慌てて、本を見ないかんし、料理学校行ってないから…。なんぼ料理学校行ってもあきません。物事に取り組む姿勢、物事をして行こうという姿勢は、楽しようと思うたらあきませんな。「楽は苦の種。苦は楽の種」。ところが、社会全体が「チン」になってしもうたんでな。楽しようとしてきたので、日本人全体が楽して、役に立たん人間になってしもうたなと思います。
 人間いうのは、私も含めてですけど「勉強は嫌。百点は欲しい。働くのは嫌、金が欲しい」。これが自分自身の実体であると、しっかり腹入れといて、どうさしてもらわないかんかという稽古を、日々さしてもらわないかんと思います。有り難うございました。

(平成十年七月二十六日)

欲しいものを得た結果が…

 信心なければ世界が闇なり(理T・市村光五郎一・一〇)

 体が弱かったり、あるいは病気をしたりすると、「どうぞ健康になりたい」と思い、願う。また治療も受ける。あるいはお金がなかったら、「どうぞ金持ちにならしてもらいたい」と思い願う。「お金の無いのはクビの無いのと同じやー、みじめやー」と思う。
 食べ物が無かったら腹が減って、腹が減ってこれまたみじめ。また家が無かったら家が欲しい。あるいは、学校へ行けなかったら…。昔は貧乏で学校へ行けない子がたくさんあった。「ああ学校へ行きたいな、勉強したいな」と思うた。また結婚出来ない人は、相手が欲しいな。子供の無い人は、子供が欲しいなと。
 足らん所、無い所を何とかしたいなと思うのが人間であります。また、それを逆に、自分の無いものを持ってる人を、うらやましく思えますな。「あの人はええな。あんなん持っててええな。あんなんあってええな。あそこは金持ちやから、ええな。健康やからええな。家族いてるからええな。大学行けてええなと…」
 そういうふうに自分の無いもの、足らざるもの、欠けているものを欲しいなあ、欲しいなあと、思うのが人間であります。そのためにまた努力もいたします。一生懸命に努力をいたします。
 今、日本は不景気や言うても、世界で有数の金持ちの国。お金があり、時間のゆとりがあり、学校へもなんぼでも行けて、家も持てて、結構ずくめ。この結構ずくめになったらどうなるか。今日の青酸カリ(和歌山で起こった青酸カリ事件)や。はあ、こんなになってしまう。結構ずくめになると…。
              ○
 お金欲しいな、頑張ろう「金の無いのはクビの無いのと一緒や、みじめや」。一生懸命、金持ちになるように努力した。金が出来た、金持って、次にどないすんねんがあれへんねん。今度ね…。
 「勉強したいな」と、村の内で中学校行くのが何人、高校行くのが何人という時代があった。小学校で成績優秀な子がいてて、上の学校へ行かしてやりたいが、家が貧乏で学校へやらすことが出来ん。わざわざ、学校の先生が自宅まで来て「こんなに優秀な子、小学校止まりでしておくのは惜しい。ぜひとも上の学校へやってくれと。」学校の先生が頼みに来はったいう話は、よう聞く。
 今は、「勉強せい。学校行け」言うたら「イヤやー」難儀なこっちゃな。
 村の人も「ああ、わしらもな、お金さえあったらな、上の学校行けたのにと…」昔は尋常小学校の上に、高等小学校があるのね。あれでも自慢やったらしい。「私、高等行ってまんねん」とお年寄りの方が、「高等出てまんねん」言うから、高等学校(高校)か思うたけど、違うんね。高等小学校や。「高等行きましてん」言うて、ものすごく鼻高々におっしゃるのね、この人たちの年代で、高校行けたらすごいなと思いました。ああそうか、高等小学校のことやったです。勉強したかったんやろうなみんな…。
 今、勉強せい言うたかて、勉強しよれへん。学校行け言うたかて、学校行きよれへん。暴れに行きよる。難儀なやな。これ何なんでしょう。
 お金が欲しい、貧しかったら、イヤや、イヤや言うて、やっとお金を得た。その結果がこれや。お金の使い方わからへん。はあ、暇が欲しい。働いてばっかり、ちょっとゆくっりしたい。今度、休み多くなったら、休みの使い方わかれへん。マイホームが欲しい。マイホームが欲しいと一生懸命にマイホーム作って家庭内離婚や。哀れなもんや。なんですねこれ一体…。


 一番根本の生きさしてもらうということ。生を受けてるということ。お役に立つということ、何にも解ってないのがこの結果で、青酸カリをどういう訳で、カレーにほりこみよったか知らんけれども。「何か刺激求めて…」とか、何かおもろいことないか、そうでない限りそんなこと出来ません。「どんなことになるやろなー」「ちょっと腹立つから…、おもろないから…」とか。
 例えば、この夏祭りしていて、誰か一人、どけもん(仲間はずれ)にされたような思いを持った人が、いてたのか解らへん。別にどけもんにしてへんのやけど、心がひがんでたら、まともでもすぐに曲がって見えるからね。曲がって聞こえる。ひとつも、どけもんにせんでもやね。こちらの心が歪んでたら、曲がって見えるからね。「あいつら賑やかにしやがって…」思うて、ほりこんだかもわからん。原因はわからん…。
 人間があかんねん結局。日本人、ここまで豊かにならしてもろて、結局これですねん。暇が出来て、暇の持ち方を知らない、学問が出来るようになって、学問を生かすことが出来ない。お金が出来て、お金を生かすことが出来ない。マイホーム持って、家庭を作ることが出来ない。問題ですなこれ。ハウスの方は出来るんじゃが、家庭の方が出来ない。親子夫婦バラバラ。みじめなことですね。
 昨日の宇津木さんの話(月例祭後、宇津木氏のビデオを鑑賞)やないですけど、いよいよ信心が大事。まともな信心がですよ。まともな信心が…。教祖様は「信心なければ世界が闇なり」とおっしゃっておられる。「信心なければ世界が闇なり」と。今はみんな闇やから、闇が当たり前になってしもうてるねん。みんな闇。みんなおかしいから、おかしいこと、解らんようになってしもうてる。どっぷり三世代、戦後五十年もきたら、みんなおかしくなってしもうてる。みんなおかしいから、自分のおかしいこと解らへんねん。難儀なことですな。よっぽど心して自分を見つめさしてもらわんと、おかしい自分が見えん。みんなおかしいから…。
 例えば、日本人の特質やったら「勤勉実直」や。今そんこと言うてる人いてる。どこにいますねん。いつの間に消えたんこの言葉。小学校の黒板に「勤勉実直」という額張ってあったが…。「質実剛健、勤勉実直」という額張ってる所あれへんわな。いつの間に消えたんや。一億の国民、の中で、今そんなこと言う人誰もありません。校長先生も言えへんよ。学校の先生も、校長先生も、この五十年間生きてきはったからな。おかしい中で生きてきはったから、そんな言葉もう考えも出来へん。おかしいことが解らない。見えない。自分が見えてない。ほんとに哀れなもんじゃなあと思う。しかしそうは言うてられへんけど、皆おかげ蒙ってもらわんとな、評論家になってられへん。「哀れなもんじゃなあ」言うて、評論家やったらええけど、評論家になってられへん。こんな事起こってきたら、えらいこっちゃ、ぜひともおかげ蒙ってこないかんなと思います。有り難うございました。

(平成十年七月二十七日)